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性暴力/売春に関する法規制小史(富永智津子)

Contents

 性暴力/売春に関する法規制小史

2014.03.21掲載 富永智津子

BC18世紀(バビロニア)

  • 「ハンムラビ法典」
    第130条「もし人が(未だ)男を知らず(男性と性的関係を持ったことのない)、(まだ)彼女の父の家に住んでいる(別の)人の妻に猿轡をはめて、彼女の膝で寝て、彼らが彼を捕らえたなら、その人は殺されなければならない。その女性は釈放されなければならない」は強姦の禁止を、第154条「もし人が自分の娘を(性的に)知ったなら、彼らはその人を市から追放しなければならない」は近親相姦の禁止をそれぞれ規定している( 原典訳『ハンムラビ「法典」中田一郎訳 LITHON,1999:37、44)。

BC10世紀~(古代イスラエル)

  • 異教徒の男性に強姦されたヤコブの娘ディナの復讐として、異教徒の男性すべてを殺し、牛や女を捕虜としたという「シケムでの出来事」(『旧約聖書』創世記 34:1-31)。
  • 「戦争によって攻略した町の住民が降伏した場合、全住民を強制労働に服させ、抗戦した場合には「男をことごとく剣にかけて撃たねばならない。ただし、女、子供、家畜、および町にあるものはすべてあなたの分捕品として奪い取ることができる」(『旧約聖書』申命記20:10)。
  • 「あなたが敵に向かって出陣し、あなたの神、主が敵をあなたの手に渡され、捕虜をとらえたとき、その中に美しい女性がいて、心引かれ、妻にしようとするならば、自分の家に連れて行きなさい。彼女は髪を下ろし、つめを切り、捕虜の衣服を脱いで、あなたの家に住み、自分の両親のために一ヶ月の間嘆かなければならない。その後、あなたは彼女のところに入ってその夫となり、彼女はあなたの妻となる。もし彼女があなたの気に入らなくなった場合、彼女の意のままに去らせなばならない。決して金で売ってはならない。すでに彼女を辱めたのであるから、奴隷のように扱ってはならない。」(『旧約聖書』申命記21:10-14)。
  • 「人がまだ婚約していない処女を誘惑し、彼女と寝たならば、必ず結納金を払って、自分の妻としなければならない。もし、彼女の父親が彼に与えることを強く拒む場合は、彼は処女のための結納金に相当するものを銀で支払わなければならない。」(『旧約聖書』出エジプト記22:15-16)。
  • 「もしある男が別の男と婚約している娘と野で出会い、これを力づくで犯し共に寝た場合は、共に寝た男だけを殺さねばならない。その娘には何もしてはならない。娘には死刑にあたる罪はない」(『旧約聖書』申命記22:25-26)。
  • 「イスラエルの女子は一人も神殿娼婦になってはならない」(『旧約聖書』申命記23:18)
    「(祭司は)遊女となって身を汚した女、あるいは離縁された女をめとってはならない。」(『旧約聖書』レビ記21:7)。
    「祭司の娘が遊女となって、身を汚すならば、彼女は父を汚す者であるから、彼女を焼き殺さねばならない。」(同上21:9)。

【富永コメント】

こうした旧約聖書の記述を支えているのは、「からだ」と「魂」は一体であり、「からだ」を汚した者は「魂」も汚れるという考え方である。このように、旧約聖書には「汚れ」という言葉が、とりわけ性行為に関して随所に見られる。ちなみに『新約聖書』のパウロ(65年没)はギリシア哲学の影響を受け、「からだ」(ソーマ)と「肉」(サルクス)を分離して捉えている。それは、パウロが手紙の中で「体は罪によって死んでいても、”霊”は義によって命となっています」(「ローマの信徒への手紙」8:10)といった表現から明らかである。これはパウロ神学の根底を支えている考え方であり、「懺悔」という方法でレイプされた女性にも救いの道が用意されていることとも合わせて考察できるだろう⇒十字軍時代の女性たち参照。
(より詳しくは、J.A.T.ロビンソン『<からだ>の神学ーパウロ神学の研究』山形孝夫訳、日本基督教団出版部 1964 参照)。なお、ナチス政権下でレイプされた多くのユダヤ人の妻を許すべきかどうかと問われたあるラビ(ユダヤ教の導師)が、「彼女たちの受難は報われるべきものであり、彼女たちに無用の苦しみをいささかでも与えてはならない」と回答している例がある(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:63)

