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【特論5】Ⅰ-⑪ メンデ社会の一夫多妻制 by E.H.Crosby(シエラレオネの事例)-岡野英之氏のコメントあり

【特論5】Ⅰ-⑪メンデ社会の一夫多妻制 by E.H.Crosby(シエラレオネの事例)

2014.12.17掲載 執筆:富永智津子

  E.H.Crosby, “Polygamy in Mende Country,” Africa, Vol X,No.3, July 1937

[本稿は1934年12月にConference of Missionaries at Segbwemaで発表したものと内容的には同じである。宣教師の視点とキリスト教の価値観から書かれていることは暗黙の了解となっている。純粋に社会学的観点からの議論を求めている人びとにとっては、おそらく必要な情報だと考えるので付記しておく。]

  一夫多妻は社会制度であり、財産、労働、男女の地位の差異といったテーマと密接に関連している。本稿が他の領域に越境するかに見えるとしたら、テーマのこの複雑さゆえであり、一夫多妻制は、社会組織と切り離して調査できるテーマではないからである。このテーマは、メンデ社会がいかにわれわれの社会とは異なるかを示す象徴的なテーマである。

 本稿は、婚姻儀礼自体を扱おうとしているのではないことを、まず、断っておきたい。それについては、すでに優れた論文が、Conference of Missionaries at Segbwema において発表されており(W.R.E.Clarle, “Mende Marriage Customs” 1933)、本稿はメンデ社会において一夫多妻制がどのような機能(working)を有しているかを明らかにすることを中心課題としている。その論文では、メンデの婚姻の法的手続きは、何段階にも分けて行われ、その都度儀礼と贈り物がなされる家族間の契約であり、個人と個人との間の契約ではないことが詳細に考察されている。何らかの理由で結婚がうまく行かず、妻が夫のもとを去り、戻らない場合には婚資(bride-wealth)は返却される。婚資(bride-price)の返却を法的に請求しない事例はほとんどない。

 婚資は保証金(earnest)と呼ばれてきた。この保証金は良い行いや正直さの保証であり、贈り物-今日では常に現金に換算して価値がはかられている-はこれから共に住むことになる女性を丁重に扱うという夫方の家族による保証だとされている。この解釈は、私からすると間違っている。もし、婚資が保証と見なされているとしたら、それを受け取るということは、娘の家族が娘の品行方正を保証することを意味し、婚資が高ければ高いほど、その保証度は上がる。というのは娘が夫の元を離れれば、婚資は返却されねばならないことを娘は知っているからである。このことは、なぜ多くの首長の妻が夫の元を去ることを何とも思っていないのかを説明している。支払われるものがなければ、失うものもないからである。(訳者注:あとで説明されるように、首長はさまざまな方法で婚資なしに妻を入手可能だったことを指している)

 このように、離婚が家族に及ぼす結果を考えると、妻は夫の元を去ることを躊躇せざるを得ず、その結果として、婚資は結婚の安定化に寄与している。メンデ人男性の無思慮な性格(improvident nature)を考えると、離婚がいかに深刻な結末をもたらすかは理解できる。こうしたことを考えて、婚資はかなり低く抑えられている。家族は、高額の婚資を与えたり、受け取ったりすることを恐れるのだ。その理由は、将来何かあった場合には、それを返却しなければならないことを知っているからである。しかし、離婚の際の婚資の払い戻しや再婚の時の支払いに関する法(laws)によって、婚資の額はある程度修正されている。というのは、女性が夫の元を去る場合、通常、他の男性が背後にいるからである。離婚した女性は、婚資の半分を払い戻すことが法廷(court)によって命じられる場合が多く、彼女と再婚する相手がそれを負担することが期待されている。

