マスキュリニティ[英]masculinity

三成 美保(掲載:2014.05.15)

(1)マスキュリニティ

「マスキュリニティ」とは、男性性(男らしさ)を意味する。構築主義以降、男性性もまた構築されると考えられるようになった。マスキュリニティを研究する学問としての男性学は1970年代に女性学に対抗して登場し、日本では80年代後半から始まった。90年代に登場したクイア理論は、「クイア(変態)」という蔑称をあえて名乗ることにより、性的指向の多様性を唱え、LGBTI(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルなど)の権利擁護を主張した。

(2)覇権的マスキュリニティと従属的マスキュリニティ

複数のマスキュリニティを想定し、そこに「覇権的/従属的」という区別を導入したのが、R.W.コンネルである。「複数のマスキュリニティ」の間に作用する権力とは、グラムシのいう「ヘゲモニー」にあたる。それは、「人びとを動かす権力資源としての言葉」(杉田2000:51頁)である。すなわち、マスキュリニティにおけるヘゲモニックな支配とは、「動的なプロセスの全体を通じて行使される影響力」であり、物理的な暴力ではなく言語を通じて認識を改革する「文化的支配」を意味する(田中2009:52-53頁)。

「文化的支配」としての「覇権的マスキュリニティ」は、他のマスキュリニティを暴力的に抹殺しようとはせず、従属させる。これを「従属的マスキュリニティ」とよぶ。コンネルが従属的マスキュリニティの主要形態とみなしたのは、同性愛男性である。覇権的マスキュリニティは、女性たちに対しても受容や従属を強制するわけではない。むしろ、彼女たちの「自発的な同意」を得るための戦略がとられた。たとえば、「一家の大黒柱」には、女性たちから肯定的評価が与えられることが多い。

(3)ホモセクシュアルとホモソーシャル

Y.K.セジウィックは、男性間の紐帯には「ホモセクシュアル」な関係(男性同性愛)と「ホモソーシャル」な関係(男性同志愛・兄弟愛・友愛)が区別できるとした。近年では、禁欲的な性愛とホモソーシャルな関係の共存を「ホモエロティックとよんで、前二者と区別することもある。これらは必ずしも排他的とは言えず、組み合わせや比重は文化によってかなり異なる。

たとえば、成員の対等性を原理とする市民社会は基本的にホモソーシャル社会である。古代ギリシアでは年齢階梯を介した上下関係のもとでの少年愛が許容されたが、ヨーロッパ中世社会でも西洋近代市民社会でもホモセクシュアリティは否定された。しかし、否定の根拠は異なる。中世から近世にかけて男性同性愛行為が宗教的犯罪とみなされたが、近代以降は性的指向としての男性同性愛者に対する差別が顕著となった。一方、朝鮮半島では儒教的な陰陽原理にもとづいて男色が禁止されたが、前近代日本では男色は排除されず、武士文化での男性性を強化するとみなされた。(三成美保)

[参考文献]

Y.K.セジウィック(上原・亀澤訳)『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望』名古屋大学出版会、2001
R.W.コンネル(多賀太訳)『ジェンダー学の最前線』世界思想社、2008年
田中俊之『男性学の新展開』青弓社、2009年
杉田敦『権力』岩波書店、2000年
三成美保「マスキュリニティの比較文化史―現状と課題」『女性史学』22、2012年

【関連ページ】

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