BC5世紀頃(古代ギリシア・アテナイ)

  • 「アテナイの法は強姦を犯したものに姦通者と同様に死刑を課すことができた」(桜井万里子『古代ギリシアの女たち―アテナイの現実と夢』中公文庫、2010:125)

BC2世紀~紀元5世紀ごろ(古代インド)

  • マヌ法典は宇宙万物の生成から日々の世俗的宗教的な行動規定を示し、さらに輪廻転生までを説く壮大な規範書である。
  • 「処女を汚すものは祖霊祭から排除されるべき」、「男が傲慢から娘を強姦するときは、即座にその指二本が切断された上に六百[バナ]の罰金に値する」といった規定は強姦に関する数少ない規範の例である(『マヌ法典』渡瀬信之訳 中公文庫、1991:103,105,282)。

【富永コメント】

この法典において、強姦があまり問題とされていないのは、「この世で男を堕落させることが女の本性である。それゆえに賢者たちは女たちに心を許さない」(前掲書:73)や「(女)は、こどものときは父の、若い時は夫の、夫が死んだときは息子の支配下に入るべし」(前掲書:182)といった規定が象徴しているように、この法典がもっぱら身分制を確立するとともに、女性を男性の支配下に置くことを目的とした男性中心の法典であることによる。
なお、性暴力を受けた女性の身体観や魂の問題は、この法典からは浮かび上がってこない。ただし、「(女は)夫につかえることによって、(死後)天界において栄える」(前掲書:183)とあるように、性暴力を受けた女性がそれを理由に結婚できないとか離縁されるという規定が見られないことは、夫につかえることによって天国に行く道が開かれているからかもしれない。「死後において同伴する唯一の友人は正義(ダルマ)である。他のいっさいは肉体とともに滅び去る」(前掲書:233)という考え方も、そうした女性観を補強していると言えよう。

1世紀前後(古代インド)

  • ダルマ(法)、アルタ(実利)、カーマ(性愛)の三者をバランスよく修得することが人間として成功する道であるとされるヒンドゥー社会では、前二者と並び、カーマに関する書物も多く著されてきた。中でも『カーマ・スートラ』(ヴァーツヤーヤナ編、大場正史訳、角川文庫ソフィア、初版1971)はもっとも権威ある指南書とされている。この『カーマ・スートラ』の中に「娼婦について」の詳細な規範が収録されている。それによると、古代インドにおける娼婦は、一般の女性たちより教養があり、人間社会に欠くことのできない一部と考えられていたという。

【富永コメント】

男性が自分より低いカーストの女性や娼婦、あるいは二度結婚した女性と性的交渉を行うことは禁じられていなかった(前掲書:44~45)ことが、むしろ娼婦(遊女)に一定の社会的役割を保障したといえる。この指南本がどのように現実社会を律していたかは確認できないが、この指南本によるかぎり、娼婦は、妻には求められない性的魅力があり、しかも教養があり、高カーストの男性の余暇を充実させる相手として歓迎される存在だったことがわかる。

1世紀末ごろ(パレスチナ)

  • 新約聖書の福音書に描かれているイエスは、イエスが生きていたパレスチナのユダヤ人社会の律法を批判する言動で貫かれている。その中には「徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう」(『新約聖書』マタイによる福音書21:31)というくだりがあり、そこには病気や職業によって卑賎視されていた人びとを救済の対象としようとしたイエスの神の国運動の真髄が現れている。

[富永コメント]

