【特論5】Ⅰ―⑫ 結婚前妊娠とアフリカ人の意見―社会変化に関する一考察 by I.Schapera

2015.03.02掲載 執筆:富永智津子

 I.Schapera, “Premarital Pregnancy and Native Opinion―A Note on Social Change,” Africa, Vol 6, No.1, 1933

 レジティマシーとバントゥー社会

マリノフスキーは結婚と親族のテーマに関する最近の著作の中で、繰り返し、「レジティマシーの原理」(principle of legitimacy)というフレーズを使っている(The New Generation,London,1930, pp.113-68)。このフレーズは、彼によれば、女性は合法的に妊娠するためには、その前に結婚しなければならない、というすべての人類社会に見られる規律を意味している。「およそ未婚状態で母親になることは禁止されており、父親のいない子供は私生児(bastard)とされる。これは決してヨーロッパ人やキリスト教徒だけの見方ではなく、最も野蛮で未開な人びとの間でも見られる考え方である。」結婚前の性交渉を非合法かつ非道徳と見なしているところでは、結婚は、生まれてくる子供が共同体内で、きちんとした社会的地位を付与されるための法的な前提なのである。しかし、結婚前の性交渉に寛容なところでさえ、この寛容性が妊娠の自由にまで及ぶことはない。未婚の少年少女は自由に性交渉してもよいが、妊娠してはいけない。未婚の母親は罰を受け、嘲りの対象になる。そして、子供は殺されるか、捨てられる。一方、子供の父親の方も、妊娠させた少女と結婚しない場合には罰を受けるし、いずれにせよ、婚姻外の子供は合法的に生まれた子供とは異なる地位を与えられ、通常は不利な立場に置かれる。このことは、母親と子供というグループは、共同体の目から見ると不完全であり、夫と父親は、社会学的に見て、どの社会においても不可欠な存在だと見なされていることを意味する。

他の民族と同じように南部アフリカ(South African)のバントゥー民族の場合でも、結婚と子供を産むこととの間には密接な関係がある。彼らの場合、結婚は、花婿もしくは彼をサポートする家族から花嫁の父もしくは彼女の保護者への牛など何らかの形での富(material wealth)の移動によって完結する。この移動は、慣習的にロボラ(lobola)もしくはボクサディ(boxadi)と呼ばれ、その後の結婚の儀礼かもしくは花嫁の保護者の了解のもとでの夫との同居が続くことになる。婚資の支払い、もしくは民族によっては支払いをするという約束は、一般的に結婚を法的に証明するものとされている。婚資が支払われたり、約束されたりした女性から生まれた子供は、たとえ生物学的な父親の子供ではないとしても、すべて彼女の夫の法的に正当な子供と考えられている。一方、婚資が支払われない女性、もしくは契約が非合法だとされる女性の子供は、私生児とされる。彼らは母親の家族とクランに所属し、生物学的な父親は特別な支払いをしない限り、子供に対する請求権はない。特別な支払いが行われた場合でも、彼らは、社会的・経済的権利と義務に関して、生物学的な父親の合法的な子供の下位に置かれることになる。

婚前交渉に対する考え方は、民族によって大きく異なる。一般に、ソト=ツワナ人はそのような関係を持つことは非難さるべきものと考えており、発覚した恋人は罰せられる。Junodは、ソト=ツワナ族の一分派であるBaPediについて、結婚の際、年配の女性が花嫁の処女性を検査する、もし花嫁が年配の女性たちを納得させられなかった場合には、結婚は解消されることもあるが、そうでない場合には婚資は減額されるとしている(Junod, The Life of a South African Tribe, London 1927, vol.1:297)。一方、ズールー=コーサ(Zulu-Xhosa)人は、少年と少女との結婚前の交渉に寛大である。その中には、結婚前の性交経験をさせる制度を持っている場合さえある(JunodがBaThonga人について叙述している中のgangisaと呼ばれる慣習や、コーサのukumetshaや ズールーのhlobongaといった慣習を参照のこと)。しかし、こうした慣習的な考え方がどうあろうと、すべての南部アフリカのバントゥーには、未婚の女性は妊娠してはならないとの暗黙の了解がある。もし妊娠したら、彼女は、恋人と子供ともども罰せられる。罰則はさまざまだ。しかし最も一般的なのは、恋人へは罰金、殺されない場合の少女と彼の子供は社会的な侮辱や軽蔑にさらされる。結婚前の妊娠は、共同体が禁止している状況下では必ず発覚する。

 最近のアフリカ人の慣習の変化Recent modification of native custom

最近、南部アフリカの諸民族は、かつてのように結婚前の妊娠に対して厳格な態度をとらなくなっている。行政や宣教師、あるいはアフリカ人自身でさえ、道徳性のかつての規範が変化したこと、制裁も大方なされなくなっていることを認めている。未婚の少女が子供を産むことは、もはやそれほど深刻な規律違反ではなくなっているのだ。それに応じて、そうした未婚の母に対する扱いも和らいでいる。この変化は民族によって温度差があるが、およそ一般化できる変化だといえる。しかし、この変化をめぐるすべての要因を詳細に分析し、その背景のさまざまな要因を明らかにしようとした数少ない試みがある。昔の道徳性が、ヨーロッパ人との接触によって影響を受けて崩壊したというのは簡単だ。しかし、この表面的な結論は、ほぼ間違いないとしても、適正な調査に基づいてはおらず、この変化が実際にいかにして生じたかを完璧に明らかにはしていない。いくつかの地域における詳細な調査は、官吏や宣教師や商人といった人びとが提示している表面的印象とは異なる全体のプロセスに光をあてることに成功している。

結婚前妊娠に関するアフリカ人の考え方の変化を具体的に示すために、われわれはソト=ツワナ(Sotho-Tsuwana)集団に属する民族であるベチュアナランド保護領のBaKxarla baxa-Kxafelaの人びとの間に広まっている近代的な考え方をオリジナルな考え方と比較してみよう(以下の情報は1929-30年に行った数回の調査旅行の際に入手した記録である。私はこの調査旅行を資金的に援助してくれたケープタウン大学に感謝したい)。このソト=ツワナ集団に属するすべての民族においては、結婚は花婿の家族から花嫁の家族への婚資(boxadi)として知られている牛の移動を伴う。婚資の頭数は一定ではないが、奇数は不吉な数と考えられているので、原則として2以上の偶数が選ばれる。実際の頭数は、花婿の社会的地位や富裕度によって異なる。花嫁の家族は、提供されたものは何であれ受け取らねばならない。そして、ズールー=コーサ民族に関して言えば、事前のバーゲニングはあり得ない。息子の結婚相手を認めた後、少年の両親は、婚約のアレンジをするためのメッセージを少女の家族に送る。少女の家族が同意すると、少年の親族は少女にさまざまな品物を贈る(最近は毛布や衣類が主流となっている)。少女の両親は、その返礼に、地酒を醸造し、使者がそれを儀礼的に飲む。こうして婚約が整うと、結婚式が執り行われる。結婚式まで2~3年の期間を措くのが一般的である。この期間、少年は好きな時に少女の家を訪問でき、食事が振る舞われる。しかし、少女がフィアンセの家を訪問することは許されていない。