 メンデ社会では、父方居住と母方居住の婚姻が混在している。今日では父方居住が優勢であるが、かつては母方居住の結婚も、特に貧しい人びとの間では、決して珍しくはなかったと聞いている(訳者注:婚資が少なくて済む分を、母方に居住して労働奉仕で埋め合わせられるから)。メンデ人の間でかなりの程度母方居住の結婚が行われていたことは、メンデ人の人生のある局面で、母方のオジが重要な役割を演じていることによって類推できる。母親の兄弟の娘が息子と、父親の姉妹の息子が娘と結婚する交叉イトコ婚の形態は、メンデ社会では高く評価されており、このような結婚をした少女の立場を示唆する特別な用語がある。彼女は「山羊の頭」(nje wui)と呼ばれるのだ。息子が母方のオジに労働奉仕するということは良くみかけることだが、その息子はオジの屠殺した動物の頭を貰い受ける権利を与えられている。彼が熱心にオジに奉仕すると、オジの娘(イトコ)との結婚を期待できる(訳者注:交叉イトコ婚)。もし、結婚できた場合には、オジの責任は果たされたことになり、その娘(妻)は夫にかわって、動物の頭を貰い受ける権利を与えられるのである。しかし、ベンドゥ(Bendu)の首長は、家長は娘を同じ母親から生まれた姉妹の息子と結婚させてはならないという慣習法があると述べている(訳者注:並行イトコ婚)。これはケネと呼ばれ、メンデ社会では一般に認可されていない。メンデの用語は、息子とその母親の兄弟(オジ)との特別な関係をわれわれに示唆してくれている。つまり、ケニア(kenya)という用語は、母方のオジだけを指す用語である。父親の兄弟はケ(ke)と呼ばれ、自分の父親と同じ関係に位置づけられている-だから、オジたちの娘は、彼の姉妹とみなされる。そして、父親が死ぬと、父親の妻たちは、オジたちの妻となる。

 交叉イトコ婚が尊重されていたことは、母方の家族との親密な関係を示している。例えば、母方の祖母は孫の養育権を与えられており、女性の子供の法的な保護者はしばしば母方の家族メンバーである(父親ではなく。ただし、離婚の場合には父親が権利を主張する)という事実は、かつては、相対的に母方居住の結婚が重要だったことを示している。現在は、労働奉仕が現金にとって代わり、少女が自分の両親の集団を離れることが一般化している。

 社会的な発展の過程で、社会的・経済的に成功をおさめた家族が出現するやいなや、労働奉仕が現金や物品に取って代わられた。未開社会においては、おそらく、そうした格差は戦争によって引き起こされていたのだろう。富裕層や権力者の間では、息子を自分の家族から放出するという習慣は終焉し、妻による妻の家族への労働奉仕と夫による妻の家族への労働奉仕は現金と物品に取って代わり、妻が夫の家族と生活をともにするようになっている。社会が一夫多妻的になる契機は、こうした労働奉仕の代替が起こることである。というのは、同時に2つ以上の家族に労働で奉仕することは不可能であるが、もし、現金や物品が労働奉仕に取って代われば、それらを支払うことによって多くの妻を持つことができるからである。

 アフリカにおいて、一夫多妻制と奴隷制(serfdom)とがいかに密接に関係していたか、そして、ヨーロッパ人の到来が戦争と奴隷制に対して影響を与えたように、それがいかに一夫多妻制社会の均衡状態を揺るがしたかを理解することは重要である。未開社会(primitive community)の戦争の目的のひとつは、奴隷(slaves)と妻の獲得だった。メンデ社会においては、戦争で獲得した奴隷は、捉えた男性やその家族や妻たちの命令の下で、畑での重労働に従事させられた。首長が戦争で捉えた女性は、戦士や忠実な奴隷に与えられたり、彼自身の妻になったりした。そうした女性の暮らしは良いとはいえなかったが、捉えた男性が保護者となって彼女たちを守った。しかしそうした女性の子供は、家族の保護を受けることはなかったし、彼女自身も自由な妻の地位を与えられることはなかった。たとえば、奴隷の妻(slave wife)から生まれた首長の息子が首長の地位を継ぐことはなかった。しかし、全体として、戦争捕虜の奴隷(serfs)と妻は、ともに丁重に扱われ、現在の首長の妻の多くと同様に裕福な暮らしをしていたと思われる。

 戦争の時代は終わり、奴隷制(serfdom)だけが残った。私の知人の父親は、首長になる前に、奴隷村を6つも持っていた。こうした奴隷(serfs)は、戦争捕虜の他、売買されたり、負債やさまざまな犯罪のために売られたりした人びとだった。男性の権威は、奴隷と妻の数、および農園の大きさと富によって示された。男性奴隷(male slaves)を多く所有している男性がいたとしたら、彼はそれに見合った多くの妻を持っていたにちがいない。その比率は、維持されねばならない。多くの妻を持つ男性は、妻のために重労働をする男性の下僕をも所有しなければならないのだ。奴隷制(serfdom)の廃止は、この労働の分配バランスを乱したのである。ただし、多くの奴隷(serfs)が主人のもとを離れることがなかったこと、一旦は離れたもののまた戻ってきたものも多かった。こうしたやり方で、かつての奴隷たちは、再び新しい奴隷制(serfdom)に身を落ち着けることになったのである。