こうしたイエスの説法は、ローマがキリスト教を国教化することによって変質し、マグダラのマリア像にみられるような娼婦を卑賤視するユダヤ教の律法的価値観に逆戻りしたということができる(詳しくはカレン・キング『マグダラのマリアによる福音書』山形孝夫・新免貢訳、河出書房新社、2013を参照のこと)。

4世紀(古代ローマ)

  • コンスタンティヌス帝、「フェニキア人がヘリオポリスでアフロディティをだしにして、無節操にも自分たちの妻や娘を売春婦として働かせていた慣習を犯罪として禁止」(エウセビオス『コンスタンティヌスの生涯』秦剛平訳、京都大学学術出版会、2004:234)。

【富永コメント】

コンスタンティヌス帝がキリスト教を信奉するようになったことによる神殿娼婦の禁止を意味する。

  • コンスタンティヌス大帝の支配下で、市民に対するレイプは私的な罪ではなく公的な犯罪と規定され、火刑に処せられた。誘拐や駆け落ちの場合も同じ刑が施行された(James A. Brundage, Law, Sex, and Christian Society in Medieval Europe, University of Chicago Press 1987:107;Jane F. Gardner, Women in Roman Law and Society, Indiana University Press 1991:120)。

506(西ゴート)

  • 「アラリック法典」(西ゴートの王アラリックの名を付した法典)、売春婦に笞刑三百回、それに関わる人びとに笞刑百回(ジャン=ガブリエル・マンシニ『売春の社会学』寿里茂訳、白水社 1964:32)

529(古代ローマ)

  • ユスティヌアヌス帝による売春仲介業者の取締りや売春婦の救済を盛り込んだいわゆる『ローマ法大全』の編集(ジャン=ガブリエル・マンシニ『売春の社会学』寿里茂訳、白水社 1964:28-9)。

7世紀(イスラーム)

  • コーランにおいて「娼婦」に言及した個所は一箇所のみ。「女たちから快楽をえたならば、所定の報酬を払ってやること」(『コーラン』岩波(上)井筒俊彦訳、岩波文庫,1957:113)。

【富永コメント】

コーランは旧約聖書の定める「律法」と新約聖書が説く「信仰」とを両輪としつつ、「聖典の民よ、さあ、わたしとお前たちとの間に何の差別もない御言葉のところにおいで」(前掲書:83)と、ユダヤ教・キリスト教・イスラームの三者共同の地盤の確立の必要性を説く。現世の善行への報償としては、天上の楽園(そこでは、男性たちに、美味な食事と永遠の処女との交歓が用意されているが、女性にどのような「報償」が用意されているのか不明)が準備されている。一方、旧約聖書に頻繁に登場する遊女や娼婦の「汚れ」は姿を消し、男性の性的欲望に対してはきわめて寛容である。
他方、親族の女性や結婚の相手を想定したさまざまな女性が登場するが、先に引用した一箇所以外、「娼婦」は登場しない。この一節に対し、訳者の井筒氏は「いわゆる一時結婚、つまり一定の時日を限って同棲する方式をさす」との注をつけている。実態は契約にもとづく「娼婦」といってよいのではないか。ちなみに、これは「ムトア婚」と呼ばれるものであるが、イスラーム事典ではシーア派の慣行と記されている。なお、コーランに割礼や律法などのユダヤ教的色彩が強く残っているのは、預言者ムハンマドが接触し、強く影響を受けたキリスト教徒が、「ユダヤ人キリスト教徒」であったことによる(グニルカ、J.,『コーランの中のキリスト教ーその足跡を追って』矢内義顕訳、教文館 2014 参照)

768~814(ドイツ)

  • シャルルマーニュ(カール)大帝、売春を禁じ、売春婦は公共の場で鞭打ちの刑に処せられた(ジャン=ガブリエル・マンシニ『売春の社会学』寿里茂訳、白水社 1964:52)

989~13世紀(西欧:現フランス)