結婚契約の本質は両家族間の合意と、婚資(boxadi)の支払いである。婚資はBaKxatla社会ではまずもって両家族の緊密な絆を固めるためのものであり、結婚登録を意味する。しかし、彼らは、婚資は花嫁の家族から花婿の家族への女性の再生産力の移動であるとも言う。このことは特別重要な意味を持つ。というのは、そこにKxatla人のレジティマシー概念があるからである。同時に、再生産の生理学において、男性がその一部を担うということを人びとが理解しているということが明らかになる。彼らは、女性の子宮の胎児は経血と精子との混淆によって造られると信じている。したがって、彼らは妊娠を月経の停止と結びつけて考えるのである。しかし、男性の生物学的な父性が認められても、このことは彼が必ずしも子供の社会学的な父親であると認められることを意味しない。手短に彼らの法概念を纏めると、婚資の正式な移動が伴わなければ、男性と女性が同居しても結婚が成立したとは見なされないということである。つまり、男性は、婚資が実際に支払われるまで、産ませた子供に対する権利を主張できないのである。一方、結婚した女性から生まれた子供はすべて、その本当の父親が誰であろうと、婚資を支払った男性の合法的な子供と見なされる。もしKxatla人の考え方を理解しようとするならば、こうした事実はしっかり頭に入れておかねばならない

ヨーロッパ人との接触は、いろいろな方法でBaKxatla社会の伝統的な法や慣習を変化させた。最も顕著な変化はLentswe首長が40年ほど前にクリスチャンに改宗した時に起こった。彼は民族宗教の長でもあったため、彼の改宗は人びとの改宗をも実際には意味したのである。そして、実際、彼がクリスチャンに改宗できたのは、pitsoという男性のみの集会での長く厳しい議論の末のことだった。この改宗に伴い、結婚に際しての婚資の支払いはしばらく廃棄された。宣教師はこの慣習を妻の購入とみなし、新しい宗教に情熱を傾ける首長は、それを禁止することに同意したのだ。しかし、これが困惑と不満を引き起こすということがわかり、Lentsweの後継者Isangは、婚資の介在しない結婚は非常に不安定になりがちであるということを教会に訴えた。その結果、教会側は婚資の復活に同意し、現在では婚資の支払いは教会結婚においても、異教徒の結婚と同じく、核心的な要素となっている。しかし、宣教師は、他の南部アフリカのバントゥー諸民族と同じくBaKxatla人も行っている一夫多妻の慣習には一貫して反対しており、一人以上の妻を持つ人が教会のメンバーとなることは許されていない。

いまだに続いているキリスト教のもう一つの重要な影響は、伝統的な成人儀礼の廃止だった。こうした儀礼は少年と少女に分かれて、数年毎に行われていた。同性の同じくらいの年齢の者が対象となり、集団で3ヶ月ほどの期間、共同体から隔離され、少年の場合には割礼、少女にもそれに相当する手術が施され、さまざまな肉体的な試練や、民族の伝承や性的なふるまいについての指導が行われた。儀礼の最後には、こうした儀礼を終えた者がmophatoと呼ばれる一種の連帯(regiment;訳者注:年齢階梯集団と呼ばれているもの)に組み入れられ、それには他と区別できる名前が付与された。彼らは、一生、この連帯のメンバーとして過ごし、連帯のメンバーとして能力にふさわしいさまざまな奉仕を首長のために行った。現在、こうした連帯組織はまだ健在であるが、その前提となる儀礼は以前の性格の多くを失っている。この儀礼に付随して行われていた割礼やタブーは、完全に廃止され、残っていない。現在では、少年が連帯に受け入れられる前に成人儀礼を通過することさえ強制ではなくなっている。こうした昔の成人儀礼の変化は結婚のプロセスや結婚前の性交渉にも必然的に影響を与えた。

かつての結婚前妊娠

かつての結婚は、成人儀礼を終え、連帯(mophato;regiment)に加入した者のみに許可されていた。少女の場合、通常、成人儀礼の「学校」を終えるとすぐに結婚した。しかし少年は、彼らと同年代の少女の連帯のメンバーとではなく、その後に結成された連帯のメンバーと結婚することを期待された。これは、少年たちが成人儀礼後、結婚するまでに4~7年間は待たねばならないことを意味した。それすら難しい状況があった。というのは、一夫多妻制によって、新たに成人した少女の多くは年長の男性の第二、第三の妻となる可能性が大きかったからである。しかし、そのような少年たちが同じリネージ(kxoro)集団の男性親族の若い妻と密通することは、公認の慣習だった。とりわけ、少年の父方の叔父(rungwane)はこの権利を少年に認めることが期待されていた。もちろん、そのような密通から生まれた子供は、婚資の移動に伴って確立された権利に従い、女性の夫の正式の子供として認知された。この慣習は、不倫というカテゴリーとは異なり、きわめて正当な行為であると考えられていた。とりわけ、夫が老齢で性的不能者である場合には。それを支えている考えは、少年は親族の中の若い「家」で「種を育てるべき」だということだった。しかし、わたしの情報提供者は、もし結婚年齢に達した彼らに性交渉の機会が否定される場合には、性的満足を得るために非合法な手段に走るかもしれないという危惧から、こうした性交渉の経験のできるチャンスを彼らに与えたのだという事実を強調している。

こうした権利は、連帯に加入が認められた少年のみに許されていた。そして、女性は割礼をしていない少年と関係を持つことは恥ずべきことだと教えられていた。成人儀礼を受ける前、若い男女は純血をまもることを期待されていた。実際、結婚前の性交渉に関する情報を入手することは非常に難しい。私のすべての情報提供者は、若い男女が自由に交じり合うのは許されていないと主張している。少年は村から離れた放牧地に送られ、成人儀礼を済ませた者を含め、そこでできるだけ長く過ごしていた。少年の最初の妻は両親が選んだ。両親はすべての段取りを付けた後に少年を呼び戻して結婚させた。この時、少年は初めて将来の妻を見ることになる。しかし青年期におけるこの性的隔離にもかかわらず、そして、情報提供者が結婚前の性交渉は「聞いたことがない」と主張しているにもかかわらず、純血が守られていなかったことは、以下のようなその後の処遇から明らかである。

妊娠(および発覚)を避ける事ができた若い恋人たちに与えられる処遇について、私の情報提供者は語ってくれなかった。一方、妊娠してしまった未婚の少女の身に起こったことについては情報を提供してくれた。しかし、彼らは全員、そのような事例は決して多くはないことを強調した。未婚の少女の妊娠は、彼女の家族にとっていたって不名誉なこととされており、出来る限りその事実を隠そうとした。もし、それが明らかになると、不幸な少女はひどい中傷を受ける。彼女はすべての装飾品を剥ぎ取られ、それを再び身に付けることを許されないばかりか、髪の毛をカットすることもできず、不名誉な行いをした印として長くのばしておかねばならなかった。また、他の少女に影響を与えることのないよう隔離され、頭を洗ったり、顔や身体に通常のクリームを塗ったりすることも禁じられた。もし、彼女が成人儀礼を済ませていなかったとしたら、彼女は同年令の少女と一緒にその儀礼(bojale)に参加することを禁じられ、別に儀礼を受けた。さらに、彼女に妖術をかけようとする試みがなされることもあり、その場合にはお腹にいる子供ともども殺されるかもしれなかった。売春婦(seaka)といったような侮辱的な名前で呼ばれたり、夜間に彼女の屋敷を取り囲んだ他の少女や女性から嘲られたり、侮辱的な歌を歌われたりした。女性たちは、そのような歌の中ではあらゆることを表現する自由を与えられていた。例えば、次のような歌もそのひとつである。