 ここで、私は「男性はどのように畑仕事をこなしているのか?」を問うことによって、別の角度からこの労働問題にアプローチしてみたい。答えは解明されるはずだ。いずれにせよ、この問いは重要である。というのは、保護領政府による1931年の人口調査によれば、男性の97.2%が、「農民」(farmer)に分類されているからである。

 まず、妻を持たない男性について。こうした男性は、普通は、両親と同居している。その場合、経済的に不自由のない状態であれば、彼が実家に留まることは彼にとって得策だ。もし、父親に、彼の実母より年上の妻がいる場合、彼とその実母は共に年上の妻の畑で働くことになる。そして同時に、彼は実母のために小さな畑(kpokpoi)を作ってあげる。もし若い男性が他の男性の妻(例えば首長の妻)を好きになったとしたら、ふたりは一緒に小さな畑(kpokpoi)を作る(訳者注:このパターンについては、あとで詳しくでてくる)。

 第二は、男性がひとりしか妻を持っていない場合である。この場合、男性は自分の両親の家に同居するか、もしくは妻の両親の家に同居することになる。すでに指摘したように、メンデ社会では、ふたつの別々の形態の婚姻が存在している。母方居住と父方居住である。母方居住は次第に消滅傾向にあり、社会的・経済的な発展に伴い、父方居住が優勢になりつつある。通常、男性は義母の畑で労働をするのだが、妻と一緒に自分の母親の畑で仕事をする事例もある。どちらの事例も、男性の妻は自分の畑を所有していない。母方居住の場合、畑は母親の所有であり、父方居住の場合、畑は夫の母親のものである。第一夫人でない限り、成長した息子が用意してくれるまで女性は畑を持てない。息子が母親のためにつくった畑は、息子とその妻たちが耕す。これは、両親が息子たちに最初の妻を娶ってあげることが慣例となっていれば合理性がある。しかし、実際には、すでに見たように、一夫多妻主義者の妻はしばしば男性の「友人」(friend)を持ち、彼が小さな畑(kpokpoi)を作ってふたりで一緒に耕す事例がよく見られる。

 第三に、男性にふたりの妻がいる場合。義理の両親と同居している男性が、もうひとり妻を娶るとしたら、それが、彼が義理の両親の元を離れる原因となる場合がある。というのは、若い妻は年長の妻の両親の畑で働くほど親切心は持っていないからである。もちろん、「貧者の結婚」とみなされている婚姻契約をした男性が、二番目の妻を娶るなどということは起こりえないが、もし、娶ろうとする場合には、もちろん義理の両親に相談する。両親が、その結果、娘や義理の息子の労働奉仕を失うことがわかっている場合には、義理の両親は決して認めない。すでに述べたように、こうした場合の結婚は、一夫一婦となる場合が多い。

 例外的に母方居住の結婚であっても一夫一婦ではないこともある。それは、メンデ社会で行われていた交叉イトコ婚の場合だ。男性がオジの娘と結婚する場合、婚資の額が小さいから、彼はオジの家族と同居しながら妻の母親の畑を耕すことを期待される。しかし、母親が畑を持っていない場合、彼は畑を彼女のために作ってあげることになる。もうひとり妻を迎えると、彼は義理の両親の家を出て、自分の祖先の叢林に畑を作って耕す。そういうことが可能なのは、叢林を所有していても使用されていない場合、その叢林は誰が使用しても良い事になっているからである。

 このように、ふたりの妻を持つ男性は、自分の両親が所属する集団の一部を構成する。そのプロセスには二通りある。まず、男性が婚資を調達できるに十分富裕な家族のメンバーであること、第二には、すでに述べたように、一方の妻の母親の畑で働くと、それが、もう一方の妻の母親との諍の原因となるということである。この場合、彼自身が自分の畑を作り、それを第一夫人が所有するという形をとりうるかもしれない。食料の生産と管理は男性の特権ではない。それゆえ、男性が食料を売却したい時には、第一夫人に相談せねばならない。第一夫人は「私の畑」「私の米」・・・という語り方をする。もし、男性の両親がまだ耕作しているとしたら、妻たちは、おそらく義母の畑で働くことになるだろう。第一夫人は自分の小さな畑(kpokpoi)を持っているが、この場合、若い妻たちがそこで働くことはない。しかし若い妻が義母の畑で労働してくれることによって、年長の妻は自分の畑で費やす時間的余裕を持てることになる。

 最後に、2人以上の妻を持っている場合。そこでの主たる問題は、叢林を開拓する男性の労働力をどうやって確保するかである。しかし、この問題は、単なる理論上の困難なのだ。妻たちがいないことにして、彼女たちの「友人」を雇えばいいのだ。例えば、Arunaの妻Jenebaは、何年も若い男性と同居していた。この若い男性はBlamaに行くことを計画していたが、出発前夜に、Jenebaとの不倫の罪で裁判所に提訴された。若い男性は罰金を支払うことができなかったので、そのままそこに居続けた。つまり、彼は農奴(serf)になったのである。

