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被害者尊厳回復のための試みに関する小史(富永智津子)

 被害者尊厳回復のための試みに関する小史

<裁判>

中世イングランド 

  • レイプなどの性暴力の厳罰化にもかかわらず、訴追が行われるケースはまれ。1194~1216年の49件の告訴のうち法的な決定にいたったのは1件のみ(池上俊一「ヨーロッパ中世都市における暴力」加藤千香子・細谷実(編著)『暴力と戦争』ジェンダー史叢書5、明石書店2009:51頁)

1492(ドイツ)

  • 戦時下のレイプを裁定した最初の国際法廷。ドイツの都市を攻撃したブルゴーニュ公軍によるレイプが告訴され、軍団長が死刑になった判例あり(URL:パトリシア・セラーズ「武力紛争下の性暴力―国際法の視点から」東京外大AA研での講演要旨)

1775~83(米:独立戦争)

  • ジョージ・ワシントンの書簡 (1780.7.22) に、独立戦争中、第7ペンシルヴェニア連隊のトーマス・ブラウンなる兵士がレイプ罪で死刑判決を受けたとの記述あり(Tamara L. Tompkins, “Prosecuting Rape as a War Crime: Speaking the Unspeakable,” 70 Notre Dame Law Review 845:スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:30)。

1919(ドイツ)

  • 第一次大戦処理のために設置された「戦争開始者および刑罰執行委員会」、「戦争の法規慣例違反」32項目の中に強姦・強制売春のための婦女の誘拐を含める。この委員会での提案や議論はヴェルサイユ平和条約の刑罰規定に反映された。しかし、その後の裁判では、ドイツとその同盟国による性犯罪の証拠の発見にもかかわらず、「人道の罪」で処罰することに失敗(藤田久一『戦争犯罪とは何か』岩波書店1995:32~40)

1940~49(中国)

  • 日中戦争初期から中国人が国内の戦争協力者を裁く「漢奸裁判」において、49件の強かんが裁かれた(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編集発行『ある日、日本軍がやってきた―中国・洗浄での強かんと慰安所』2008:21)

1942~47(米:第二次世界大戦)

  • 第二次世界大戦中の米陸軍高等軍法会議記録によれば、米軍所属の軍人による強姦有罪判決数は、1946年の前半期の355件をピークとして計971件(空軍も含まれるが、第二次大戦中の海軍と海兵隊はのぞく)、内52人が死刑。ちなみに軍は1962年以降、死刑の執行は一度も行っていない(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:95-97)。

1945~46(ドイツ)

  • 連合国によるニュルンベルク国際軍事裁判。性暴力の資料として「モロトフ覚書」(1942年)、「ソ連側証拠物件51号」といった証拠文書が採用された。(スーザン・ブラウンミラー『レイプ・踏みにじられた意志』勁草書房:63:Tamara L. Tompkins, “Prosecuting Rape as a War Crime: Speaking the Unspeakable,” 70 Notre Dame Law Review 845;芝健介「戦時性暴力とニュルンベルク国際軍事裁判」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版 2000:48~49 )

1945(フィリピン)

  • 米陸軍によるBC級裁判(マニラ軍事法廷)において、山下奉文陸軍大将や本間雅晴陸軍中将らに死刑判決(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編集出版『フィリピン・立ち上がるロラたち―日本軍に踏みにじられた島々からー』2011:14)。

1946(日本)

  • 陸軍省法務局長大山文雄、国際検事団に「軍法会議処刑人員表」を提出、それによれば、1937年の支那事変発生から41年までに、強姦致死26人、強姦致傷495人が処刑された(若桑みどり『戦争とジェンダー』大月書店2005:179;内海愛子「戦時性暴力と東京裁判」『戦犯裁判と戦時性暴力:日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷の記録1』緑風出版2000:63)

1946~48(日本)

  • 連合国による極東国際軍事法廷(東京裁判)。中国に関しては、南京事件の性暴力を含む39件、フィリピンに関しては35件(男性への性暴力2件を含む)、ビルマ・タイ3件、香港3件、アンダマン諸島2件、蘭印13件などの証拠が採用された。慰安婦に関しては、オランダ、フランス、中国などが提出した資料に、日本軍に強制的に連行され慰安婦として働かされたことを示す資料が多く採用されている(吉見義明監修 内海愛子・宇田川幸大・高橋茂人・土野瑞穂編『東京裁判-性暴力関係資料-』現代資料出版2011)。裁判は、慰安婦制度が強姦同様戦争犯罪であることを認め、「平和に対する罪」の他、これらを「通例の戦争犯罪」に含めて裁定をくだしたが、「慰安婦」制度そのものが「人道に対する罪」であるとか戦争犯罪だという認識はなかった(吉見義明監修 内海愛子・宇田川幸大・高橋茂人・土野瑞穂編『東京裁判-性暴力関係資料-』現代資料出版2011)

1946~48(イギリスによる対日BC級戦犯裁判)

 ・イギリスが領有していたマラヤ、シンガポール、北ボルネオ、ビルマ、香港における戦犯の裁判。シンガポールではじまり、香港で最後の判
決が下された。計304件、延べ919人(実数は883人)が裁かれた。性暴力も取り上げられたが、慰安所関連に対する追求はGHQにより抑
制された(林博史「BC級裁判ーイギリス裁判は何を裁いたか」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版、2000:
104,120)

