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【総論9】歴史叙述とジェンダー史(姫岡とし子)

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歴史叙述とジェンダー史(姫岡とし子)

掲載:2015.01.31.  執筆:姫岡とし子
初出:岩波講座『日本歴史』第16巻(2014年6月)月報8pdficon_large

私の専門はドイツのジェンダー史だが、ドイツで、そして日本の西洋史分野で女性史研究が登場するようになったのは、私が博士課程に在学中の1980年代はじめのことだった。私の本格的な研究生活の開始時期は、ちょうど西洋女性史の興隆期と重なっていて、期待に胸を躍らせながら新しく刊行される研究成果を読んでいたことが思い出される。そのなかには、従来の政治史中心また男性中心の歴史叙述からのパースペクティブの転換を唱える綱領的な女性史論文もあった。そこでは、これまで不可視であった女性の歴史を可視化すること、そして、その成果を織り込んで、これまで男性を基準としながらも一般史あるいは全体史と称してきた歴史研究を書き直すことの必要性が熱く語られていた。女性史研究の目的は、決して既存の研究に女性を付け足すことではなく、既存の研究の書き直しにあったのだ。

その時から、一般史の書き直しは私にとっても大きな目標となった。といっても、その課題は大きすぎて私の能力の及ぷところではないし、また一個人の力だけで果たせるものでもない。私がしたことといえば、個別テーマのなかで女性を可視化するための研究、さまざまな場で女性の視点導入の重要性を主張すること、そして歴史学全体のなかに、どの程度女性史研究の成果が反映されているかを注視することであった。

4-歴史教育とジェンダーここ数年来、私は日本学術会議の「史学委員会・歴史学とジェンダーに関する分科会」を中心に仲間とともに「歴史教育とジェンダー」の問題に取り組むようになり、あらためて女性史・ジェンダー史と全体的な歴史叙述との関連について考えている(→*【教育3】学術会議・学術の動向(ジェンダー史))。女性史・ジェンダー史の研究蓄積は膨大になっているのに、残念ながら、その成果が歴史教育に浸透しているとはいえない。高等学校の日本史と世界史の教科書を調べてみると、なかにはジェンダーを意識した内容のものもあるが、全体としてジェンダー関連の記述はまだまだ少なく、とりわけ、テーマを設定した形の叙述ではなく、通史を基調として執筆された教科書にはジェンダーへの配慮が欠けていることがわかった( 長野ひろ子・姫岡とし子編『 歴史教育とジェンダー』青弓社、2011年参照 )(→*【新刊】『歴史を読み替えるージェンダーから見た世界史』2014年(はしがき紹介))(→*合評会 「ジェンダーから見た世界史」(2014.7))

51hbluQC6dL._AA160_権力者を中軸とする政治史や「ジェンダーとは関係なく」進展すると考えられている経済の変化を中心とする通史は、教科書で歴史を学ぶ生徒を含めて多くの人に「これこそが歴史」と捉えられ、その意味で「正史」の位置づけをもっている。「歴史講座」も「歴史像」と「歴史の見方」を示すうえで大きな影響力をもっているといえるが、この「講座」でもジェンダー史が歴史叙述の確固たる一翼を占めるにはいたっていない。この月報が挿入される『岩波講座日本歴史』(全22巻)(→*http://www.iwanami.co.jp/series/index.html)でジェンダー関連のタイトルは、古代、中世で「家・家族と女性」に関してそれぞれ1本ずつ、近世では「性」の1本、近現代については、学校教育制度の確立、戦間期、戦後史と関連する3本である。他に「歴史学の現在」の巻の「女性史/ジェンダー史」を含めて合計7本、200を超える全タイトルの3%強にすぎない。1995年の『岩波講座日本通史』では、古代と中世で1本ずつ、近世では「百姓の家と家族」、「性の文化」、「文字と女性」の3本 、近現代で2本 、別巻で3本が掲載されていた。少しだけとはいえ今回の方が減少しているのである。また、『日本通史』では、タイトルにとくに女性が明示されていなくても、女性に関する記述を含む論文も見られた。とはいえ、各巻の最初におかれている通史では女性に関する記述は極端に少なく、ここでも政治史や経済史を中心とする通史とジェンダー史との折り合いの悪さが示されることになった。

しかし、私が「講座」のなかでの女性史・ジェンダー史の扱い方に注目したのは、たんに「少なすぎる!」と批判するためだけではない。私が「講座」の目次を見て考えさせられたのは、ジェンダー史が歴史叙述全体のなかで、どういう扱いを受けるべきかという主張と同時に、どのような位置を占めることができるのか、という問いでもあった。