 商人や金貸しは、別の方法で必要な労働力を入手している。メンデ人の男性に借金癖があるとすると、その借金はかなりの額になっているはずだ。また、普通のメンデ人の男性は借金を返済する能力がないとすると、それによって債権者が持つ権力はかなりのものになるに違いない。状況はこれと似ている。複数の妻を持っている男性が、畑を作るために開墾する土地を必要としているとする。彼は債務者を呼び、ただちに負債の返還を要求する。債務者は、返済できないと抗議するが、明日裁判所で支払い方法を考えるようにと言い渡される。彼が慈悲を願い出ると、明日から債権者の畑の開墾を手伝うなら1ヶ月の猶予を与えると言われる。すると彼は、もし2ヶ月の猶予をくれるなら、弟を連れてきて手伝わせると申し出る、といった具合である。

 首長の権力を嵩に来て労働力を入手する富裕層の男性もいる。しかし、強制労働に関する条例(forced labour ordinance)によって、この慣行は終焉したと私は理解している。

 私が述べてきたのは、経済的な奴隷制(serfdom)である。このような奴隷制は社会制度としての一夫多妻の維持にとって欠かせないものだというのが私の見解である。

 ここまでは、私的な個々人について扱ってきた。首長層は、別に議論すべき特別な問題を抱えている。大首長の中には、驚くべき数の妻を所有している者がいるからだ。メンデ社会では、その最たる者が、Bompeの首長Bebe Gbekpaであると聞いている。彼は少なく見積もっても300人もの妻を所有しているという。

 首長の農園は首長国の人びとの労働によって維持されている。首長国の人びとの一部は、このような農園の維持を任されており、そのかわり、道路整備や首長の家の屋根ふきといった公共労働を免除されている。首長の妻たちは、このような労働を手助けしたり、彼らに食料を調理したりするために送り込まれている。もちろん、首長国毎に状況は異なる。大首長は何人かのお気に入りの妻(ndoma nyahanga)を身近に抱えており、彼女たちには労働させない。その他の妻たちは大首長の農園で労働し、若い男性と同居するチャンスを掴む。食糧不足の時、子供に与える食料に事欠いた多くの妻たちは、首長の温情を求めて訴えをすることもある。この状況は、女性が妹を同居させていることによってさらに悪化する。そうした時、妻たちは両親などに支援を頼むこともあるが、いわゆる「友人」を手に入れ、ふたりで小さな畑を一緒に作るのである。

 一夫多妻を実行している男性と妻との関係は、性交の頻度と関連しているとの見方は、ほぼ正しいと思われる。ひとり以上の妻を持つ男性は、3晩ずつ妻と過ごすというのが慣行となっているが、40人も妻がいる場合には、1晩ずつということになる。普通、何年かすると、古女房はそれぞれの家に放置し(おそらく年に1回ほど、権利を主張するためにだけ訪れる)、若い妻に心を集中する。クリスチャンに改宗したある男性は、兄は40人ほどの妻を持っているが、そのうちの何人かは若い男性と同居していると話してくれた。彼は妻たちを夜に自分のところに呼ぶなどというめんどうなことはしないし、それは妻たちの方でも望むところであり、彼も承知しているのだという。今となっては、彼が来るようにと言っても妻が応じない。法的にはこうした妻たちは彼の元を去ったわけではなく、彼は年に一度くらいは性交渉を持つ権利を主張し、おそらく同居している男性の労働奉仕を要求していると思われる。実際、彼からすれば、妻たちは彼の世帯構成員であるが、通常、首長は、疎遠になった妻の挙動には目をつぶっている。そういう時には、彼は妻がしていることを「忘れる」という言い方をする。

 すでに述べたように、状況は首長によってさまざまだが、首長の寵愛する妻ndoma nyahangaとの不倫には、この種の犯罪に課される通常の30シリングを越える重い罰金、もしくは財産の没収と両親の虐待といった結果が待っている。少女の両親も虐待されるかもしれない。さながら、放置しておいた妻への埋め合わせを、寵愛する妻によって行う、といったところである。こうしたやり方で、首長は妻を手に入れているのかもしれない。首長になる前に娶った妻には、婚資を全額支払っているという情報が私に寄せられている。首長になった後では、良くて名目的な婚資―おそらく二・三枚の地場産の布と少額の現金―を支払うだけなのだ。しかし、これには重要な例外があり、首長は妻たちの何人かには法外な婚資を支払っていると言われている。1ブッシェル(36.37リットル)の穀粒が8ポンド10シリング(eight and ten shillings)した当時、驚くべき高額の謝礼が、娘と引き換えに、首長の兄弟に支払われていたり、Gandehuの首長Mafindaは、自分の娘を100枚の布と引き換えにMustafaに与え、そのお返しに、Mustafaは100ポンドの現金と17ポンド以上もする1ベイルのサージを首長に支払ったりしている。

