マスキュリニティの歴史

執筆:三成美保 掲載:20140311

◆男性史の意義

「マスキュリニティ(男性性/男らしさ)」の定義は、ジェンダー秩序の「ヘゲモニー(覇権)」を決定するため、きわめて重要である。それにもかかわらず、マスキュリニティは男性の自然的な特性とみなされ、ともすれば自明視されてきた。ここに、マスキュリニティを分析対象とする積極的意義がある。「男性/男性性」の構築過程を歴史的に問うのが、「男性史/男性性の歴史」である。男性史は「男性学」と緊密なつながりをもつ。男性学の成果としての「序列化」「紐帯」をめぐる新しい理論は、男性史分析にも有益である(→*【特集2】男性性(マスキュリニティ))。

◆覇権的/従属的マスキュリニティ

「序列化」に関する代表的理論が、R.コンネルの「覇権的/従属的マスキュリニティ」論である。多くの社会で政治的・文化的な支配権を掌握したのは男性である(父権制)。しかし、男性のすべてが支配権を行使できたわけではない。人種・身分・階級・階層・宗教や各種資源(能力・財産など)の基準に照らして男たちはふるいにかけられ、序列化された。少数エリート男性に権力や資源が集中するシステムが築かれてきたのである。コンネルはこれを「覇権的マスキュリニティ」と呼ぶ❶。「覇権的マスキュリニティ」から逸脱する男たちはしばしば「男らしくない」として、社会の意思決定システムから疎外された(「従属的マスキュリニティ」)。「覇権的/従属的マスキュリニティ」規範は、秩序構成原理として、女性を含む多くの人びとに共有された。

◆ホモセクシュアル/ホモソーシャル/ホモエロティック 

男性間の「紐帯」をめぐっては、Y.セジウィックの理論がよく知られる。彼女は、「ホモセクシュアル」(homosexual)な関係(同性愛)と「ホモソーシャル」(homosocial)な関係(同志愛・兄弟愛・友愛)を区別した❷。性行為には至らない同性愛(潜在的ホモセクシュアリティ)とホモソーシャルな関係の共存は「ホモエロティック」(homoerotic)とよばれる。セクシュアリティに関わる人的紐帯に付与される意味は文化によってどのように異なるのか、それには男女差があるのか、さらには性別役割分担規範とどう関わるのか。これらを明らかにすることは、ジェンダー秩序の考察には不可欠である。とりわけ、市民社会のホモソーシャル志向、主従関係に介在しやすいホモセクシュアル、家臣団や軍隊におけるホモエロティックな関係などは、「男性性の歴史」にとってきわめて重要なテーマとなろう。

◆欧米における男性学・男性性研究の展開 

欧米の「男性学」(men’s study)、「男性・男性性研究」(research on men and masculinities)は、およそ次の5段階を経て発展してきた。全体として、欧米の男性学は「性的指向の自由」をめざす権利運動と深く結びついていた。

第1段階(19世紀後半)性的指向としての「同性愛」(Homosexualität)概念が成立し(1869)、それに対抗して「異性愛=正常/同性愛=異常(病気・犯罪」」の定式化が確立した。19世紀末から20世紀初頭にかけて、同性愛者の解放運動が起こったが、対象はほぼ男性同性愛者に限られた。

第2段階(20世紀前半)フロイト「精神分析学」以降、精神分析学にもとづく同性愛研究が始まる。同性愛は個人的病理とされた。

第3段階(1970~80年代)ジェンダー研究の始まりとともに「男性学」が成立した。男性学にはいくつかの潮流があるが、親フェミニスト派男性学が主流であった。また、ストーンウォール暴動(1969)をきっかけにゲイ解放運動が高揚し、「ゲイ・レズビアンスタディーズ」が登場する。「ホモフォビア」「強制的異性愛主義」などの概念が生み出され、同性愛を個人的病理とする考え方から、同性愛者を排除・抑圧する社会のほうを問題視する方向へと研究のパラダイム転換が起こった。

第4段階(1980年代)「社会構築主義」の影響下で「批判的男性学」が登場する。それは、マスキュリニティの歴史的・社会的構築過程に目が向けるものであった。「ホモソーシャル」概念も提示された。

第5段階(1990年代以降)「クイア研究」(queer studies)が登場する。「クイア」(queer)とは、もともと「変態」を意味する蔑称であったが、ゲイ当事者たちはあえてこの語を用いて「意味転換」をはかった。今日では、クイアは「規範に対する挑戦」の意味をもつ(→*【特論12】LGBTIの権利保障(三成美保))。

/参考:三成・姫岡・小浜編『歴史を読み替える(世界史篇)』2014年)