 ・・・・・現地語の歌の歌詞・・・・・・

こうした歌が夜通しうたわれ、それを止めるものはいなかった。もし、妊娠した少女が怒り狂って外に出てきた場合、彼女たちは、彼女の言い分を静かに聞くが、聞き終わるや、さらに激しい嘲りの歌をうたいはじめるのだった。首長でさえ、それを止めることはできなかった。こうしたことは彼女が出産するまで続き、こうして彼女の妊娠は共同体全体が知るところとなった。この嘲りこそが、結婚前妊娠に対する最も熾烈な制裁だったとされている。というのは、少女はこの嘲りを何にもまして恐れたからである。

未婚の女性の子供は、堕胎されない場合、彼女の両親によって出産と同時に殺された。私の情報提供者は、堕胎が行われていたことを認めたが、その時、何か起こったかについては語らなかった。通常、妊娠が発覚すると、少女への監視が厳しくなり、子供は出産に至るのが普通だったと情報提供者は言う。子供を殺すことは罪には問われなかった。それは共同体全体の規律だったし、そうした子供を生かしておくことは恐怖だったからである。まれに子供が生かされることがあったが、その場合、母親は子供を皮の袋にいれて背負ってはならず、他の子どもたちと一緒に遊ばせたり、焚き火の周りに座らせることも許されなかった。

少女の愛人の処遇に関しては、ほんのわずかな情報しか入手できなかった。少女は母親から愛人の名前を言うよう強要され、その後、愛人の両親に事の次第が伝えられた。愛人が少女と結婚することを期待されていたかどうかについては議論がある。いかなる状況においても少女の両親はこの結婚を了承しなかったという情報提供者がいる一方、結婚できるなら結婚するよう強要されたと主張する者もいた。つまり、愛人がすでに連帯のメンバーであるなら結婚すべきであり、そうでない場合には、愛人の父親の弟のひとりが代わりに少女と結婚することになったのだという。いずれにせよ、愛人の行為はきわめて不名誉なものであり、彼の民族と家族を侮辱するものだったということについては一致していた。もし、愛人が成人儀礼を終えていなかった場合、儀礼に参加した時にきわめて厳しい処遇を受けたし、儀礼の最中に殺されることもあったという老人の証言もある。

証拠は少ないが、BaKxatla人が結婚前の妊娠をおぞましいこととみなしていたことは明らかだ。少女を嘲り、共同体のメンバーが呪われないよう子供を殺し、愛人に対しては嫌悪する・・・こうしたことすべてが、この類の出来事への人びとの強い非難を示している。現在、未婚の妊娠と既婚の妊娠との間には目に見える差別があるが、未婚の妊娠に対する態度は明らかに緩和されている。

現在の未婚者の性関係について

まず、以前はめったに起こらなかった結婚前の性交渉が、今やごく普通に見られる現象となっていることを記しておかねばならない。男女を問わず、BaKxatla人の中で、結婚時にまだ純血を維持している者はほとんどいない。7~8歳くらいで、彼らは性経験をし始める。少年と少女は一緒に遊ぶなかでmantlwaneと呼ばれる遊びをする。木の枝や葉で小さな小屋を建て、両親の生活の真似をするのである。「夫と妻」のカップルができ、たいていはダンスをしたり歌をうたったり、食事をしたり、「結婚」式のまねごとをする。しかし、遊びは性的な様相を呈することもある。狭い小屋の中で、少年は「妻」に腰布を取るよう説得し、添い寝をし、お互いに性器をこする動作を繰り返すが、実際の性交には至らない。子どもたちは両親と同じ小屋で寝るため、両親の営みをこっそり盗み見している。その結果、遊びに両親のまねごとが取り入れられるのである。少年たちはお互いにこうした愛の営みの成功率を自慢し、失敗した友達をからかったりする。時には、ひとりの少女を「妻」として2~3週間抱え込むこともあるが、一般に、かなりひんぱんに相手を取り替える。すべては遊びと見なされているが、同時にその実態を大人に知られないよう注意深く隠している。見つけられると、大人たちに鞭で打たれるからである。

そうこうしているうちに、本当の性交に至るのは時間の問題となる。Maxwane(mophatoに進む前段階)は性的な行動で悪評高い集団である。彼らは放牧地で過ごしているのだが、そこではセックスの話や少女の心を奪うための愛の呪薬meratisoを用意したりする。さまざまな儀式やダンスが行われる秋に帰村すると、少女にアプローチする。一緒に寝るようけしかけたり、強要したり、拒否されると鞭で殴ったり、ビーズや木のスプーンを贈って誘惑したり、時にはブッシュに連れ込んだり・・・・。少女があとで両親に訴えることもあるが、たいていは「あまりに辱められた」と感じるために言うこともできない。たとえ両親に言っても、あまり取り上げてはもらえない。Maxwaneは自由に振る舞うことを許されているからである。だから、法廷(tribal court)で裁かれることもない。良くて、少女の父親が少年を捉えることができれば、鞭で懲らしめる程度である。それすらも、なかなかうまくゆかない。

こうした性交渉は場当たり的なものであり、少女の方は納得しているわけではない。しかし、多くのmaxwaneや若い連帯の未婚の男性は、恒常的な愛人(dynyatsi)を抱えている。さまざまな小さな贈り物をしたり、愛の呪薬を使ったりして少女の心を射止め、一緒に寝るよう説得するのはそう難しいことではないようだ。最初少女はためらうが、それは最初から一緒になることを了承するのは「良い形」ではないからではないこと、そして主に妊娠することへの恐怖からである。しかし、妊娠しないように注意すると約束することによって、男性は目的を達し、以後その少女を、お互いの恋愛感情が続くかぎり愛人として扱う。男性は夜間に彼女の小屋を訪ね(年長になると少女は自分の小屋を持つ)、夜遅くまで彼女と過ごす。私が知っている未婚の男性で、こうした愛人のいない者はほとんどいなかった。これがごく普通だったのだ。愛人を持たない未婚の男性は、むしろ嘲りの対象となった。こうした関係は通常数ヶ月続き、そして別れる。しかし、愛情が深まり、結婚に至るケースもある。最近では、少年の両親が妻を選ぶことも少なくなっている。少年が自分で相手を見つけ、付き合った後に両親に話をする、両親が了承すると、必要な交渉事が両親によって進められるのである