 付き合っている若い男性と一緒になりたいと思っている少女が大勢いることは確かなのだが(実際、私は、サブチーフとの望まない結婚をするより自殺を選んだ少女の事例を知っている)、それにもかかわらず一般的に言って、ほとんどの少女は首長と結婚したがっているということも、また確かなのである。首長との結婚によって、彼女たちは、素敵な服を着て、多くの気の合った仲間に囲まれ、楽な時間を過ごせること、いつか首長になる子供を産むこと、寵愛される妻(ndoma nyahanga)のひとりとなり、救いを求める人びとに手を差し伸べること、などを期待する。メンデ人の女性の大多数は、一夫多妻制に対しておよそこうした見方をしている。

 以下に、首長が妻を入手するとされる7つの方法を、もっとも一般的な順に列挙した。ただし、個々の首長がどの方法で何人の妻を入手したかのデータは持っていない。 

ⅰ)両親が甥のために(娘を)首長の妻にするケース(njagbei)。←意味不明
  (原文:In order that parents may have the chief for a nephew.)

ⅱ)首長やビッグマンが自分の娘を別の首長に与えるケース。

ⅲ)少女が女性組織(sande)での訓練から戻った時をねらって、首長が婚約者から少女を奪うケース。

ⅳ)少女たちをsandeに送り込むのを首長が手助けし、その後、少女を娶るケース。1930年にMoriwai Korowaという男性が首長国のすべての少女をsandeに  送り込み、そのすべてと結婚したということがあった。人びとはDistrict Commissionerにこの件を訴え、この首長は廃位された。

ⅴ)少女が首長と結婚させられたと主張するケース。その中には、首長の妻たちがsandeに参加している何人かの少女と仲良くなったという場合も含まれている。Sandeを取り仕切っている女性の多くは、通常、首長の姉妹や妻たちなのである。

ⅵ)首長が、すでに結婚している女性を奪うケース。

ⅶ)負債や罰金を支払えない家族の代償として娘が首長に与えられるケース。

 これらはすべて富者の掟(one law)とは別に、貧者の掟(another law)があることを示している。

 ひとりの男性が多くの妻を所有することは、それ自体が問題を引き起こす。まず、男女間の関係の乱れが引き起こされ、それによって性病が蔓延する。また、それは、経済的かつ知的発展に逆行する不健康な奴隷制(serfdom)の原因ともなる。

 すでに指摘したように、首長の農園は臣民によって維持されている。労働を統制する法的権利を持つ人物は大首長だけではなく、権力はやや劣るが、下位の首長たちやヘッドマンも持っている(訳者注:シエラレオネ研究者の岡野英之氏からの情報によれば、メンデの政治構造は3層からなり、上層がchiefdomを治める大首長、中層がSectionを治めるSection chiefとTownを治めるtown chief, 下層が村落を治めるheadmanである)。首長国の中には、首長のための農園(manja)を作る代わりに、米で年貢を納めるものもある。今年、大小にかかわらずどの農園にも半ブッシェルの年貢(kpokpoi ke ma-wele-gbalei)が課されるべきだと書かれたDaruからの手紙を見たことがある。一見、不平等なようにみえるが、その原理は正しいと思われる。

 特権的地位にある者、あるいは商人や金貸しは、一夫多妻を実践できる人びとである。一夫多妻を実践するには、資本を持っているか、それともそれを入手する手段を持っているかである。支配者の家族のメンバーであれば、もしくは商人であれば、ひとり以上の妻を娶ることができる。首長になったら、一夫多妻を実践する地位を手に入れたことになる。男性の労働力を手に入れる源はそれぞれ異なる。妻を持つ男性は、(訳者補足:妻と同居する)男性の労働力を利用できる。首長なら、(訳者補足:臣民に)労働を命じることができる。商人なら、他の投資家のように、金を貸すことによって、幸せな地位を手に入れられるだろう。

 社会システムとしての一夫多妻制は、少しも褒められたものではない。それは、戦争によって構築され、奴隷制(serfdom)の上に維持されている。交易による地域の拡大と戦争の終焉が、かつてないほど妻を入手するチャンスを個々人に提供してきたように思われる。

