【エッセイ】アフリカ事情雑感⑦人形峠探訪記    エッセイ&イラスト  富永智津子

人形峠探訪記(1)

福島第一原発事故以来、原発の燃料となるウランについてのインターネット情報が急増した。オーストラリアやアフリカなどのウラン鉱山で、労働者の健康被害や環境汚染が引き起こされているという情報である。
ドキュメンタリー映画「イエロー・ケーキ:クリーンなエネルギーという嘘」(ドイツ、2010年)も日本に上陸し、これまで秘密のヴェールに閉ざされていた旧東独の巨大ウラン鉱山開発の歴史が暴露され、話題となった。
以来、一度ウラン鉱山の現場を見てみたいと思っていた私は、海外が無理ならば、かつて日本ではじめてウラン鉱床の露頭が発見された人形峠に行ってみようと思い立った。2013年8月7日のことである。準備作業の中で、そこには「人形峠環境技術センター」なる施設があり、訪問客を受け入れていることを知った。さっそくネットで申し込む。約束の時間は午後1時。
人形峠は岡山県と鳥取県の県境にある。ウィキペディアによれば、そう命名されたのは1955年にウラン鉱床が見つかってからであり、それまでは「打(うち)札(ふだ)」と呼ばれていたという。
岡山駅からレンタカーで約2時間半、幹線道路をそれて山道に入り、10分ほど登った地点に目指すセンターはあった。標高700メートル。敷地面積約120万平方メートル(東京ドームの約26個分に相当)。下界は35度の猛暑だが、ここは29度。
予定より1時間早い到着を電話で知らせると、少し待つようにとの指示があった。当初、人形峠には採掘した残土が野積みにされているだけだと勝手に想像していた私は、大きな鉄製の門扉や事務所、あるいは見学者用のアトムサイエンス館などを目前に少々戸惑っていた。センターの入り口には写真撮影禁止と書かれた立看があり、どんな展開になるか見当がつかず、少々緊張する。一体ここには何があるのか……。今、どういう活動をしているのか。
やがて作業服姿の中年の男性が現れた。センターの前庭の水槽に飼われている2匹のオオサンショウウオを眺めていた私に彼は「この子たちはですね、もう40年以上もここで暮らしているんですよ」という。名前はだいちゃんとしょうちゃんだという。1メートル以上の体躯のちょっとグロテスクなこの生き物を、彼は愛情を込めて「この子たち」と呼ぶ。この地で一緒に生き抜いてきた家族か戦友のような存在なのだろうか。
この男性の名前は白水久夫氏。渡された名刺には、センターの総務課長代理という肩書きが記されていたが、あとでこのセンターのウラン濃縮事業などに長年携わってきた技術者だということがわかった。白水氏の案内で、まずは「人形峠展示館」に入る。入口の立看には「平成24年3月31日をもって展示施設としての運営を停止いたしました」とある。
福島事故のあと、民主党政権による事業仕分けの際、もう「原子力」の宣伝はしなくてよいとの理由で、閉鎖を命じられたのだという。(『婦民新聞』2013年9月)

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人形峠探訪記(2)

人形峠環境技術センターに併設された「人形峠展示館」に案内され、さっそく放射線についての説明を受けた。α線は紙で、β線はアルミで、γ線は鉛で遮蔽されること、放射性物質は自然界にも多く、とくに海藻に含まれている放射性物質カリウム40が計測器に反応することなどを実験して見せてくれる。たしかに昆布の束にβ線を測る計測器を近づけると、ピーピーという音とともに針がどんどん高い数値に振れていく。人間の身体にはこのカリウム40が約4000ベクレルも常に蓄積されているのだという。
トリウム(ウランと同じく原発の燃料として期待されている物質)が含まれている耐火レンガやかつての高級カメラのレンズでは計測器の針が振りきれた。「宇宙からも頻繁に放射線が降ってきているのですよ」と白水氏はこの施設に常設されている計測器から聞こえてくる「ピーピー」という音に私の注意を促した。
ここで私の目をひいたのが、机上に並べられていた「DOLL STONE」である。「人形峠製レンガ」は事前に知っていた私だが、今度は新手が登場しているのだ。「人形峠製レンガ」とは平成18年にウラン探鉱活動により生じた岩石や採掘土をつかって製造されたレンガである。製造された145万個のうち約52万個は原子力関連機関で使用され、約93個が一般頒布された。放射線データも公表されており、それによると、レンガの表面の放射線量は平均0.22マイクロシーベルト/時に抑えられていることになっている。この数値は花崗岩と同じで危険はないというが、要するに、廃棄処分のできない採掘土のうち、比較的低線量の採掘土の処理方法だったのだ。
ネットで調べてみると、なんと参議院議長邸の庭園、文科省や東京工業大学の玄関内や入り口の花壇などに使用されているという。このことを知った私が放射線測定器を片手に、現場を訪れたことはいうまでもない。向かったのは東京工業大学。このレンガが設置されていたのは、大学付属原子炉工学研究所の入り口脇の花壇。それとわかるように記念プレートまで埋め込まれている。さっそく測定器を当ててみる。0.36マイクロシーベルト/時、……何箇所か計ってみたが、すべて同じ0.36を計測した。レンガの線量は謳い文句の0.22より高い。測定器が正しく機能しているかどうかに自信がなかった私は、この日、センターの歩道や側壁に使用されていた同種のレンガに、センターお墨付きの放射線測定器を当てて、それを実際に確認したことをいそぎここに付け加えておきたい。(『婦民新聞』2013年10月)