1946~49(フィリピン)

  • 独立後、フィリピン政府による戦犯裁判開始。151人の日本人被告のうち79人に死刑が宣告されたが、執行されたのは17人。1953年の独立記念日の恩赦により、死刑が終身刑に、終身刑・有期刑には釈放が言い渡されたため(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編集出版『フィリピン・立ち上がるロラたち―日本軍に踏みにじられた島々からー』2011:14)

1946~49(中国・国民政府)

  • 瀋陽、北京、上海など10か所に日本軍BC級戦犯の軍事法廷を設置、605件、起訴したのは883人、149人を死刑にした(新井利男「中華人民共和国の戦  犯裁判」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版、2000:126)。
  • 中国での戦犯裁判において、起訴され有罪となった元軍人のほぼ半数に強かん罪が認定された(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」   編集発行『ある日、日本軍がやってきた―中国・戦場での強かんと慰安所』2008:21)。

1948(オランダ)

  • オランダによるバタビア臨時軍事法廷で、スマラン慰安所におけるオランダ人慰安婦35名に対する性暴力の判決。慰安所開設の実行責任者岡田慶治少佐が死刑になったほか10名の関係者が有罪となる(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編集出版『女性国際戦犯法廷のすべて―「慰安婦」被害と加害責任』2005:32;林博史「「慰安婦」問題と戦争裁判-実証的な東京裁判研究をー」『現代思想』Vol.35-10、2007年8月;裁判資料「BC(B・C級戦犯)バタビア裁判第106番事件」(合計530頁)、東京国立公文書館。

1950~75(中国)

  • 1949年の「中ソ友好同盟相互援助条約」締結時にスターリン、ソ連に抑留されている日本人捕虜および満州国捕虜あわせて1000名弱の中国への移転を提   案。中国は受け入れを表明、1950年より毛沢東思想にもとづき「戦犯」の改造教育始まる。指揮をとったのは周恩来。「罪の自覚」まで3年を要し、「罪   の自白」は「自筆供述書」(主に54年)としてまとめられた。これらをもとに起訴状が作成され、56年に瀋陽と太原で「中華人民共和国最高人民法院特別   軍事法廷」が開かれた。731部隊や強姦を含む罪で裁かれたのは45名。いずれも罪状を認め、悔い、土下座までして謝罪。刑期は8年から20年で、無期や   死刑はなかった。他の戦犯は、56年に3回に分けて日本に送還されている(新井利男「中華人民共和国の戦犯裁判」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁   判と性暴力』緑風出版、2000:128~150)。
  • 1956年、日本軍人の戦犯裁判において70名の死刑と110名の無期以下の判決がおりるも周恩来が軽減するよう要請、死刑も無期もない45名のみの起訴と  なる(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編集出版『フィリピン・立ち上がるロラたち―日本軍に踏みにじられた島々からー』     2011:34)。

1951~53(朝鮮戦争)

  • 朝鮮における米陸軍軍法会議において下された米軍人への有罪判決事例:強姦23件、強姦を目的とした暴行9件((スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:129)。【富永コメント】これらの数値は、実際の被害者の人数を繁栄しているものではない。

1965-1973(米ーヴェトナム関連)

  • この期間にヴェトナムで発生したレイプとその関連犯罪に関する米陸軍軍法会議の審理件数合計86、有罪判決数合計50であった(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:127-128)。【富永コメント】これらの数値は実際の被害者の数値を反映しているものではない。

1983(アルゼンチン)

  • 軍事政権に代わった新文民政権のアルフォンシン大統領、軍事政権の責任者を人権侵害の罪で裁判にかけ、1985年、軍事政権のトップを構成した5人の将    軍・提督が終身刑を含む有罪判決を受けたが、1990年に特赦(大串和雄「ラテンアメリカ―人権侵害と加害責任」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判  と性暴力』緑風出  版,2000:265)

1991(日本軍慰安婦)

  • 元日本軍慰安婦だった金学順(キムハクスン)のカミングアウト。日本政府の謝罪と補償をもとめる「慰安婦」裁判のきっかけとなった。

1991~2001(日本)

  • 10件の「慰安婦」裁判。このうち、日本軍の関与・強制性などの加害事実や元慰安婦の被害事実が認定されたのは8件。最高裁ですべて棄却された。その理由は時効、国家無答責、国際法上の個人請求権の否認(女たちの戦争と平和資料館「「慰安婦」問題を知ろうー日本で行われた日本軍性暴力被害者裁判」)

1993~(旧ユーゴスラヴィア)

  • 国連安保保理による旧ユーゴにおける人道上の犯罪(レイプを含む)に関する国際刑事法廷に、2000年までに93名の容疑者が起訴され(すでに死亡した7名を含む)た(川口博「旧ユーゴスラヴィア紛争―女性への暴力と国際刑事法廷」内海愛子・高橋  哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版、2000:224;Tamara L. Tompkins, “Prosecuting Rape as a War Crime: Speaking the Unspeakable,” 70 Notre Dame Law Review 845

1994~(ルワンダ)

  • 国連安保理による「ルワンダ国際戦犯法廷」(ICTR)。被起訴者92名。2014年まで延長。1998年、レイプに初めてジェノサイド犯罪を適用(URL:外務相国際帰還人事センター「ルワンダ国際刑事裁判所の概要」)

