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【家②】全き家(三成美保)

全き家[(独)das ganze Haus]

三成美保(掲載2014.05.10)

「全き家」

「全き家」という用語は、1854年にはじめてリール(Riehl)がその著『家族』のなかで用いた。彼はすでに崩壊しつつあった伝統的家族を全き家とよび、そこには父親の権威、家族的な絆、伝統的習俗が保持されていたとして賛美し、これにたいして工業化と個人主義の影響下に成立した近代的小家族を批判したのである。のちにオットー・ブルンナー(O.Brunner)が、「全き家」を近世ドイツの家父長制家族を特徴づける用語として定式化した。ブルンナーによれば、「全き家」の特徴は次の点にある。①構成員は家父、家母、子、奉公人、②家計と経営の一体化、③他の家族員にたいする家父長の支配、④前近代ヨーロッパ社会の政治世界の基礎単位である。全き家は典型的には農村の貴族や農民にみられたが、都市手工業者にもまたみられた。

家父がそなえるべき知識や心得である家政学は一連の「家父の書」によって説かれた。「全き家」では家母はたしかに家父たる夫に従属したが、「鍵の権力」を委ねられ、子と奉公人の世話にあたり、夫不在時には夫の代理を務めるなど、夫からの 相対的自律性を有していたといわれる。18世紀後半以降、家が生産の場ではなく消費単位であるような新しい都市的小家族が成立するとともに、「全き家」は しだいに消滅していく。

ホーベルク『篤農訓』(1682年)

Wolf Helmhardt von Hohberg(1612-1688)

ホーベルク(Hohberg)の『篤農訓』(1682)によれば、「家父は神を畏れ、妻と相和し、子を教育し、使用人と従属農民を統御し、月々自己の経済をつかさどっていくべきである」とされる。

●史料 ホーベルクの『篤農訓』Georgica curiosa(全文デジタルコピー)は、当時の「家父の書」の頂点をなすものと言われる。

 

 

『篤農訓』のタイトル画

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[参考文献]ブルンナー,石井紫郎他訳『ヨーロッパーーその歴史と精神』岩波書店,1974;ミッテラウアー/ジーダー,若尾祐司/若尾典子訳『ヨーロッパ家族社会史ーー家父長制からパートナー関係へ』名古屋大学出版会,1993;デュルメン,佐藤正樹訳『近世の文化と生活Ⅰ,「家」とその住人ーー16世紀から18世紀まで』鳥影社,1993.

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