  • カトリック教会によるPeace and Truce of God運動、封建社会における私的な戦争時の暴力に歯止めをかけるために精神的な制裁を課した。非暴力的手段によって市民社会をコントロールしようとした最初の組織的試み(Georges Duby (ed.) A History of Private life,Revelations of the Medieval World ,The Belknap Press of Harvard U.P.,1988:27)。

10世紀(英)

  • イギリス初代王アセルスタンの時代、合意なく処女に襲いかかった男は、全財産を失い、場合によっては命も失った(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:19)。

11世紀(英)

  • ウィリアム征服王の時代、財産のある女性を強姦した場合は去勢と両目の損失が刑罰として課された(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:19)

11世紀(カトリック世界)

  •  カトリック神学に基づき、生殖コントロール(否認・堕胎)、売買春、姦通・同性愛を禁止(三成・姫岡・小浜編『歴史を読み替えるージェンダーから見た世界史』大月書店 2014:92-93)

12世紀(英)

  • ヘンリー二世の時代、強姦された処女が訴えを起こし、起訴が成立すると、それまでの荘園裁判所ではなく、王室巡回裁判の陪審に委ねられた。訴えが受理されるのは処女に限られた(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:20)。

1212(日本)

  • 平安京には、中媒と称する下女が深窓の美女を卑賤な男に斡旋している実態があり、この年「京中の中媒と称する輩を停止すべきこと」との新制が出される(服藤早苗「日本古代・中世の買売春の成立・変容と側室」『歴史学研究』925号、2014:6)。


1242(日本)

  • 『新御成敗状』に「中媒の事、右、限りある女人の外・・・・停止すべきなり。若しなお犯あらば、その身といい男女といい、その科に処すべし」(『鎌倉遺文』5979)と、中媒(売春を斡旋業者)による人妻や未婚の娘の媒介が禁止された。(服藤早苗「日本古代・中世の買売春の成立・変容と側室」『歴史学研究』925号、2014:7)。

1275(英)

  • 第一ウェストミンスター条例、レイプ罪に対して2年の懲役と罰金が科された (スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:26)。

1283(日本)

  • 鎌倉の若宮大路の両側には「好色家」が並び、御家人たちの主演がおこなわれていた。1283年の「宇都宮家式條」では、鎌倉屋形に「白拍子・遊女・仲人などの輩、彼の地に据え置くこと」が禁止された(服藤早苗「日本古代・中世の買売春の成立・変容と側室」『歴史学研究』925号、2014:6)。

1285(英)

  • 第二ウェストミンスター条例、「結婚した女性、年配婦人あるいは若い女性」を同意なく凌辱した男性はだれでも国王の法の下に死刑に科すと規定。さらに加害者との結婚による加害者の罪の贖いという旧来の慣習が廃止された(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:26)。

14世紀(中国:明)

  • 大明律において、売妻・典妻(妻を売ったり、質入れすること)の禁止(岸本美緒「礼教・契約・生存ー清代中国の売妻・典妻慣行と道徳観念ー」『歴史学研究』925号、2014:15)。 

1385(英)

  • リチャード2世の制定による「英国陸海軍懲罰訴訟法」、軍律として「婦女の陵辱は絞首刑に処すべし」と規定(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:34)。

1560(仏)

  • オルレアン三部会、「淫売宿」を廃止(ジャン=ガブリエル・マンシニ『売春の社会学』寿里茂訳、白水社 1964:36)。

16世紀~(ドイツ)

  • 宗教改革に伴うキリスト教世界の性規範の厳罰化により、売春や婚前交渉が「犯罪」となる(三成美保『ジェンダーの法史学-近代ドイツの家族とセクシュアリティ』勁草書房2005:49)

1649(中国)

  • 清朝初期、良民が娼妓となることを禁止(大木康『中国遊里空間ー明清秦淮妓女の世界』清土社 2001:70)

1666(日本)

  • 遊郭の繁盛とともに弊害も続出、幕府は公許の遊郭を保護する一方、娼婦(湯女)の大検挙を行った。しかし、幕府の弾圧にもかかわらず、私娼はますます増加(小野武雄『吉原と島原』講談社学芸文庫 2002:17,19)