1998(チリ)

  • スペイン司法当局による犯罪者引き渡し要請に基づき、ロンドン警察はピノチェト元大統領を「人道犯罪」の容疑で逮捕。高齢を理由に本国の送還された後、本国で裁判にかけられたが、「痴呆」を理由に釈放され、その後死去(大串和雄「ラテンアメリカ―人権侵害と加害責任」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版,2000:259)。

2000~2006(東チモール)

  • 国連東チモール暫定行政機構による東チモール・ディリ地区裁判所特別パネルの設置による重大犯罪の裁判はじまる。強姦罪を含む(URL「東チモール重大犯罪部アップデート:調査と訴追、2003年2月21日」)

2001(ナミビア)

  • ナミビアのヘレロ人100人、1世紀前の植民地統治下でのドイツ帝国軍とドイツ企業による残虐行為への償いを求め、アメリカのコロンビア(ワシントンDC)高等裁判所に提訴。2007年までに却下される(永原陽子「ナミビアの植民地戦争と「植民地責任」」永原陽子編『「植民地責任」論』青木書店2009:218)

2001(ノルウェー/ドイツ)

  • 第二次大戦中にノルウェーを占領したドイツ人兵士とノルウェー人女性との間に生まれた子供7人がはじめて賠償をもとめてオスロ地方裁判所に提訴。戦後、「ドイツ人の落胤」として厳しい差別にさらされ、中には「精神病」として禁治産者の宣告を受け、施設に閉じ込められたものもいた(レギーナ・ミュールホイザー『戦場の性ー独ソ戦下のドイツ兵と女性たち』姫岡とし子監訳、岩波書店、2015、39頁)


2001(旧ユーゴスラヴィア紛争)

  • 旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷(ハーグ)、元大統領ミロシェヴィッチを人道に対する罪などで裁く。裁判が長期化、ミロシェヴィッチ、2006年に獄中で死亡。

2002~2011(シエラレオネ)

  • 国連安保理とシエラレオネ政府によるシエラレオネ特別法廷。1996年以降の人道に対する罪、戦争犯罪、その他重大な国際法違反で起訴された人びとを対象とした。

2005(ウガンダ)

  • 国際戦犯法廷、ウガンダ内戦に伴う反政府軍(LRA)の幹部5人に「人道に対する罪」で逮捕状を発行(URL: Timeline of Uganda’s civil war, Report from France Presse)

2005~11(ルワンダ)

  • 1994年の虐殺やレイプを裁く人民裁判「ガチャチャ」、1万2千人以上、120万件に及ぶ事件が裁かれた(URL:Human Rights Watch「ルワンダ:地域共同体でジェノサイドを裁く「ガチャチャ」裁判、その功罪」2011年5月31日)

2007(スーダン)

  • 国際刑事裁判所、スーダン・ダルフール案件について、現職の政府閣僚を含む容疑者2名に逮捕状。

2008(スーダン)

  • 国際刑事裁判所検察局、スーダンのオマル・バシール大統領の逮捕状を請求、2009年に発行される。

2009~(レバノン)

  • 国連安保理によるレバノン特別裁判所

2009(グアテマラ)

  • グアテマラ内戦時の虐殺や拷問、失踪に関する訴追により、フェリペ・クサネ元大佐に国内裁判所が禁錮150年の判決。

2009(ケニア)

  • 1952~60年にイギリス植民地兵・植民地官吏から受けた性的拷問を含む人権侵害に対し、5名(女性2人・男性3名)のケニア人が補償を求めて訴訟を起こす。

2011(リビア)

  • 国際刑事裁判所、安保理決議1970にもとづきリビアの案件(カダフィ軍による戦略としてのレイプ)が付託され、検察官による捜査を開始。

2011(コートジボワール)

  • 国際刑事裁判所、2010年のコートジボワール危機のさなかの人道に対する罪でローラン・バグボ元大統領を逮捕・収監。身柄はハーグに移送。

2011(韓国)

  • 憲法裁判所、「従軍慰安婦」の賠償請求権について、韓国政府が解決に向けた努力をしていないのは元慰安婦らの権利を侵害していると判断(『読売新聞』2013.11.4.)

2012(コンゴ民主共和国)

  • 国際刑事裁判所(ICC)、2002~03年までの間に15歳未満の子供を徴兵し、レイプし、戦闘員として使用した犯罪について、反政府勢力指導者ルバンガに有罪の判決(Human Rights Watch、2012年3月14日)

2012(リベリア)

  • 元大統領チャールズ・テイラー、国連が設置する戦犯法廷(ハーグ)で有罪判決。罪状はシエラレオネ内戦の反政府勢力に加担し、殺人・性的暴行・少年兵徴募など11に及ぶ(ロイター通信、2012年4月27日)

2013(グアテマラ)

  • グアテマラ内戦時の殺害の責任者エフライン・リモス・モント元将軍に、国内裁判所で禁錮80年の判決。

2013(韓国:日本)

  • 光州地裁、「女子勤労挺身隊」として徴用された韓国人女性と遺族5人による損害賠償請求訴訟で、三菱重工業に支配命令(『読売新聞』2013.11.4.)