 

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 人形峠探訪記(3)

さて、新手の「DOLL STONE」とは何か。それは、縦横15センチ、厚さ1センチのややピンクがかった素焼きの板。白水氏によれば、この板からは「ホルミシス効果」があるといわれている放射能ラドンが出ているのだという。
後日、日本原子力研究開発機構の監督のもと、人形峠で採取された土壌からつくられたまさにこれと同じ板がネット販売されていることを確認した。そこには「今、福島第一原発災害で、これほど原子力に注目、関心が集まっていることはかつてありません。だからこそ今、自然放射能のラドンについて正しい理解をして頂きたいのです」との添え書きもあった。
次に、ヘルメットと放射線測定器を渡され、マイクロバスで廃坑になった坑道に案内された。バスを降りて坑道の入り口に近づく。測定器が次第に反応し始める。坑道といっても地下に降りるわけではない。ほぼ歩道と同じ地続きである。坑道の上がこんもりとした小山になっている点だけが異なる。幅3メートル、高さ170センチ、奥行き40メートルほどの坑道である。時々、天井から水滴が襟元に落下する。
坑道はいくつかに枝分かれしており、私が入ったのは、200メートルほどあった坑道の一部だ。少し進むと、ウラン鉱床がむき出しになっている壁があり、白水氏が電気を消して紫外線を当てると、壁一面が不気味に緑色の光を放った。測定器をみると10マイクロシーベルト/時を超えている。労働者は、こんな高線量の中で作業をしていたのだ。アフリカ研究者としては、日本企業も投資しているナミビアやニジェールのウラン鉱山開発の現場に思いを馳せざるを得ない。
坑道見学を終え、白水氏に労働者の被曝や環境問題について質問する。まずは採掘に伴って出た残土(捨石)である(ドラム缶にして100万本)。民間から借り上げた土地に堆積されていたこの残土から高濃度の放射線がでていることが問題となり、その撤去をめぐって住民が裁判を起こしたことは私も耳にしていた。結局、最高裁は比較的高線量の3000立方メートルの残土の撤去を命じる判決を下し、当時の管轄母体であった動燃は、そのうちウラン濃度の高い290立方メートルをアメリカ先住民地域にある精錬所で処理してもらっている。
次に鉱石をイエローケーキにする製錬工程で出る残滓や廃液である。堆積場に集積されている残滓は、その処置方法を目下研究中で、この跡措置の方法が確立すれば、福島原発事故処理にも応用できると白水氏は胸を張った。(『婦民新聞』2013年11月)

ケニア・ラム島の風景

ケニア・ラム島の風景

 人形峠探訪記(4)

1955年から採掘された人形峠の鉱石は約9万トン・・・抽出されたウラン量は原発一基の半年分にも満たない84トン・・・あまりにも採算が取れないとして、この鉱床は、79年に開始された露天掘りを含め、87年に閉鎖となった。さて、その後、このセンターは何をしていたのか。
一方で採掘した鉱石の製錬・転換事業(1964~99年まで)と海外から輸入されたウランを使用した濃縮原型プラント事業(1978~2001年まで)である。現在、濃縮事業は青森県六ヶ所村に引き継がれているが、問題は、何万本ものウラン濃縮遠心機や原型プラントなどのセンターの施設解体処理である。
白水氏らは、内部に付着したウランをうまく処理できれば、貴重なアルミ資源として再利用できると、こちらの研究も進めているという。2時間半におよぶ「講義」と施設見学の最後に手渡されたのは、『核燃料施設廃止措置のフロントランナー』という22頁のパンフレット。このパンフレットには、センターが関わってきた鉱石の採掘、製錬・転換・濃縮の工程の開発と実用化技術の研究についての過去の実績と、施設の廃止措置を通して今後に予想される核燃料施設廃止技術を体系化する中心拠点としての未来図が記されていた。
人形峠探訪を終えて、反原子力・反核の「最左翼」ともいうべき小出裕章氏(京都大学原子炉研究所)のスタンスと、いわば「最右翼」のセンターのスタンスの埋めようのないギャップが改めて明らかになった。その象徴が、年間の被曝量である。小出氏は、被曝量は少なければ少ないほうがよいというのに対し、センターでは100ミリシーベルト/年以下の放射線量では人体への影響は統計的に確認されていないとする説に固執している。
「放射線ホルミシス効果」も、議論が百出している。ホルミシス効果とは、「少量なら健康に良いが、限度を超えれば有害」ということらしい。低線量なら抗酸化効果があるとか、ラドンがアトピーに効くとする研究者がいる一方、データの取り方によって有意性が認められないとする研究者もいる。この10年、原爆被爆者の「骨髄異形成症候群」が問題となっている。被爆から10年後に多発し、
その後収束したと思われていた白血病が、当時とは異なる遺伝子損傷をともなって現れ始めたというのである。
人体への放射線の被害は、わからないことが多すぎる。専門家でもそうならば、素人の私たちにとっては、なおさらである。福島原発事故による低線量被曝が50年後、100年後にきちんとしたデータによって裏づけられるまで、なるべく避けるに越したことはない。
最後に私が確認できたのは、原発を使用し続けることによるアフリカのウラン鉱山労働者の被曝や環境汚染の問題の深刻さと、これからますます増える原子炉の廃炉技術の研究・開発の必要性である。せめて、センターがこの工程に貢献してくれることを願いつつ、私はセンターを後にした。(『婦民新聞』2013年12月)

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