1666(ドイツ・ザクセン)

  • 「強姦された女性は告発すること。さもなければ、その女は淫行を隠した罪を問われ、晒し台で晒されたのち永久追放」(ザクセン選帝侯国ラント法第十条):「売春を禁ずる。禁を破った者は入牢・晒しのうえ、太鼓追放(太鼓を打ち鳴らしながら追放する刑)に処する」(同上第16条)(三成・姫岡・小浜『歴史を読み替えるージェンダーから見る世界史』大月書店、2014:135)

1687(仏)

  • ルイ14世、売春を後押しした者、客引きした者、売春婦を置いたホテルに刑事罰と罰金を課す(ジャン=ガブリエル・マンシニ『売春の社会学』寿里茂訳、白水社 1964:37)。

1742(日本)

  • 『公事方御定書』下巻(いわゆる御定書百箇条)で「強姦した者は重追放と手鎖」「幼女強姦した者は遠島」「輪姦をした者には獄門もしくは重追放」。

17~18世紀半ば(中国:清)

  • 清律において、妻の売却、あるいは質入れを禁止(岸本美緒「礼教・契約・生存ー清代中国の売妻・典妻慣行と道徳観念ー」『歴史学研究』925号、2014: 15)。 
1711(朝鮮・日本)
  • 江戸初期、朝鮮釜山の倭館での日本人男性と朝鮮人女性との密通について、朝鮮王朝は厳しい態度で臨み、朝鮮側の女性および仲介者はしばしば死罪に処せられたが、日本人男性は処罰されずに対馬に戻ってしまうことが多く、国際問題に発展。ついに1711年、倭館を抜け出した強姦に及んだ者は死罪、女性を誘引して和姦に及んだ者および強姦未遂の者は流刑、倭館にこっそり入ってきた女性とつうじた者はそのほかの罪とする条約(辛卯約条)が結ばれた(久留島典子・長野ひろ子・長志珠絵編『ジェンダーから見た日本史』大月書店、2015:111)。

1769(英)

  • コモン・ロー、たとえ売春婦であろうと同意なしの行為はレイプとして認定(Sir William Blackstone, Commentaries on the Laws of England 4 volumes, Oxford, 1765-69)。

1780(米)

  • ジョージ・ワシントン将軍による女性の軍隊随伴者に対する厳しい統制(1780統制令)。これにより、レイプには死刑判決が下された(デュボイス、エレン・キャロル他『女性の目からみたアメリカ史』石田紀子他訳、明石書店 2009:139;スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:30)

1778(米・仏)

  • 米・仏間の経済協定=友好条約に、戦争の際には相手国の学生、学者、農民、女性、子供を攻撃できないとの規定あり(URL:パトリシア・セラーズ「武力紛争下の性暴力―国際法の視点から」2010、東京外大AA研での講演要旨)。ちなみに、既婚女性への強姦は「その女性ではなく女性の夫への犯罪」とされた。

1791(仏)

  • 「売春取締り規則」の施行。売春の定義を明確化(ジャン=ガブリエル・マンシニ『売春の社会学』寿里茂訳、白水社 1964:38)。

1828(英)

  • Offences against the Person Act 1828 の第16条、レイプを重大犯罪として死刑と規定。ちなみにその後、レイプ罪は徐々に軽減され、1841年に死刑から1857年に流刑に、1861年に懲役刑に、そして1968年には「重罪」から除外された。

1853(中国)

  • 太平天国、南京の妓女を禁止(小野武雄『吉原と島原』講談社学芸文庫 2002:75)。

1857(英領香港)

  • 娼婦取締りのため、中国人の性病罹患娼婦の監禁治療や、イギリス兵を「感染させた」娼婦の東国などを規定(永原陽子「「慰安婦」の比較史にむけて」歴史学研究会・日本史研究会(編)『「慰安婦」問題を/から考える―軍事性暴力と日常世界』岩波書店、2014:68)