2013(スペイン:中国)

  • スペイン全国区裁判所、1980~90年代のチベットでの「集団殺害」の容疑で江沢民元国家主席、李鵬元首相ら5人に逮捕状。

2014(韓国)

  ・1957年以降、韓国内の米軍基地周辺で、米兵向けの慰安婦として売春を強要されたとして、韓国人女性ら125人が、韓国政府を相手取り原  告1人あたり1000万ウォン(約100万円)の国家賠償を求める訴訟をソウル中央地裁に起こす(『読売新聞』2014年6月27日)

2018(中央アフリカ・コンゴ民主共和国)

・中央アフリカでのクーデター阻止のために2002~03年にコンゴ民主共和国が派遣した民兵約1,500人による住民への略奪・強姦・殺人について、当時の指揮統制する立場にあったとして有罪を認定された4人の高官のうちのひとりであるベンバ元副大統領の控訴審で、オランダ・ハーグの国際刑事裁判所は6月8日、禁固18年とした一審判決を破棄し、無罪の判決を言い渡した。02年の国際刑事裁判所(JCC)設立以来、浅草寺の「武器」とされた性暴力に焦点を置いた初の事例。ベンバ被告は近く釈放される見通し(毎日新聞6月10日朝刊)

 

<民衆法廷・公聴会>

1967(スウェーデン:「ラッセル法廷」) 

  • 「ラッセル法廷」(アメリカのヴェトナムにおける戦争犯罪を問う。アメリカにもフランスにも受け入れられず、ストックホルムやコペンハーゲンでの開催となる)ジェンダーや性暴力の問題は、あくまでも民族の開放という「全体性」の「部分的問題」として扱われた(古田元夫「ベトナム戦争とラッセル法廷」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版、2000:210)

1983(東京) 

  • 「イスラエルのレバノン侵略に関する国際民衆法廷・東京1983」

1991(アメリカ)

  • 「クラーク法廷」(湾岸戦争時のブッシュ大統領の戦争犯罪を、アメリカの反戦運動が、アメリカ国内で、連続公聴会を通して裁いた)

1992(東京) 

  • 「慰安婦」問題の国際公聴会。万愛花さん初来日。

1993(パキスタン)  

  • 「女性に対する暴力世界法廷」(「アジア女性人権評議会」AWHRC=インド、タイ、フィリピンに拠点を置く女性人権NGO 主催)

1994(日本)

  • 「女性売買と女性に対する戦争犯罪法廷」

1994(インド)

  • 「ダリット女性に対する犯罪女性法廷」

1994(カイロ) 

  • 「再生産テクノロジーに関する女性法廷」

1995(インド)

  • 「開発暴力に関する女性に対する犯罪女性法廷」

1995(ネパール) 

  • 「人身売買・ツーリズム女性法廷」

1995(レバノン)

  • 「アラブ世界女性法廷」

1995(北京)

  • 「暴力反対女性法廷」

1995(日本)

  • 「アジア民衆法廷」

1999(キューバ) 

  • 「経済封鎖女性国際法廷」

1999(ケニア) 

  • 「アフリカ女性法廷」

2000(日本)

  • 「女性国際戦犯法廷」

2001(南ア)

  • 「戦争反対・平和を求める女性世界法廷」

2001(南ア)

  • 「人種差別反対世界女性法廷」

2001(シドニー) 

  • 「難民・先住民族女性法廷」

2003(バングラデシュ)

  • 「人身売買暴力・HIV南アジア女性法廷」

2003(北朝鮮)

  • 「朝鮮におけるアメリカの犯罪に対する平壌国際法廷」

2002~2004(アフガニスタン)

  • 「アフガニスタン国際戦犯民衆法廷」(アメリカのアフガニスタン侵攻に抗議する民間の反戦運動。公聴会と公判は主として日本で開催された)

2004(イラク)

  • 「イラク国際戦犯民衆法廷」(「被告人」はジョージ・ブッシュ、トニー・ブレア、小泉純一郎、グロリア・アロヨ。公聴会は主に日本で開催された)

2004(ムンバイ)

  • 「アメリカの戦争犯罪に関する女性法廷」

2007~08(日本)

  • 「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」(主催:「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」実行委員会)

2006(東チモール)

  • 「<従軍慰安婦>の歴史を知ろう」公聴会(被害国と加害国の市民による公聴会)

2010 (グアテマラ) 

  • 「戦時性暴力の被害者から変革の主体へ」プロジェクト(2002~ヨランダ・アギラルによる発案)とグアテマラのNGOとの共催による「民衆法廷」

2011(南アフリカ) 

  • 「パレスチナに関するラッセル法廷ーケープ・タウン・セッション」イスラエルはアパルトヘイト国家であると再定義。

2015(旧ユーゴ)

  • 旧ユーゴスラヴィアのすべての共和国から集まった平和運動やジェンダー平等に取り組む10の女性団体が委員会を構成し、5年にわたる準備期間を経て、証言者とともに1990年代の紛争時、および戦後のジェンダー暴力を告発。旧ユーゴ特別法廷で問われることのなかった男性に対する強制的徴兵制や、戦後の民主化=民営化による女性の貧困化など、ジェンダー暴力を産む構造=「平和犯罪」という概念が提起されことも注目された(小田原琳「「平和の犯罪」としての戦時・植民地主義じぇんだー暴力ーイタリア歴史学における研究動向」『ジェンダー史学』2016、大2号:88)。

 