未婚の少女が既婚男性の妾となっている場合がある。以前は、そういう少女はおそらくその男性の妻のひとりになったし、今でもまだ、そういうケースが見られる。しかし教会が一夫多妻に強硬に反対しているため、一夫多妻制は目に見える形で崩壊している。この類の内縁関係は、両方ともに未婚のままでいるより永続性がある。妾となった少女は法的には妻ではないが、実質的には妻だと言ってよい。しかし既婚者はたいてい、かつては死んだ夫の兄弟によって相続されていた若い寡婦を妾にするか、あるいは長期にわたって夫が出稼ぎで留守にしている妻のもとを訪れることが多い。

 結婚前の性交渉に対する社会の態度

 一般的に言って、BaKxatla社会における内縁関係への人びとの態度は多様である。教会の重鎮でもある私の昔からの情報提供者は、この関係を恥ずべきものとして非難するが、あまねく広まっており、それに対する人びとの態度は寛容であることを認め、道徳的退廃を嘆いている。一方、この関係を大した問題ではないとして、擁護する人もいる。その理由は後で述べる。当然のことながら、若い男性はこの関係を認め、妾(dinyatsi)について自慢したりしている。全般的に言って、内縁関係は、Kxatlaの慣習法で正式に認められてはいないが(とりわけ未婚の男女の場合)、今や社会的に容認された慣行となっている。

娘の純血についての両親の対応についても、同様に多様な反応が見られる。男性の訪問客を受け入れるよう、ふたりで過ごせる場所を確保してあげる両親もいる。母親の中には、若い男性を魅惑するための愛の呪薬の効用を娘に教えるものもいる。こうすることによって、娘が他の娘より魅力的であることが証明されることを喜ぶ母親もいる。また、そのような少年のひとりが娘と結婚にいたることを望む者もいる。あるいは、もっと戦略的に、娘を売春させて、妊娠したら罰金としての牛をせしめようとする母親もいる。さらに、結婚した時に処女だと性交の時に夫の背中や太ももを傷つけるかもしれないので、結婚前に経験しておいた方がよいと考える母親もいる。(同じ理由で、処女ではない少女と寝る方がよいという男性がいる-その方が快感が増し、怪我も少ないと)。以上のように、娘の結婚前の性経験を薦めるのはもっぱら母親である。父親はあまり寛容ではないが、妻に反対されることを恐れて口出しはしない。

少数派であるが、娘の道徳に厳格な両親もいる。男性の訪問客を喜ばず、訪問されたとしても、娘とふたりきりで小屋にいるような状況は決して許さない。妊娠さえしなければ、誘惑したとしても何ら法的賠償は生じないし、アフリカ人の法廷はこの種の訴訟を裁くことを拒否するだろう。しかし、少女の父親もしくは保護者は、現行犯を捉えたなら、肉体的な罰を与える権利を認められている。一般的に、男性は、許しを得ていない少年が娘を頻繁に訪ねてくる時には、相手の父親のところに行って、「お前の犬を縛っておけ!」という風に苦情を言う。父親は、娘のところに行くことを禁止し、もし行ったら、お前を鞭打つだろうと息子に忠告する。娘の父親は、少年が娘の小屋を夜間に訪れている現場を見つけたりすれば、少年をこっぴどく叩くだろう。婚約していない少年が娘の小屋を訪ねるのは禁止されているからである。娘も叩かれるが、口頭で叱られるのが一般的である。時には、怒り狂った父親が、少年の父親に報告する前に少年を打ちのめすこともある。翌日になってそのことを知った少年の父親が、リネージのメンバーを従えて状況を視察に訪れる。娘の父親は説明し、事は収まる。少年やその父親たちは、少年が被った傷についての補償を請求する権利はない。

未婚女性の妊娠

 誘惑する男性に対して実力行使が行われるのは、妊娠が確認された時だけである。BaKxatla人は、妊娠を避けるためのいくつかの方法を実践している。その中で最も一般的な方法は、性交の前か後のどちらかに、生薬の煎じ薬を飲んだり、それで身体を洗ったりすることである。しかし、それが効果的だとは誰も思っていない。唯一の実効性ある方法として知られているのが、性交の中断(coitus interruptus)である。これすら、実際には信頼できるものではない。とりわけ、若者が認めているように、しばらくすると注意が散漫になって、中断するのを怠るようになるからである。その結果、少女たちは、遅かれ早かれ、妊娠に気づくことになる。最近では、多くの少女がこうして結婚前に「スポイルされる」ことをすべてのBaKxatla人は認めている。というわけで、家系図を作成する時には、女性の名前が挙げられる度に、その女性が未婚であるとされる場合にも、子供がいないかどうかを尋ねる必要があることを認識した次第である。私が詳細な調査を行ったSikwane 村の15家族の中で、子供がいる未婚女性のいる家族は7軒だった。一方、子供のいる既婚女性のうち2人が未婚で子供を生んでいた。こうした家族は例外的なものではなく、未婚で子供を産む比率は民族全体でもかなり高いと考えられる。

妊娠したとわかった時、中絶する少女もいる。木の根や球根を利用する場合もあるが、多くはインクと粉末にしたマッチの頭を混ぜて飲むというひどい方法を使う。商店で手に入れられる「washing blue」という強力な溶液もよく利用されている。良い結婚をさせたいと願う母親がこうした少女の手助けをする場合もある。自分に責任がない限り、子供のいる女性と結婚しようとする男性は多くはない。中絶がkxotla(長老会議)に知られると、少女の父親は2~3頭の牛を罰金として支払うことになる。一般に、事はできるだけもみ消される。長老会議に正式に報告されない限り、公的には発表されない。しかし、少女の行為は親族や友人たちによって非難され、愚かな少女だと思われる。ほとんどの少女は中絶をしないで子供を産むが、その子供が殺されるケースも最近では見られなくなった。その事自体が、大きな変化である。

「スポイル」された少女に対する最近の一般的な人びとの反応は、緩やかな否認である。まだこのようなことを不名誉だとみなす家族もいるが、一般にはそうは思わない。少女は両親から叱られるかもしれないし、年配の女性は彼女を「私生児を産んだ女性」、もしくは「従順でない女性」と呼んだりするが、全体としてそれほどひどい扱いは受けない。彼女の知り合いが、表面的には同情しながらも、彼女を意地悪な目でみることはある。嘲りの歌は過去のものとなり、少女が妊娠した他の女性と区別されるような特別なタブーは観察されなくなり、子供も普通の合法的な出産のケースと同じ儀礼で迎え入れられ、母親は子供を育み、子供を連れての外出も普通に行う。しかし、彼女が教会のメンバーである場合には、教会による公的な非難にさらされる。そして、すでに述べたように「スポイルされていない」女性のような良い相手としては考えられない。しかし、大勢の未婚女性が母親となっているため、誰も自分を恥ずべき存在だとか卑しむべき者であると感じる必要もない。そのような少女の何人かに会ったが、彼女たちは他の少女たちと同様に朗らかで生き生きとしており、罪悪感というものは持っていない。愛人に捨てられた時にだけ、彼女たちは悲しい気持ちになり、そんな時に歌う以下のような哀しい子守唄がある。