51kULk3NRTL._AA160_『日本通史』の編集方針の「天皇論、都市論、法と慣習、家と女性の四テーマについては、古代から近代・現代までの各時代に一項目以上を立て、時代間の構造的変化の過程をたどることができるよう努める=テーマ論説」という記述に見られるように、この「講座」がジェンダーに配慮していることは確かだし、今では研究入門その他の網羅的な歴史書の企画を立てる上で、ジェンダー史関連を除外しているものは、ほとんどない。その意味でジェンダー史は、歴史学界のなかで一定の位置を占めている。しかし、その登場の仕方は、通史のところで女性にはほとんど言及されていないか、あるいは女/男の差異化が社会構成のベースとなっている、というジェンダー史の認識を組み込む形の叙述がなされていないことから明らかなように、女性史が当初めざしたパラダイムの転換、すなわち一般史の書き換えではなく、補完という形なのである。今回の「講座」でも、またその他多くの著作においても 、女性は「ある時代・文化をどう生きたか」といった、全体のごく一部、部分史としてプログラミングされていて、歴史の主な流れから独立した扱いとなっている。

女性史が歴史の書き換えを主張した30年以上前と今では、歴史研究をめぐる状況はまったく異なっている。当時女性史は、女性と男性という二つの歴史主体を前提としていたが、その後女性史が、民族や改装による違いなど同じ女性間での差異への着目を要請されてジェンダー史へと変化していったように、歴史の主体は多様化している。また方法論的にも、女性史・ジェンダー史への追い風となった社会史や日常生活史、さらに文化史に加えて、ポスト・コロニアル、グローバルヒストリーやトランスナショナルな関係史など、多くの潮流が登場している。歴史にはこういう見方もある、この視点から見れば、歴史はこう見える、とはいえても、社会史がメインストリームに踊り出そうなほどの勢いをもった80年代とは違って、一つの歴史が中心的になるというより、さまざまな歴史が併存しているのが現状だ。そのようななかで、あるいはそのような状況だからこそというべきか、オーソドックスな政治史が勢いを盛り返し、通史のような「一つの歴史」を書くさいには、相変わらず政治や経済をめぐる支配権力や制度の変遷が中心となって、多様な歴史は影が薄くなるのである。

歴史の見方が複層化するなかで、ジェンダー史が、初期の女性史のように「人口の半分は女性なのだから、歴史叙述においてもそれ相応の扱いを」といったナイーブな主張を掲げることはもはや不可能だ。それでもジェンダー史は、多様な歴史叙述の一角を占める部分史でいいのか、それしかないのか、という問いについては、やはり否と答えたい。

女性の体験を記すだけではなく、それを含めて歴史全体を書き換えること、という課題に女性史・ジェンダー史はある程度は答えてきた。たとえば公的な福祉制度に注目していた福祉の歴史は、ヴォランティアを基軸とする女性の活動の可視化によって、そのバイアスが是正され、福祉の複合性が明らかにされている。労働に関しても、かつては男性の労働を基準とした公的な場での稼得労働が中心だったが、女性が従事していた家内での精算にかかわる労働が可視化されたことによって、労働の概念をもっと幅広くとらえるよう修正の要求がなされている。ただし、こちらは、歴史叙述全体のなかで、まだ福祉ほどの扱いを受けるにはいたっていないが。

だが、こうした女性の活動が、「女性はどう生きたか」という章の孤立した文脈で扱われると、男女の活動領域の違いがいかにして成立し、そこにどのような意味が付与され、歴史のなかでどのような役割を果たし、その背後にあった権力関係はどのようなものだったのか、ということは明らかにならない。私が専門とする近代史では、まさに男女の差異化が、またその結果として形成されたジェンダーとしての「男らしさ」や「女らしさ」が、市民社会、機械制工場生産、国民か億か二象徴される近代社会を編成する基本原理として作用していた。だからこそジェンダー史は、歴史の行方の決定要因の一つとしてジェンダー=男女の差異化を取り上げるのだ。それゆえ、「講座」など、歴史の全体を明らかにしようとする企画では、女性を孤立した文脈だけで扱うのではなく、それ以外の項目のなかにもジェンダーの視点を入れた記述を含めて欲しいし、それによって、その項目の内容にジェンダーがどう関わっていたのかが見えてくるはずである。

ドイツで出版されている歴史書のなかには、ジェンダー史として書かれたものでなくても、シティズンシップ、ナショナリズム、軍隊、宗教などを取り上げるなかで、構造をつくりだす力として、また歴史の推進要因としてジェンダーを重視し、それらの歴史とジェンダーとの関わりを叙述のなかに含めるものが増えている。私は女性を孤立して扱うことのマイナス面を指摘してきたが、そうなる要因は、ともずれば女性やジェンダーで自己完結しがちなジェンダー史の側にもある。今、ジェンダー史に求められていることは、ジェンダー以外の歴史の動きとの関連を強め、もっと歴史全体に開いていくような形の歴史叙述を心がけること、さらにジェンダーの視点による歴史像の変化を具体的に示していくことだと考えている(→*【総論1】歴史を読み直す視点としてのジェンダー(姫岡とし子))
( ひめおか・としこ:東京大学教授 )

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