<真実和解委員会>  証言聴取、調査、謝罪、和解、補償、特赦、 修復的司法(Restorative Justice)

1974  (ウガンダ)  

  • 「行方不明者調査委員会」(設置主体・大統領;調査対象時期1971年~74年)

1982~84(ボリビア)

  • 「行方不明者調査委員会」(設置主体・大統領;調査対象時期1967~82年)

1983~ 84  (アルゼンチン)

  • 「行方不明者調査委員会」(設置主体・大統領;調査対象時期1976~83年)

1986~95(ウガンダ)

  • 「人権侵害調査委員会」(設置主体・大統領;調査対象時期1962~86年)

1990(オランダ)

・太平洋戦争中のインドネシアにおいて日本軍の捕虜になった元軍人や民間抑留者、収容所での非人道的な行為への公式謝罪と補償を求めて「対  日道義的債務基金」(NGO) を設立(『朝日新聞】2014年5月30日朝刊記事「ひと」)。

1990~91(ネパール)

  • 「パンチェット体制下行方不明者調査委員会」(設置主体・首相;調査対象時期1961~1990年)

1990~91 (チリ)

  • 「真実和解委員会(通称レティッヒ委員会)」(設置主体・大統領;調査対象時期1973~1990年):犠牲者の死体の隠し場所など人権侵害の実相を最も知っている軍・警察は調査に協力せず(大串和雄「ラテンアメリカ―人権侵害と加害責任」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版,2000:268)

1991~92(チャド)

  • 「ハブレ元大統領と協力者、従犯者による犯罪泳ぎ不正行為に関する調査委員会」(設置主体・大統領;調査対象時期1982~1990年)

1992~94(ドイツ)

  • 「ドイツにおける社会統一党独裁の歴史と影響を評価するための調査委員会」(設置主体・議会;調査対象時期1949~89年)

1992~93 (エルサルバドル)

  • 「エルサルバドル真実委員会」(国連主導の平和協定;調査対象時期1980~91年):約9万5千人の死者・行方不明者を出した1980年~91年の内戦における人権侵害を調査・報告。しかし、政府は報告書が公表された数日後に恩赦法を成立させ、訴追を不可能にした(大串和雄「ラテンアメリカ―人権侵害と加害責任」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版,2000:269)

1994~97(スリランカ)

  • 「強制移住ないし行方不明者調査委員会」(設立主体・大統領;調査対象時期1988~94年)

1995~96(ハイチ)

  • 「真実正義委員会」(設置主体・大統領;1991~94年)

1995~2000(南アフリカ)

  • 「真実和解委員会」(TRC 設置主体・議会;調査対象時期1960~90年)【キリスト教的「和解」のアイディアとアフリカ固有の「包容力・もてなし・寛大さ・共同性を意味する「ウブントゥー」という概念を基盤として施行された】TRCには最終的に2万1千件の「重大な人権侵害」の申告があった。そのうちの6割近くが女性からのものだったが、多くは自分の夫や息子が受けた被害の申告であり、女性自らが被害の当事者であった事例は約4分の1にとどまった。女性公聴会における匿名証言が実施されたことは評価されている(永原陽子「南アフリカ―真実和解委員会と女性たち」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版,2000:250)。

1996~97(エクアドル)

  • 「真実正義委員会」(設置主体・治安省;調査対象時期1979~96年)

1997~99(グアテマラ)

 ・「グアテマラ人民を苦しめる原因となった過去の人権侵害と暴力行為を究明する委員会」(設置主体・国連主導の和平協定;調査対象時期1962~96    年):1996年に終結した内戦中の真実究明を目的として設置されたが、権限は弱く、あまり期待が持たれなかったため、カトリック教会が中心となって   「歴史的記憶回復プロジェクト(REMHI)」を立ち上げ、報告書をまとめた(大串和雄「ラテンアメリカ―人権侵害と加害責任」内海愛子・高橋哲哉責任  編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版,2000:270)。

1999~2000(ナイジェリア)

  • 「人権侵害調査委員会」(設置主体・大統領;調査対象時期1966~99年)

2001~ 03 (ペルー)

  • 「真実和解委員会」(設置主体・大統領;調査対象時期1980~2000年):1980年代初頭に始まる反対制武装勢力のテロ活動に対する鎮圧の過程で多くの一般市民が犠牲となったが、1995年、フジモリ政権は恩赦法を公布して人権侵害の加害者を免責にした(大串和雄「ラテンアメリカ―人権侵害と加害責任」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版,2000:270~71)。

2002~04 (シエラレオネ)

  • 「真実和解委員会」(設置主体・和平協定での合意後、国内法により制定;調査対象時期1991~99年)。多くの女性とこどもが性的虐待を証言。また、伝統的な浄化の儀式を執り行う伝統的・宗教的な指導者を地域レベルでの手続きに組み込む試みもなされた。

2002~05(東ティモール)

  • 「真実受容和解委員会」(CAVR)(設置主体・国連東ティモール暫定行政機構:調査対象時期1974~99年)女性に対する性暴力の公聴会を多数開催。その際、女性のための人権組織と連携することによって、女性公聴会を適切に運営するよう配慮がなされた。

2002~04(ガーナ)

  • 「国民和解委員会」(設置主体・大統領;調査対象時期1957~93年)

2003~(パラグアイ)