 -英語訳が添えられた現地語の歌詞-

少女の愛人の処遇

 少女を妊娠させた少年は、彼女の父親に牛を罰金として支払わねばならない。その際、牛は4頭と決められている。もし少女が数人の愛人を持っていた場合にどうなるのか、と私が尋ねると、その場合には最後の愛人に責任があるとの返事が返ってきた。現在の結婚前の性的関係を象徴するつぎのようなコメントがある。

少女の妊娠が明らかになるやいなや、少女は愛人の名前を白状するよう母親に言われる。それを聞いた父親が、相手の家族にその事を報告する。もし少年が自分に責任があると認めた場合、少年もしくは彼にかわって少年の父親が相当数の牛を支払い、事は法廷外で処理される。この罰則は、少女が誘惑されるケースが多くなった30年ほど前に首長のLentsweによって決められたものである。罰金の牛は少女の父親に支払われる。その理由は、娘を誘惑されたことによって父親が被った損害を補償するためである。しかし、最近、子供の育児のために提供されると考える傾向が出てきた。現に、母親となった少女がその牛の所有権を主張した事例をいくつか知っている。そのような場合、首長は3頭を娘に、そして1頭を、彼の家の「扉を開けた」ことへの支払いとして娘の父親が所有することを認めた。

少女の愛人が彼女と結婚し、彼女もそれを望んでいる場合には、罰金を支払うことを要求されないが、彼は通常の婚資boxadiを支払わねばならない。愛人が罰金を支払い、その後、少女と結婚したいと思っても、すでに支払った罰金の牛は取り返せないし、加えて、婚資も支払わねばならない。婚資が支払われねば、結婚は許可されない。花嫁が妊娠していたり、すでに母親になっていたりする結婚の場合は、通常の結婚とは異なり、慣習となっている祝宴は催されず、しかも少女が正式にメンバーとして再び受け入れられない限り、教会(tribal church)での結婚も許されない。

少女を妊娠させた少年が、その事実を否認し、罰金の支払いを拒んだ場合、彼のリネージ(kxoro)の長老(kxosana)に報告される。長老は、子供が生まれるまで待つよう、両方の親に告げる。子供が生まれると、少女の父親が法廷(local court)に報告する。2~3ヶ月後、関係者すべてが、子供を連れて法廷に集まり、長老が裁定を行う。子供が父親だとされる少年に似ているかどうかが調査される。その少年が、さらに父親であることを否定する場合、少女は、彼が夜な夜な彼女を訪れていたことを証明できる目撃者―例えば、彼が彼女の小屋を訪れた時に居合わせた女の友人―を証人として出廷させねばならない。もし、それで少年に責任があるとされると、彼は指定の罰金を支払わされる。その罰金は少女側が受け取る。追加的な支払いが法廷になされることも、それ以上の罰が下されることもない。彼は法廷で譴責され、教会から非難されるが、それを除き、一般の人びとがこのことに関心を示すことはなく、彼の罪は直接被害を被った人びとを除き、ほどなく忘れられる。少年は、少女と結婚するよう圧力をかけられることも、少女にたいして年配の女性たちが示すような嘲りの対象となることもない。

私生児を産んだ少女が、同じ相手かその他の愛人との間に再び子供を作った場合、最初の事例と同じように彼女の父親に通常の罰金が支払われるなら、少年が法廷に連れ出されることはない。というわけで、両親の中には、意図的に娘に不道徳な生活をさせたり、売春的な行為をさせたりして、罰金の牛を入手しようとする者もあるようだ。こうした両親は他の人々によって蔑まれているが、再三にわたってこのようなことを行うのでない限り、放任されている。

妊娠させたことに対して支払われる罰金が、少女の両親によって全額返却される場合がある。少年が姻戚関係にあったり、同じリネージ(kxoro)に属していたりする時である。「背中のハエは手で叩かれるが、お腹のハエは潰される」ということわざがある。つまり姻戚への罪は厳しく問われないが、よそ者の場合には好きなだけやっつけて良い、という意味である。少年たちは、他のリネージdikxoroの娘を妊娠させないようにとの警告を年配の男性から受けることさえある。その場合、罰を免れることはできないからだ。一方、(外婚制ではない)リネージ内での妊娠は大目に見られ、罰金を支払わなくてもよい可能性がある。交叉イトコ間のケースはとりわけ寛大に処理される。かつて、男性の交叉イトコは彼の第一夫人になることが期待されていたが、保守的な人びとを除き、今では、この慣習は廃れつつある。しかし、少年は交叉イトコと結婚はしなくとも、きわめて親しい関係を結ぶことが許されている。「君の交叉イトコは君の妻、かの女と寝ても恥ではない」というフレーズもある。もし、交叉イトコが妊娠したなら、彼女の両親は罰金の支払いを要求できるが、実際には、彼の家族との仲が悪くなることを恐れて、そうしないのが通例となっている。

婚約者との間での妊娠も、同様に大目に見られている。彼は夜遅くまで彼女とふたりでいる権利があり、婚約中の性交渉は、彼女の両親の反対もない。たとえ妊娠したとしても、婚約者が結婚するつもりでいる限り、懲罰は課されない。彼が妊娠させた少女を捨てようとした時にのみ、婚約を履行するよう圧力がかけられる。婚約を履行しない場合には、厳しい罰則が待っている。私が最後にBaKxatlaを訪れた時、実際にこうした事例が起こった。私の情報提供者のひとりだった雨乞師のRapedi Ltsebeの娘は、他のリネージの若い男性と2年間ほど婚約していた。彼は何度か彼女と寝、その結果、彼女は妊娠した。その後、彼はヨハネスバークに出稼ぎに行ってしまった。子供を産んだ後、この少女も衣類や必需品を入手するために出稼ぎに行きたいとの意向を示した。相談を受けた男性の両親は反対しなかったので、彼女はルステンガークでしばらく働いた。しかし、彼女のフィアンセは出稼ぎから戻ってこのことを知り、怒り狂い、結婚することを拒んだ。Rapediは彼を納得させようとしたが、失敗し、結局、事は首長の法廷に持ち込まれた。Rapediは、フィアンセが娘に子供を産ませたことに対しての恨みは持っておらず、娘と結婚はして欲しいと繰り返した。フィアンセは、それに対して、結婚する意思はないこと、子供の養育権は欲しいこと、子供は責任持って育てると答えた。その後の議論で、数人の男性が、もし、妊娠させていなかったら事は違っていたかも知れないが彼女を残して出稼ぎにいったのは悪いとフィアンセに伝えた。こうしてフィアンセは契約を履行せねばならなくなったが、フィアンセが拒否し続けたので、首長は、娘を妊娠させたことでフィアンセの罪は大きいという事実を強調し、フィアンセに敗訴の判決を下した。フィアンセはRapediに5頭の牛を支払い、法廷で裁判に関わった人びとへ屠殺した動物を提供するよう言われた。子供は、婚資が支払われなかったため、Rapediのもとに引き取られた。

