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13-7.【年表】トルコ近代化改革と女性解放

13-7.トルコ近代化改革と女性解放

掲載:2016-02-07 作成:三成美保

トルコ革命

トルコ革命(高校教科書記述から)

「第1次大戦でオスマン帝国は敗戦国となった。帝国政府はセーヴル条約(1920年)を締結し、イギリス主導のもとにフランス・イタリアによって領土分割されたため、存亡の危機にさらされた。このような事態に無力になった政府に対し、ムスタファ=ケマルはオスマン軍人の地位を放棄して独立のための祖国解放運動を開始し、1920年、アンカラに臨時政府を樹立した。ケマルひきいるトルコ軍は、内陸へと進軍してきたギリシア軍を1922年にやぶってイズミルを回復し、同年スルタン制は廃止された。トルコ新政権は1923年に連合国とローザンヌ条約を締結し、関税自主権の回復と治外法権の廃止を実現し、アンカラを首都とするトルコ共和国を樹立した。ケマルは初代大統領に就任し、24年にはカリフ制を廃止して、共和国憲法を発布した。その後、政教分離にもとづきイスラームを国教とする条項を憲法から削除し、文字改革(アラビア文字のローマ字化)、女性参政権の承認など諸改革を推進した。これらの諸改革を総称してトルコ革命とよんでいる。」(『世界史B』実教出版、平成24年検定済、平成26年発行、346ページ、青太字は教科書内での太ゴシック体、赤字は三成による)

【略年表】トルコ革命

1920年 セーブル条約の締結

1920年 臨時政府の樹立(アンカラ)

1922年11月1日 スルタン制とカリフ制を分離し、スルタン制のみを廃止することを大国民議会において決議。
(カリフとしてのオスマン帝国君主を残したまま、世俗政治を行う政府としてのオスマン帝国は滅亡。メフメト6世は亡命)

Turkey-Greece-Bulgaria on Treaty of Lausanne.png

ローザンヌ条約により決定したトルコ国境

1923年 ローザンヌ条約の締結

1924年3月3日 カリフ制の廃止を可決(オスマン家の人間を全て追放)
→ワクフを管理するワクフ省の廃止、シャリーアの廃止と憲法の制定、イスラム学院(メドレセ)の閉鎖が行われ、政治と教育の世俗化がはかられた。

1925年 神秘主義教団の修行場の閉鎖。トルコ帽の廃止→着衣の西洋化の強要。

1926年 民法改正(一夫多妻制の禁止)
アラビア文字とヒジュラ暦の廃止(トルコ語の表記にはラテン文字、暦にはグレゴリオ暦を用いることが定められた)

1928年 脱イスラム化改革の集大成として憲法のイスラムを国教と定める条項の削除
→しかし、宗教が政府から一切切り離されたわけではなく、イスラムを政府の意図の及ぶ範囲で管理するために宗務庁が設立され、モスクやクルアーン(コーラン)の読み書きを教える学校がその管轄下に置かれた。

女性解放の改革

トルコの女性運動(1922年)

1926年10月4日 新民法(スイス民法をモデルとする)

  • 一夫多妻制の廃止(民事婚の導入)
  • 男女平等の離婚権
  • 女性の財産権の承認(平等な相続権・所有権)
  • 女性への後見制度の廃止

1930/35年 参政権の完全平等(女性に被選挙権を付与)

1935年の女性代議士18名

【表(参考)】トルコ国会における女性議員の数と比率(出典:https://de.wikipedia.org/wiki/Frauenrechte_in_der_T%C3%BCrkei#Frauenrechte_in_der_Republik_T.C3.BCrkei)

選挙年 女性議員の数 議員総数 女性議員の比率
1935 18 395 4,6 %
1943 16 435 3,7 %
1950 3 487 0,6 %
1965 8 450 1,8 %
1973 6 450 1,3 %
1983 12 400 3,0 %
1991 8 450 1,8 %
1999 22 550 4,0 %
2002 XX 550 X,X%
2007 49 550 8,9 %
2011 79 550 14,3 %

【略年表】20世紀のトルコ

年月 略史
1299年 オスマン帝国成立(最盛期にはバルカン,アナトリア,メソポタミア,北アフリカ,アラビア半島にまで及ぶ大帝国に発展)
1919年~1922年 祖国解放戦争
1922年 オスマン帝国滅亡
1923年10月29日 ローザンヌ条約に基づきトルコ共和国成立 (初代大統領 ケマル・アタテュルク)
1952年 NATO加盟(1950年に成立したメンデレス内閣ではNATO北大西洋条約機構、中央条約機構に加盟し反ソ連親西欧路線を取った)。
1960年 軍による「5.27クーデター」(経済不振によって政府批判が高まると1960年にクーデターが起こり、メンデレスは失脚、処刑された)。
1961年 民政移管
1971年 軍による「書簡によるクーデター」,政権交代
1974年 キプロス進攻→軍事費が膨らみ経済が悪化して、左翼・右翼のテロが相次ぐ。
1980年 軍による「9.12クーデター」→二院制を一院制に変更(憲法改正)
1983年 民政移管→治安と経済が改善され、民政移管が行われたが、クルド問題によるテロなどで国情は不安定→1989年に30年ぶりに文民出身のオザル大統領が就任。その後1993年デミレル大統領。2000年セゼル大統領と続き、政治の文民化が図られた。
1999年 EU加盟候補国に決定→2002年に死刑制度を廃止。
2005年 EU加盟交渉開始

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