  • 「真実と正義委員会」(1954~89年のストロエスネル独裁政権による人権侵害の調査)

2004~06(モロッコ)

  • 「公正和解委員会」(設置主体・国王;調査対象時期1956~99年)

2005~ (フィジー)

  • 「和解統一委員会」

2005~(韓国)

  • 「真実和解のための過去史整理委員会」

2006~09(リベリア)

  • 「真実和解委員会」(設置主体・議会;調査対象時期1979~2003年)

2009~ (ソロモン諸島)

  • 「真実和解委員会」

*この年表はフィジー、韓国、ソロモン諸島、パラグアイ以外は、阿部利洋『紛争後社会と向き合う―南アフリカ真実和解委員会』京都大学学術出版会2007、の巻末資料に多くを依拠している。

<謝罪>

1993(米:ハワイ)

  • 米国連邦議会、1893年のハワイ王国転覆事件への謝罪決議(中野聡「「植民地責任」論と米国社会―抗議・承認・生存戦略」永原陽子編『「植民地責任」論』青木書店2009:366)

1993(日本:慰安婦)

  • 慰安婦問題に関する「河野談話」→2014年6月20日、日本政府は、河野談話の見直しはしないこととした上で、河野談話の作成過程の検証を指示、その報告書が衆院予算委員会理事会に提出された。韓国は強く反発(その詳細は『読売新聞』2014年6月21日9面)。→「河野談話」の裏付けの一環となっていた元慰安婦からの聞き取りに対する疑惑が浮上→朝日新聞、「強制連行」に関する記事が誤報であったことを認め、謝罪。

1994(日本:慰安婦)

  • 慰安婦問題に関する「村山談話」

1998(韓国:ヴェトナム戦争)

  • 金大中大統領、ヴェトナム戦争中の韓国軍の残虐行為に対する謝罪の意を訪韓中のヴェトナム首脳に表し、補償の開始を命じたが、反共の野党ハンナラ党の反対もあって補償も全くすすんでいない(URL「強姦の歴史」)

2001(ヴァチカン)

  • 5月4日、ヴァチカンのパウロ2世、ギリシアで1054年の東西キリスト教会分裂確定以来、初めて1204年のコンスタンティのポリスに対する十字軍の略奪・破壊を謝罪(朝日新聞)

2004(ドイツ:ナミビア) 

  • ドイツ経済協力相H.ヴィチョレク=ツォイル(社会民主党)、ナミビアを訪問、植民地時代のトロータ将軍によるヘレロ・ナマへの人権侵害を謝罪(永原陽子「ナミビアの植民地戦争と「植民地責任」」永原陽子編『「植民地責任」論』青木書店2009:231)

2007~08(米:奴隷制)

  • 南部4州、北部1州の州議会、奴隷制および奴隷制廃止後の黒人差別に対する州の関与を謝罪決議(中野聡「「植民地責任」論と米国社会―抗議・承認・生存戦略」永原陽子編『「植民地責任」論』青木書店2009:366)

2007(米)

  • 連邦下院、121号決議で「慰安婦」の事実を認め謝罪することを日本政府に求めることを決議(コラム・貴堂嘉之「軍事化論の射程―「慰安婦」問題の置かれている歴史的位相」歴史学研究会・日本史研究会(編)『「慰安婦」問題を/から考える―軍事性暴力と日常世界』岩波書店、2014:155)。

2008(米:先住民)

  • 「インディアン保険医療改善法改正案」に、植民地以来のインディアン政策に対する長文の謝罪決議が盛り込まれた(中野聡「「植民地責任」論と米国社会―抗議・承認・生存戦略」永原陽子編『「植民地責任」論』青木書店2009:366-7)

2015年12月28日(慰安婦問題をめぐる日韓外交交渉合意)

 ・岸田文雄外相は28日、韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相とソウルの韓国外務省で会談し、慰安婦問題に関する「合意」を共同で発表。 その内容は、①日本政府は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」責任を痛感し、安倍晋三首相は「心からおわびと反省の気持ち」を表明する。②韓国政府が設立する財団に日本政府の予算で10億円を拠出し、すべての元「慰安婦」の「名誉と尊厳の回復、心の傷の癒しのための事業」を行う。③日韓両政府は、①②の措置を前提に、「慰安婦」問題が「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認」し、「今後は、国連等国際社会でこの問題について非難・批判することは控える」とのもの。また、民間団体が設置した在韓日本大使館前の「平和の秘」(少女像)の撤去や移転などに関して「適切に解決されるよう努力する」と韓国の外交部長官が表明した(吉見義明「真の解決に逆行する日韓「合意」」『世界』2016年3月号)

2016年12月28日(韓国)

・釜山の日本総領事館前の公道に、住民(特に若者)による慰安婦「少女像」の設置。2017年1月、日本政府、日韓合意に反するとして、大使と総領事の強  制帰国を指示

 

<補償>

1953(独)

  • 「連邦補償法第一条」、1933年から戦争終了時までの迫害された人びとにドイツ国家へ補償請求権を保証。(http://www.awf.or.jp/pdf/0134.pdf)

1956(日本:オランダ:インドネシア)

  • オランダはサンフランシスコ平和条約を締結し、その際、賠償請求権も放棄しているが、同年締結した日蘭議定書にもとづき、日本は1000万ドルを支払い、オランダ政府がジャワで勾留された同国民間人に分配された(URL「日本の戦争賠償と戦後補償」)