よく起こることだが、婚約した少女がフィアンセ以外の男性の子供を妊娠した場合、彼女の両親はその事実を婚約者とその親族に知らせる。婚約者側は、それによって婚約をキャンセルするか、それともその少女を家族の一員として受け入れるかを決める権利を持っている。もし、婚約者が婚約をキャンセルすると決めた場合には、愛人は彼女の父親に、慣習によって決められた罰金に加えて、婚約時に婚約者が少女に贈った物品を賠償しなけければならない。しかし、フィアンセが結婚すると決めた場合、フィアンセ側が少女の父親に愛人への何らかの行動を起こすよう主張しない限り、愛人に対しては何も要求されない。少女の父親に支払われた罰金に対しては、フィアンセ側には請求権はない。結婚に際しても、子供ならびに母親を引き取るかどうかを決めるのはフィナンセである。フィアンセは、婚資を支払うことによって子供の養育権を入手できるが、もし彼がその権利を主張しない時には、子供は母方に引き取られる。

このような事件は、1931年に私がBaKxatlaを訪れた時に起こった。すでに婚約していた少女が婚約者以外の男性の子供を妊娠したのである。少女側がこのことをフィアンセの父親に報告した。父親はフィアンセである息子に相談した後、娘を家族の一員に迎えたいと答えた。子供が生まれると、フィアンセ側は彼女の両親に招かれ、名前を付けるよう言われた。その際、再びフィアンセ側は、子供と母親を迎え入れる意思を表明した。しかし、少女は新しい愛人が好きだったので、婚約の履行を拒否した。その結果、少女側はフィアンセ側を訪れ、婚約の終了を望んでいると伝えた。フィアンセの父親はこれを受け入れなかった。両者は話し合いをするために集まった。少女側は婚約時の贈り物を返却することを申し出たが、フィアンセの父親は「品物はいらない。少女を愛しているから、少女を嫁にもらいたい。もし少女を奪い去るとしたら、それは私を殺すようなものだ。しかし、私はまだ生きているので、あなた方に思い罰金を課そう」と答えた。彼は、法廷に訴えることを提案したが、法的に不利な立場にあることを知っていた少女側は、彼の条件を聞いてそれを受け入れる方を選んだ。長い議論の末、彼は6頭の牛の補償を求め、少女側はそれを受け入れた。この牛は、フィアンセ側が婚約の贈り物と少女を失ったことへの賠償として支払われた。少女は愛人と結婚し、子供への権利も確保した。

 結婚前に生まれた子供の地位

 未婚の女性の子供は「ひと腹の子」とか「外で生まれた子」とか「妾の子」などとさまざまな名前で呼ばれている。一般的に、そのような子供はないがしろにされ、母親以外の誰も関心を示さない。他の子供と遊ぶが、けんかが起きると私生児であることが揶揄される。「父親のいない子とは遊ばない」、「おまえはひと腹の子だ」、あるいは「私生児」という表現も聞いたことがある。子供は泣きながら母親のところに行くと、母親は罵った子供を殴りにでてくる、といった具合である。こうして、けんかはしばしば大人を巻き込み、罵詈雑言が飛び交ったりする。老人はそうした子供の存在に、悲しげに頭を振る。かれらはそれが共同体の健康を徐々に害していると信じているからだ。「こうした子供は、首長やヘッドマンと一緒に焚き火に当たり、彼らを病気にし、死に至らしめる」と言う。しかし、若年層は、こうした考えを迷信であり偏見だとみなしている。彼らは、父親がいないということで軽蔑する傾向はあるものの、私生児と交流することを何とも思っていない。

通常、愛人が結婚してくれない場合、生まれた子供は少女の家族のメンバーとなり、法的な保護者は彼女の父親か、もしくは彼女の兄弟とある。同じリネージ、同じトーテムのメンバーが子供の面倒を見るが、一般的に他の子供より酷な仕事を割り振られる。その子が女の子である場合、結婚時の婚資は彼女の母親の父親か母親の兄弟に支払われ、彼女の父親には支払われない。この事実は、きわめて重要である。というのは、Kxatlaの慣習法では、少女の婚資は彼女の法的な保護者に支払われ、彼がその他のメンバーに分配するとされているからである。この特別な事例では、母方の親族への婚資の支払いは、母方の親族が彼女の保護者であると見なされていることを示している。別の言い方をすれば、生物学的な父性の事実が認められていても、父親は子供の社会的もしくは法的父親とは認められていないのである。

しかし、すでに見たように、愛人は彼女と結婚する権利をもっており、彼が結婚するならば、子供の保護者となることができる。母親のための婚資の支払いによって、彼は社会学的な父性を確立することができるのである。子供が女の子の場合、その子が結婚する時には婚資を受け取る資格を持つことになる。時には、愛人が結婚することなく子供だけを引き取りたいと主張する場合がある。しかし、そのような時には、彼女を妻とするようあらゆる努力がなされる。しかし、法的には、1頭か2頭の牛を、通常の罰金である4頭の牛の他に支払えば、彼は子供の養育権を請求する権利を認められる。この追加的な支払いは「子供を掘り出す」と言われ、彼が罰金を支払う時か、それともそれより少し後のいずれかで行われる。後者の場合は一般的に結婚した女性との間に子供がなく、結婚前の妾の子供を嫡出子として認知する際に行われる。しかし、子供は彼の庇護下に入るか、母親側にとどまるかを選択する権利がある。もし母方に留まる場合には、父親の牛は受け取られず、子供への権利を失う。こうした追加的な牛が慣習法にのっとった罰金と同時に支払われる場合には選択肢はない。子供は乳離れするやいなや父親に引き取られる。「子供を掘り出す」と命名された牛は、成長するまでの子供の養育のためと見なされている。子供を引き取った時点で、父親は子供に関する権利をすべて引き受けるしたがって、引き取った子供が女の子の場合には、彼女が結婚する時に支払われた婚資を受け取る権利を与えられる。

私生児に対する父親の権利が効力を発揮する場合がある。「延期された婚資」と言われる場合である。すでに見たように、既婚男性が妾を持ち、彼女のもとを定期的に訪れることがある。特に妻に子供がいない男性に多く見られるのだが、この場合、妾が妊娠しても通常の罰金を支払うよう要請されることはまずない。妾側は、男性が女性と子供をきちんと養っているかぎり、この関係を承認する。また、少年が貧しくて婚資の牛を支払えない場合には、娘の両親は、小さな祝宴をひらいた後、少年が定期的に彼女の家を訪れるか、もしくは娘を自分の家に連れて行くことを許可することもある。少女が妊娠し子供を産んでも、男性に対する罰則は課されない。

上記の事例ではともに男女の関係が恒常的であるとみなされ、女性側の了解が得られる。しかし、婚資が女性側に支払われないため、それは正式な結婚とは見なされない。その結果、生まれてくる子供は、法的には男性の子供ではない。しかし、男性が権利を主張すれば承認されるし、究極的には、彼の最初の娘が結婚すると法的な権利を認められる。だが、父親である彼は、娘のために支払われた婚資を受け取ることはできず、婚資は娘の母方の親族が受け取る。それは、まずは娘の母親のために支払われるはずだった婚資の代替とみなされるのである。「これらの牛は彼女の母親が結婚するためのものである」といわれるのはそのせいである。少女の父親がこの牛を自分のものだと主張し、娘の夫から受け取った時にそれを引き渡すのを拒否することがある。しかし、裁判になれば、これらの牛は女性側が受け取るべきだと宣告される。娘の婚資を受け取るまでは、彼女の再生産力は娘の家族に帰属するので、彼女の最初の娘のために支払われた婚資は娘側が受け取ることになる。その後はじめて父親は他の娘に支払われる婚資を受け取ることになる。