しかし、この類の一夫多妻は、息子が他人の妻と暮らすことによって、あるいは見合った婚資を支払われることなしに娘を失うことによって、家族が貧困化することを意味している。つまり、性病を増やし、不法な性交渉を奨励するほかに、不快で社会的に非生産的な形態の資本主義による社会的・経済的不平等の永続化を意味している。さらに言えば、人びとの心理的、道徳的、精神的な成長を阻んでいる。このことは、外国の文化の浸透にともない道徳的試練の時がやってきたこと、知的で精神的な成長の機会が訪れたことをも意味する。

 一夫多妻は、すでに述べたように、富者の特権である。その結果、既婚者の多くは一夫一婦(私の推定によれば50%)である。しかし、彼らにとってこれは必ずしも望ましいことではなく、状況によって余儀なくされているのである。そして、3人以上の妻を持つ者は約12%のみである。

 以下は、何人かの助けを借りて、推計を試みた結果である。

対象とした20の町と村の家屋数       1,641戸

既婚男性                  842人
既婚女性                 1,973
結婚年齢に達している未婚女性         84
結婚年齢に達している未婚男性        673
妻がひとりの男性              411
妻がふたりの男性              184
妻が3人の男性                72
3人以上の妻を持つ男性            175

1931年の人口統計報告書の次の事実は興味ぶかい。メンデ人の15~50歳の男女のうち、1000人に占める男性は275.2人、女性は335.5人だった。つまり男性100人に対して、女性は121人である。パーセンテージにすると、保護領内のメンデ人の46%が男性ということになる。結婚年齢に達した未婚女性の比率が相対的に少ないのは、少女の結婚平均年齢が15歳以下であることを意味している。ただし、以前は15歳以上だったと聞いているが・・。1931年のシエラレオネの人口統計報告によれば、「保護領と植民地のアフリカ人部族に関して言えば、女性の結婚年齢は14~16歳であるが、すべては少女が性交可能な成長度に依存している」とある。

 私が引用した数値で注目に値するのは、人口統計結果の著しい差異である。調査した20の町と村のうち、既婚女性と結婚年齢に達している未婚女性の数は2,057人、同じく男性は1,515人だった。彼らは15~50歳の年齢層に属していると仮定すると、人口統計の結果によれば、1000人に占めるそれぞれの比率は男性275.2人に対し、女性335.5人である。つまり男性110人に対して、女性は121人ということになる。さて、調査した20の町と村において既婚男性と結婚年齢に達している未婚男性は1,515人であり、もし人口統計に従った比率が維持されているとしたら、女性は1,833人になるはずだ。しかし、実際には2,057人である。これは次の両方か、もしくはいずれか一方を意味している。つまり(a)15~50歳のグループに該当する若者の人数が、結婚できる年齢として計上されていない、(b)既婚もしくは結婚可能な年齢として計上された少女の人数が15歳以下を含む。

 Kamanda Lawrenceが、彼の妻は1919年に生まれ、1932年、13歳の時に結婚したと言っているのは、上記の関連からすると興味深い。David Musaは、彼の姪は14歳で結婚して子供を産んだと主張している。かつて男性は25歳になるまで結婚しなかったと聞いている。しかし、現在では、めんどうなことを起こさないために、もっと早く18歳とか19歳で結婚させた方がいいと人びとは考えている。しかし、通常では難しそうだ。というのは一夫多妻主義者(polygamist)が女性の値段を釣り上げるからである。首長やビッグマンなら息子たちを18歳や19歳で結婚させることもできるだろう。しかし普通の人にはできない。例えば、私が2人の若者を養っているとする。ひとりは21歳でもうひとりは24歳。もしも私が彼らに、すぐに結婚するかどうか尋ねたとすると、彼らはあざ笑って言うだろう。まだ「子供だから」と。一方、多くの若者は何ら法的な権利のない二番煎じ(second-hand one)で満足するという状況にあるのは確かだが、実際の証拠(私がそれを持っているふりはしないが、)がある場合をのぞき、貧困が障碍となっていることを除いては、妻を得る事ができないのだということを言い続ける事ができるとは思わない。(訳者注:second-hand oneというのは、他人の妻の「友人」になることを指していると思われる。)

 人口調査報告書は、「保護領において、首長と富者は、一般に大勢の妻を持っている。その他の人びとは、婚資の支払い能力に応じて妻を持つ。女性の数は男性に比して多いというわけではないので、多くの貧者は妻を持てない。その結果として社会的な悪がはびこっている」と述べている。20の町と村での調査結果は、既婚男性の842人に対し、結婚年齢に達した未婚男性は673人であることがわかった。このように結婚年齢に達した男性の44%が結婚していない。それに対し、結婚年齢に達した未婚女性で結婚していないのはたったの4%である。