1977(日本)

  • 台湾人戦死傷者と異族人が原告となり、補償を求めて東京地裁に提訴。請求は棄却されたが、1987年、議員律法で「台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律」が成立、約2万8千人の遺族と戦傷者に一人辺り200万円が支払われた(『台湾・「慰安婦」の証言―日本人にされた阿媽たち』WAMアクティヴ・ミュージアム 2014:28)

1988(米:日系人)

  • 第二次大戦中の日系人強制収容所に対する補償法の成立(中野聡「「植民地責任」論と米国社会―抗議・承認・生存戦略」永原陽子編『「植民地責任」論』青木書店2009:366)

1988(カナダ:日系人)

  • 第二次大戦中の日系人強制収容所に対する補償法の成立。

1995~2007(日本:慰安婦)

  • 「女性のためのアジア平和国民基金」による「償い金」事業。韓国・フィリピン・台湾の285名に償い金・医療福祉支援・首相のお詫びの手紙を、オランダでは医療福祉支援とお詫びの手紙が79名に渡された(URL「女性のためのアジア平和基金」)

1995~(南アフリカ)

  • 「真実和解委員会」において認定された被害者への国家補償

1997(台湾)

  • 台湾政府、「慰安婦」被害者一人につき、日本政府の肩代わりとして50万元支給(『台湾・「慰安婦」の証言―日本人にされた阿媽たち』WAMアクティヴ・ミュージアム 2014:31)

2000(ドイツ:ナチス)

  • 法的責任を否定しつつ、「道義的」責任を認めて実質的な補償を行う目的で、ナチ時代の強制労働従事者への償いのために、政府と企業が50億ドルを拠出し「記憶・責任・未来」基金を設立(永原陽子「ナミビアの植民地戦争と「植民地責任」」永原陽子編『「植民地責任」論』青木書店2009:244)

2007(ドイツ:ナミビア)

  • 植民地ナミビアにおける1904~08年の先住民虐殺に対し、3~5年の間に計2千万ユーロ(1億9000万円)を123のコミュニティにかかわる78のプロジェクトに対して提供することに両国政府の間で合意が成立(永原陽子「ナミビアの植民地戦争と「植民地責任」」永原陽子編『「植民地責任」論』青木書店2009:233)

2007(オランダ:慰安婦)

  • オランダ議会下院、日本政府に対し元慰安婦への謝罪と補償などを求める「慰安婦問題謝罪要求決議」(URL「日本の戦争賠償と戦後補償」)

2008(ニュージーランド:先住民)

  • 1840年のワイタンギ条約後の不当な土地没収を認めて先住民マオリにたいして公 式に謝罪し、1億6000万ポンド相当の国有林を返還(中野聡「「植民地責任」論と米国社会―抗議・承認・生存戦略」永原陽子編『「植民地責任」論』青木書店2009:367)

2013(ケニア)

  • 元マウマウ闘士(女性への性的拷問を含む)らの訴訟に対し、イギリス政府が総計1400万ポンドを支払うことにより和解が成立(永原陽子「世界史のなかの植民地責任と『慰安婦』問題」西野留美子・金富子・小野沢あかね責任編集『「慰安婦」バッシングを越えてー「河野談話」と日本の責任』大月書店2013:234)。

2015年12月28日(日韓外交交渉合意)

 ・岸田文雄外相は28日、韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相とソウルの韓国外務省で会談し、慰安婦問題に関する「合意」を共同で発表。その内容は、①日本政府は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」責任を痛感し、安倍晋三首相は「心からおわびと反省の気持ち」を表明する。②韓国政府が設立する財団に日本政府の予算で10億円を拠出し、すべての元「慰安婦」の「名誉と尊厳の回復、心の傷の癒しのための事業」を行う。③日韓両政府は、①②の措置を前提に、「慰安婦」問題が「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認」し、「今後は、国連等国際社会でこの問題について非難・批判することは控える」とのもの。また、民間団体が設置した在韓日本大使館前の「平和の碑」(少女像)の撤去や移転などに関して「適切に解決されるよう努力する」と韓国の外交部長官が表明した(吉見義明「真の解決に逆行する日韓「合意」」『世界』2016年3月号)

2016年10月15日(韓国)

  • 下慰安婦29人に基金からの現金支給始まる(西日本新聞)

 

<記憶>⇒国家による「記憶」は、戦争の正当化に寄与する場合が多い

1869(日本)

  • 招魂社(1879年に靖国神社と改称)創建。(男性兵士と従軍看護婦のみ)

1973(日本)

  • 千葉県鴨川市花房の慈恩寺に、元日本軍兵士によって慰安婦を慰霊する「名もなき女の碑」が建てられる。碑には「今次の大戦に脆弱の身よく戦野に挺身、極寒暑熱の大陸の奥に、又遠く食無き南海の孤島に、戦塵艱苦の将兵を慰労激励す。時に疫病に苦しみ敵弾に倒る。戦い破れて山河なく、骨を異国に埋むも人之を知らず、戦史の陰に埋る。嗚呼、此の名も無き女性の為、小碑を建て霊を慰む。 昭和四十八年十月建之 東京 井谷(イタニ)忠衛」とある。

1985(日本)