同様な慣行が、婚資が何らかの理由で延期された時に行われる結婚の場合にも見られる。キリスト教が導入されてまもなく、宣教師は、およそ20年間、すべてのクリスチャンの結婚における婚資の禁止に成功したということはすでに述べた。しかし、これは、婚資に関する慣行を行わなくて良かった最初ではなかった。BaKxatla人が近隣の民族との内戦と抗争に明け暮れていた19世紀の20~30年代、婚資の牛を調達できないほど貧窮化したことがあった。その状態が復旧したのはPilane首長が登場してからのことだった。Pilaneは人びとを集めて会議を開き、婚資の支払いを再開するよう命じたのである。その間、少女の両親の同意だけで結婚は有効になった。しかし、夫側は常に結婚は完了していないということ、したがって子供は妻の両親の養育権の下にあることを認識するよう期待されていた。もし、彼の長女が、彼女の母親に婚資を支払われる前に結婚した場合、少女のための婚資として彼が受け取った牛は、彼の妻の父親か兄弟が受け取ることになった。このようにして彼の結婚は最終的に承認され合法化されたのである。

現在でもこの慣行は、教会の規律が効力を持っていた期間に結婚した男性の事例にも該当する。MaKobaとかMaJankoといった連帯のメンバーの多くは、婚資なしに結婚している。しかし、彼らの娘が結婚年齢に達した今、彼らは自分たちが結婚した時に支払うべきであった婚資を支払い始めている。かれらは、長女の婚資を手渡すのを待つより、このやり方を選んでいるのである。ここで、婚資なしに妻を娶ったある男性の事例を紹介しておこう。彼の娘は金持ちの男性と婚約し、彼はそのことを長老会議で明らかにした。その会議で彼は、まず婚資を支払わないなら、娘への婚資として受け取ったすべての牛は妻側に支払われねばならないと言われた。娘の夫から多数の牛を受け取ることになることを知った彼は、婚資としていそぎ4頭の牛を妻の兄弟に手渡した。他にも、婚資が禁じられていた期間に結婚し、2人の息子をもうけたある男性が、妻が死んでしまったため再婚しようとした。しかし、首長は、彼はまず死んだ妻への婚資を支払わなければならない、さもなければ、2人の息子はかれの息子とは認知されず、母方の叔父たちに引き取られることになると言われた事例がある。

婚資を支払う前に夫が死ぬ場合がある。そのような場合には、彼の長男に、「私が私の母を結婚させる」という言葉を添えて彼の母方に婚資を支払う義務が生じる。彼がそうしない場合、彼のすぐ年下の妹が結婚する時に受け取る婚資を引き渡さねばならない。もし、妹がいない場合、彼はどこかで牛を調達しなければならない。さもなければ、彼自身が母親の家族のメンバーだと認知されてしまうからである。こうした事例から、結婚は婚資が支払われないうちは完了しないと考えられていることが明らかである。そして、子供が父親のもとに留まっていても、母方は婚資が支払われない限り、子供を要求する権利を保持していることになる。しかし、上に述べたように、そうした子供の地位は、母方が認めていない関係の女性から生まれた子供の地位より正規の子供の地位に近いということは記しておく必要があるだろう。「私生児」とみなされるのは、後者の場合だけである。2人の関係を少女側が容認していれば、婚資が支払われなくても、彼女の子供は父親のいない子供のようなスティグマを抱えることはないのである。軽蔑されるのは、行き当たりばったりの性関係から生まれた子供なのである。

もし、子供の本当の父親が母親と結婚しなかったり、上述したような方法で養育権を請求したりする場合には、彼女と正式に結婚する男性がその子供の保護者となる権利を持つ。ただし、女性の愛人が彼女を妊娠させた罪により罰金を支払っていなかったならばのことである。もし罰金が支払われていたならば、子供は女性の両親の手元に置かれることになる。この考えを支えているのは、罰金を支払った本当の父親が、後に追加的な牛を支払うことによって子供の養育権を請求する権利を留保しているということである。しかし、もし愛人が罰金を支払わない場合、女性の夫は結婚する時に、子供も引き取るかどうかを問われる。彼はそれを拒否することもできる。その場合、子供は母方に引き取られる。しかし、彼が引き取ることを了承するとしたら、彼は追加的な家畜を支払わねばならない。この動物は、母方に対する子供を育ててきたことへの補償と見なされており、女性の愛人によって支払われる牛と同じ機能を持っている。

以後、子供は女性の夫の子供としてみなされる。そして、もし女の子がいれば、結婚の時に支払われる婚資を受け取る権利を与えられることになる。同時に、matlaanyaと呼ばれているこうした子どもたちは、男性がこれから産ませるかもしれない子供より先に生まれていなければならない。たとえば、相続の場合、男性が結婚したあとで生まれた最初の息子が第一相続人として認められるのだが、彼が結婚した時に引き取った子供たちであるmatlaanyaも、彼が追加的な婚資を支払った時点で自分の子供だと認知しているため、相続分の一部をもらう権利がある。このことは、最近、小さな村のヘッドマンが死んだ時にたまたま明らかになったことである。この男性は、結婚前に他の男性の子供を生んでいた女性と結婚した。彼は結婚時にその子を引き取り、その後、数人の息子が生まれたが、この息子たちは彼が死んだ時、まだ幼かった。そこで、誰がヘッドマンを引き継ぐかが問題となった。首長やアドヴァイザーが呼ばれて協議した結果、女性の最初の息子は、この父親の息子ではないため、後継者になる権利はないと判断され、後継者は、ヘッドマンの長男との判断が下された。しかし、女性の最初の息子も牛と土地の一部を相続することを許されたのである。この事例から、未婚の子供たちは、母親が正式に結婚することによって法的に認知されるが、父親が違うということで不利な立場に置かれていることが明らかになった。結婚前に生まれた子どもたちが、その後に生まれた子どもたちと同等の地位を与えられ、長男が相続人として認められるのは、女性の愛人が彼女と正式に結婚した時のみなのである。

 現在の態度を裏付けている要因

 これまで述べてきた状況を総括すると、結婚前の妊娠に対するKxatla人の態度に決定的な変化が見られたことがわかる。女性が受けていた昔の厳しい罰則は、緩やかな蔑視の形態に取って代わっている。彼女につきまとった侮辱や、侮蔑的な歌は過去のものとなった。生まれた子供が殺されることもなくなり、通常の生活が送れるようになっている。ただし、母親が未婚のままでいる限り「私生児」というスティグマの下での労働を強いられてはいるが・・・。しかし、母親がその後正式の結婚をすれば、未婚の時に生まれた子供も母親もそうした状況から解放されている。女性の愛人に罰金を課すということは、ひとつの革新であるとみなされており、人びとは、昔の制裁は不適当でありすでに過去のものとなったという事実を理解している。