 ここで、一夫多妻に対してよく言われている非難について考察してみよう。それは次のふたつである。(a)それは女性の地位を低下させている。 (b)それは人びとの活力の低下をもたらしている。

(a)の「一夫多妻は女性の地位を低下させている」については、女性というのは男性より低い地位にあるというよりむしろ異なる地位にあるのだ、と言う方が正確だと言われてきた。地位というのは、組織のある特定の形態との関連でより高いとかより低いというのであって、さもなければ地位という用語は意味をなさない。地位の概念は、つまり、参照する用語に即して具体的でなければならない。それは、常に特殊化されねばならない。このように、ある面においては、女性は男性より高い地位にあり、ある面では平等であり、またある面では低い地位にある、というわけである。

 おそらく、司祭的な機能を精査すれば、この異なる地位についてうまく説明できるだろう。先祖の墓で祈祷がなされるのは特別な理由があるからである。こうした機会に祈祷を行う司祭は、家族メンバーの中の最年長と決まっている。男女は問わない。Sandeは女性のカルト集団であり(それが首長直属であるということ以外は。ただし首長の役割は首長国の長としての役割である)、そこでは男性に割り振られた地位はない。双子のカルト(bambei)とpelebu humoiには常に女性の司祭がおり、男性は祭壇に贈り物をそなえたり祈祷したりすることはできない。Njayei, papala, もしくはpelehunga humoiは、男性主導のカルトであり、そこでの女性の地位は低い。

 メンデ社会には、最高の地位を付与された女性もいた。例えば、ヨコという女性はパ首長国(Kpa)の首長だった。彼女の支配領域は広大で、彼女の死後には7つの首長国に分割されたほどである。しかし、中には、女性を大首長にしてはならないという内規を持つ首長国もあることは記しておかねばならない。

 女性は相続に関しては兄弟たちと平等の地位にあるようだ。ただし、第一子として生まれた女性(kpila-loi)より弟が強い立場にいる場合には、彼女に相談することなく遺産を相続しているという主旨の記録を私は持っている。妻たちへの相続分は、ただちに息子たちに引き渡されることにはならない。妻たちが相続されるという事実があるが、それは妻たちを財産に分類していることを意味しない。婚姻契約によって妻たちは別の家族に入り、夫が死んでもそこに留まらなければならないというのがポイントである。子どもたちは母親を通して財産を相続しない。妻だけが相続できるのだ。その妻の法的な相続人は、彼女の子どもたちではなく、彼女の兄弟と兄弟の子どもたちが相続人なのである。

 女性は生まれによっては家長になれる。同様に、首長にもなれる。もし大首長の長男(kpila-loi)を産んだ場合、彼女は下位の首長に任命されることがある。ただし、これは彼女がおそらく次期首長の母親になるという前提のもとでのことである。女性を大首長にしたり、家族の実質的な長にしたりするといった事例は、特に、母方居住の社会組織形態が存続していた過去の物語になりつつある。最近では、女性は夫の家族の中ではよそ者として扱われ、しかも自分の一族からは疎遠になっている。男女の地位の平等を旨としていないイスラームの普及によって、女性の地位はさらに低下している。一夫多妻が富者と権力者の特権であるという事実は、一夫多妻主義者の地位を高めている。首長の妻たちの多くが婚資を支払われず、首長に取り入るために首長に与えられた妻であるという事実も、女性の地位を低下させている。最も重要なポイントは、夫婦間の年齢差である。幼い少女が老人と結婚する場合―その少女は決して良家の出身ではない―両者の地位に平等という意識はあり得ない。夫はひとつ前の世代に属していることで、メンデ人の目からすると、夫が上位にあることは疑問の余地がない。夫は富者でかつ権力者、妻は単なる少女にすぎないのだ。

 大首長の第一夫人は、かなり重要な存在といえる。夫が妻を増やせば増やすほど、彼女の重要性は増す。すでに見たように、彼女はサブチーフにさえなれる可能性がある。しかしすべては夫との関係次第である。彼女自身の家族に関しては、たとえ、理論上、彼女が家長であるはずだとしても、家長として認められることはありそうにない。西欧社会でさえ、男女間の婚姻上の地位の平等は近代の産物であり、我々が見てきたような一夫多妻の家族においては、不可能である。 