  • 元慰安婦の城田すず子さんが晩年を過ごした千葉県館山市の婦人保護長期収容施設「かにた婦人の村」に「噫従軍慰安婦」と刻まれた石碑が建てられる

1998(グアテマラ)

  • 内戦犠牲者の証言を記録した「歴史的記憶回復(レミ)プロジェクト」。

2002(仏) 

  • パリ7区のケ・プランリに「アルジェリア戦争又はチュニジア及びモロッコの戦闘の国立記念碑」の完成。

2005(日本)

2007(中国)

  • 「中国慰安婦記念館」開設。

2008(日本) 

  • 2008年9月、沖縄県宮古島上野野原地区に、「宮古島に日本軍『慰安婦』の記念碑を建てる会」が、日本軍慰安婦だった朝鮮人女性らを記憶するための石碑  を建立。

2008(台湾)

  • 「『慰安婦』と女性人権サイバー博物館」開設(『台湾・「慰安婦」の証言―日本人にされた阿媽たち』WAMアクティヴ・ミュージアム 2014:31)

2010(米:慰安婦像①

  • 慰安婦記念碑がニュージャージー州バーゲン郡パリセイズパーク市の図書館敷地に、同市主導で設置される。2012年、日本総領事が撤去を求めるも拒否される。

2011(韓国)

  • ソウルの日本大使館前の行動に、韓国挺身隊問題対策協議会によって少女の姿をした慰安婦像が設置される。

2012(米:慰安婦像②③)

  • ニューヨーク州ナッソー郡のアイゼンハワー公園に、韓国系アメリカ人の公共問題委員会の主導で、慰安婦の碑が設置さsれる。
  • カリフォルニア州オレンジ群ガーデングローヴ・ショッピングモールに慰安婦碑

2012(韓国)

  • ソウル市西大門区に日本軍慰安婦問題について展示する「戦争と女性の人権博物館」が3億円(35億ウォン)をかけて建設され開館。日本でも日本建設委員   会が結成され、多数の運動家・運動団体や研究者が呼びかけ人となり寄付をした。

2013(米:慰安婦像④)

  • ニュージャージー州バーゲン郡ハッケンサック市、韓国系アメリカ人有権者評議会の求めに応じ、裁判所前に慰安婦記念碑の設置を許可。同じ場所には奴隷制の犠牲となったアフリカ系米国人、ホロコースト犠牲者の記念碑もある。

2013(米:慰安婦像⑤)

  • カリフォルニア州グレンデール市の公園に、韓国系団体、慰安婦少女像が設置される。現地在住の日本人ら、2014年2月に撤去を求めてロスアンゼルスの連邦地裁に提訴したが、少女像の設置は外交に関する連邦政府の顕現への干渉には当たらないとして、2014年8月4日に棄却される(『読売新聞』2014年8月6日朝刊)

2013(韓国)

  • 慶尚南道統営市の南望山彫刻公園に慰安婦の碑が建てられ「正義の碑」と命名される。

2014年(中国)

  •  中国江蘇省南京市、同市内に残された旧日本軍の慰安所とされる建物を文化財に指定し、記念石碑の除幕式が6月25日に行われた。文化財に指定されたのは
    「利済巷慰安所旧跡」で、建物は7棟計約2000平方メートル。今後、修繕を進め、関係資料を集めて展示も計画している(『読売新聞』2014年6月27日)

2014年(米:慰安婦像⑥⑦⑧)

・ 5月、米バージニア州フェアファックス郡の郡庁敷地内に慰安婦像の設置。

・ 8月、米ニュージャージー州ユニオンシティー市の広場に、「従軍慰安婦」問題に関する石碑の除幕式が行われた。同種の碑は全米7か所目
で、
碑文は同市の市長、行政委員会、市民の名で「日本帝国軍に強制的に性奴隷とされた何十万人もの韓国、中国、台湾、フィリピン、オラ
ンダ、
インドネシアの女性と少女を記念した」と記されている(『読売新聞』8月6日朝刊)
・ 8月、ミシガン州デトロイト市の韓国人文化会館前庭に慰安婦像

2015年(カナダ

  • 11月18日、カナダ・トロ韓国系団体の施設敷地内に、慰安婦を象徴する少女の除幕式が行われた。カナダでは初めて。(『読売新聞』2015年11月20日)

2016年10月22日(中国)

  • 中国・上海の上海師範大学の構内に、中国で初めてとなる慰安婦像が設置され、除幕式が行われた。像は韓国人と中国人の2人の少女をかたどったとみられ、除幕式には、韓国や中国で慰安婦だったと主張する高齢の女性らが参列した(産経新聞)

2017年(アメリカ)

  • アメリカ合衆国ジョージア州ブルックヘブン市、公園に韓国系市民団体から寄贈された慰安婦像の設置を決定

 

[付記]2014年現在売春を合法としている国

デンマーク(1999~)、オランダ(2000~)、スイス、ドイツ(2002~)、オーストリア、チェコ、イタリア、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス(街娼、ポン引き、売春宿や売春組織は違法)、フランス(街娼やポン引きは違法)、スペイン、ギリシア(街娼は違法だが、合法の売春宿あり)、タイ、インド(客引きは違法)、カナダ(斡旋行為、売春宿、専業は違法、バイト程度は合法)、チリ、ブラジル、など。

年表

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