結婚前の妊娠と共同体の見解

 結婚前の妊娠に対する共同体の態度は総じて寛容になったが、そのような妊娠はまだ完全に許されてはいないことは強調しておく必要がある。女性がそれほど苦しまなくなったということは事実であるが、彼女が尊厳を取り戻すためには結婚しなければならないし、彼女の愛人に課される罰金も、共同体が未婚の妊娠は罰則に価する罪であると考えていることを示している。子供の側でも、母親が結婚するまでは不利益を被るし、結婚後でも相続や後継問題に関して、合法的に生まれた子供と同じ権利を与えられているとはいえない。こうしたことはすべて、BaKxatla人がレジティマシーの原則をまだ保持していることを示している。共同体は確かに規律違反に対して寛容になっているが、結婚した女性のみが子供を産み、父親のいない子供は他の子供と同じ権利を与えられていないという状況は続いている。

こうした変化の原因はさまざまである。まずは、結婚前の性交渉が以前より抵抗なく行われるようになったということが挙げられる。このことに関しては、次の成人儀礼を受けることになっている少年たち(maxwane)に許されていた自由が背景にある。というのは、少年たちは、期待されていたように、こうした性癖を、責任を担わなければならない大人になっても易易と捨て去ることがないからである。私の情報提供者はいずれも、かつてこのような自由はmaxwaneには許されていなかったと言う。しかし、なぜ、最近になってこのように変化したのかを説明できなかった。彼らは、これは共同体全体に見られる道徳的退廃の一部だと、諦め顔で言う。昔の成人儀礼の廃止に原因があるのではないかと言う人も中にはいた。そこでは、儀礼において純血の重要性が強調され、それが貞節を守ることになっていたというのである。昔の両親は子どもたちの行動には可能な限りの支配権をもっていた。今日では、成人儀礼がかつてのように青年たちに大きな影響力を持ってはいない。その結果、両親の支配は次第に弱体化していっている。貞節は、成人式を終えていない者には要求されない。したがって、若者は以前のような道徳観念を持たなくなっている。

現地のエリートは、性的な自由の背景には、多くの若者が共同体を出て農村や産業センターのヨーロッパ人のもとで働きに行くという現状があるという。少年たちは定期的に帰村するが、少しすると税金や経済的物品を入手するためのお金を稼ぐためにに再び町に行く。町には性的誘惑があふれている。良い身なりで帰村すると、少女にモテる。彼女たちを誘惑するのは簡単だ。簡単に結婚の約束もする。しかし、少女が妊娠するやいなや、少年は白人の雇用主のいる場所へと姿を隠してしまう。

さらに、若者が町へと流出すると、村には結婚適齢期の女性が過剰になる。これは、原則として、少女は成人した後、結婚するまでに数年間は待たねばならないことを意味する。現在、男性の平均結婚年齢は25~30歳、少女は19~26歳である。私の情報提供者は、この期間、少女が貞節でいることは「自然に反する」という。早かれ遅かれ、少女たちの多くは若者の誘惑に負けるのだ。結婚はせずに、一時的な関係に留まる少女もいるし、既婚者の妾になるものもいる。首長の抵抗にもかかわらず、この傾向は増長しつつある。というのは、少女たちは結婚相手がいない村を出て、ヨーロッパ人の住む地域へと流出しているからである。彼女たちは、結婚するという希望を失い、村の規制から自由な空間を好むようになる。

若者たちを労働センターにおびきよせることによって、ヨーロッパ文明は否応なく原住民リザーヴの性行動のパターンに影響を与えてきた。その他の面でも、ヨーロッパ文明は同様な方向に作用している。リザーヴに設置された学校教育、ヨーロッパ文化の浸透は、若者世代に以前より自由な感覚を植えつけた。彼らはもはや両親を人生の導き手とはみなさず、ますます自分自身の責任で行動する傾向にある。息子の妻を両親が選んでいた時代は過ぎ去った。息子は自分で相手を選び、結婚の承諾を得てはじめて両親に結婚の手はずを頼むのである。少女もまた、両親が選んだ相手に諾々と従うことなく、自分の道を歩んでいる。中には、ボーイフレンドに妊娠させるように仕向け、両親を説得する娘さえいる。

ヨーロッパ風の短いスカートと無責任な行動が特徴のKxatla人のモダンガールは、自分から愛人を作るものもいる。いわゆるフラッパーと呼ばれる現象である。ある少年は私に、「両親が選んだ娘ではなく、心を奪われる娘、美しい娘、性交渉に慣れていてそう簡単には情熱的にならない娘がいい」という。年配の人びとは戸惑っている。

さらに、今や共同体の公式な宗教となっているオランダ改革派教会が一夫多妻を禁じていることもこうした状況の背景にある。ベチュアナランド保護領では、一夫多妻主義者に追加的な税金を課すことによって、この制度の全廃をねらっている。1930年の小屋税支払者に登録されている3574人の男性のうち、一夫多妻を実践しているのは73人だった。しかもそのうち2人以上の妻を持っているのは4人だけだった。その結果、以前なら第二夫人や第三婦人になっていたであろう多くの女性は、若者が結婚できるようになるまで待たねばならなくなっている。その結果が、妾の増加である。年配の男性は、正式の妻の他に1人以上の妾を抱えている。彼女たちは、かつてなら正式の妻となっていた女性たちである。一方、全員が結婚できないということを知っている少女たちは、妾という手段で生き延びるしかない。BaKxatla人の中には、こうした妾を不道徳だと非難する者もいるが、この慣行を擁護するものもいる。「若くて子供を産める女性はいるが、白人の法律がひとり以上妻を持つことを許さない。子供が産める可能性を、なぜ無駄にしているのか?」こうした見方はかなり広く共有されており、私生児に対する寛容な態度にも反映されている。教会のメンバーの中にも、ひそかに妾を持っている者はおり、その言い訳にこうした論理を使っている。人口増加率が低下しているという印象を持つ者は多く、妾を持つ男性は、そういう共同体を助けているのだとも言われている。「彼らは共同体の雄牛だ」という情報提供者もいる。そういう状況の中では不道徳な行いはもはやかつてのように深刻な規律違反とは見なされなくなっている。

結婚前妊娠に対する最大のペナルティだった侮蔑的な歌が消滅した責任は初期の宣教師にもあるとされている。彼らの反対は、歌のみだらさにあり、そうした歌を禁止するよう首長に圧力をかけたのだ。結婚前の性交渉への態度の一般的変化もあって、首長はこうした歌の全面的禁止を敢行した。その結果は以下のようなコメントに反映されている。「こうした歌は共同体のメンバーを憂鬱にしたが、同時に多くの少女を妊娠から救った。こうした歌は呪われたことで悲しみの感情を誘発したが、侮辱されることを少年や少女に恐れさせ、性交渉には十分注意しなければならないことを教えた。今、彼らは好き放題をやっており、多くの少女が妊娠している。彼らが今恐れねばならないのは宗教だけであり、それはかつての呪いのように怖いものではない。」教会の制裁はこうした歌より効果的ではなく、異教の教えにしがみついている民族に対する影響力は小さい。一般の人びとの意見はあまりにも寛容すぎる。    (富永智津子訳)