 (b)一夫多妻は健康と出生率にどのような影響があるのか、という問題に移ろう。以下は人口調査報告書の一節である。「一夫多妻の影響についてのある医務官の報告―一夫多妻は、男性の勃起不全と女性の不妊の原因となっている。不誠実は性病の感染を引き起こし、妻から夫へ、夫から他の妻への悪循環が繰り返される。こうした女性の不妊はよく見られる。それゆえ、一夫多妻は出生率のテーマと深い関係があると言って良いだろう。」

 報告書の13頁には、「出生率の問題と関連するもうひとつの要因は、授乳期間の長さである。その期間は3年にも及び、その間、性交は避けねばならないとされている。この慣行は、もちろん、さもなければ達成できる出生率を低下させている。」私が入手した情報によれば、一夫多妻の妻は2年以上も授乳しているが、そうでない場合には9ヶ月~1年だという。

 私は、一夫多妻というテーマをできるだけ冷静に扱おうと努力してきた。しかし、それには限度があったことを認めねばならない。2人や3人の妻を持つことが社会的な悪を引き起こすわけがないとか、15~50歳の年齢集団における女性の人数の超過分を吸収できるとか、夫の関心の低下を招き出生率を引き下げるとか、女性が子供を育てたり授乳したりしている時の男性サイドの不品行を防ぐといった議論があるかもしれない。

 上に列記したことについて、ひとつひとつを考察するスペースはないが、これらすべては議論の対象となること、そして修正された一夫多妻制はそれを実践できる人にとっては良い影響を与えるかもしれないことを指摘しておこう。しかし、すべては個々人がどう対処するかという問題ではなく、社会構造の問題なのである。人口調査の結果によれば、15~50歳の年齢集団では、100人の男性につき21人女性が多い。このように、もし21人の男性がふたりの妻を娶れば、女性の超過分は吸収されることになる。もし、すべての既婚男性が平均して2人の妻を持つとしたら、男性の40%が未婚者となるだろう。いずれにせよ、女性人口が男性人口を上回る状態を修正する正しい方法は、彼女たちを結婚させることではなく、幼児死亡率を下げることなのである。

 端的に言えば、一夫多妻は悪い社会システムである。一夫多妻をよく言う人が少ないこと、非難する人がいかに多いことか。この会議で初めて読み上げたこの調査報告から導き出されるはずの結論の多くは、ここでは省かねばならない。しかし、ひとつ、省けない疑問がある。いかなる環境の下においても個々人、とりわけ200人とか300人という人数の妻を抱える支配者の地位にいる人びとを、福祉に心を砕く政府は認めるべきであるという偏見のない観察者がいるということは、いささか驚くべき事実ではないのか? 

                                                                                                                           (富永智津子訳)

岡野英之氏(大阪大学大学院国際公共政策研究科・日本学術振興会特別研究員)コメント

シエラレオネは1991年から2002年まで内戦に直面している。その内戦の要因のひとつに農村社会の社会構造の疲弊が挙げられる。本論文は、1930年代のそうした農村社会の様子を物語るといってよく、内戦を理解するためにも資料的価値がある。
内戦の社会的要因として農村社会の社会構造を指摘したのは、人類学者ポール・リチャーズ(Paul Richards)である。彼は、農村社会において周縁化された男性若者が、反政府勢力RUF(Revolutionary United Front)への参加を農村社会から離脱する機会として捉えたことにより、RUFは戦闘員を集めることができたとする。農村社会における若者の周縁化において、大首長による横暴が問題だったとリチャーズはいう。リチャーズはRUFの戦闘員の声を聞き取っているが、その中には「女性を無理やりあてがわれ、法外な婚資を請求された」、「不当にコミュニティ労働に動員された」、「不当に裁判をかけられ、罰金を要求された」といった声がある。
Crosbyの論文は、こうした問題の萌芽がすでにあったことを示しているといえる(1940~60年代にメンデ人社会を研究したリトル[Peter Little]も同様の問題を指摘している)。リチャーズの研究によって、2000年代には首長への注目が高まり、研究蓄積は増加した。しかし、Littleが研究した50年代以降、首長の研究は限られている。CrosbyやLittleが指摘するような首長の様態は、シエラレオネが独立してからいかに変化したのかは十分な蓄積があるとはいえない。
現在でも首長層は一夫多妻制を維持しているものの、Crosbyの指摘するような大量の妻を有しているわけではない。首長のあり方がシエラレオネの独立後、いかに変化したのかについて考察する必要がある。
1930年代のメンデ社会を描写する本論文は、シエラレオネの農村社会(特にメンデ社会)の歴史的変 化を追跡する上で貴重な史料といえる。 

アフリカ史

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