1863(米)

  • 南北戦争において、リンカーンの要請でフランシス・リーバーが作成した『陸戦訓令』(リーバー法)。国際的な慣習法をはじめて成文化し、レイプを禁止し、死刑の罰則を規定( Kelly Dawn Askin, War Crimes Against Women; Prosecution in International War Crimes Tribunals, Martinus Nijhoff Publications,The Hague,1997:35-36)。

1864(英)

  • 「伝染病法」(Contagious Diseases Act 1864)の制定。指定された軍港および軍の駐屯地において、警察が娼婦(1824年の「浮浪者取締法」によって定められた街娼common prostiruteが対象)と判断した者に定期的な性病検診を義務づけ、罹患していると判明した場合に指定の専門病院に入院させ、入院治療を拒否したものを投獄するとした。
  • 同様の法令は、その後、ジャマイカ、トリニダード、香港、海峡植民地、フィジー、ジブラルタル、マルタ、インド、ビルマ、セイロン、オーストラリアの一部、ニュージーランド、マラヤ、ケープといった帝国各地に導入された。
  • 制度の普及は幕末の日本にももたらされ、明治維新政府はお雇い外国人意思を使ってこの制度を積極的に導入した。永原陽子「「慰安婦」の比較史にむけて」歴史学研究会・日本史研究会(編)『「慰安婦」問題を/から考える―軍事性暴力と日常世界』岩波書店、2014:66-67)。

1870~1950(米)

  • 強姦を理由に死刑判決を受けた件数は771、そのうち701件が黒人。その結果、人種差別との非難が相次ぎ、1972年に「強姦を罪状とする死刑は違憲」との判決がでるが、州によっては2008年まで未成年への強姦を死刑とする法律が存在した(Wikipedia「アメリカ合衆国における死刑」)

1870(日本)

  • 律令を参考にした新律綱領の頒布、犯姦律5条に「強姦するものは流三等」と規定(倉富勇三郎ほか監修、高橋冶俊・小谷次郎編『増補 刑法沿革綜覧 日本立法資料全集2』信山社、増補復刻版1990:2331)

1870年代~1900年代(日本)

  • 日本における廃娼運動は1870年代から唱えられ、群馬県では1882年に貸座敷営業および娼妓稼ぎ廃止の布達が公布された。
  • 婦人矯風会も女性の立場からの廃娼論を展開、1900年ころより救世軍が娼妓の廃業を手助けした他、1911年には廓清 会が結成され、公娼制度を批判し続けた、公娼制度は1946年にGHQによって廃止されるまで存続した(久留島典子・長 野ひろ子・長志珠絵(編)『歴史を読み替える・ジェンダーから見た日本史』大月書店、2015:178)

1872(日本)

  • マリア・ルイーズ号事件をきっかけに、日本での娼妓が人身売買に等しいとのペルー側の抗議をうけ、太政官布告第295号「芸娼妓解放令」を公布。
  • 以後、遊郭は正式には自由意志による売春を認めた「貸座敷」とよばれるようになり、建前上は人身売買が禁止されたが、娼妓は一般に長期にわたり前借金を完済できないまま貸座敷に拘束されており、実態としては人身売買が続いていた(この布告は、近代公娼制=強制性病検診制度=娼妓の自由意志による「賤業」を国家が救貧のために許容する制度の成立の契機となる)(曽根ひろみ・人見佐知子「公娼制の成立・展開と廃娼運動-日本近世~近代へ」服藤早苗・三成美保(編著)『権力と身体』ジェンダー史叢書1、明石書店2011:218頁;藤目ゆき『性の歴史学』不二出版2005:91;小野武雄『吉原と島原』講談社学芸文庫 2002:25)

1873(日本)

  • 改正律例により「強姦する者は懲役十年」として刑罰内容を懲役刑に変更(倉富勇三郎ほか監修、高橋冶俊・小谷次郎編『増補 刑法沿革綜覧 日本立法資料全集2』信山社、増補復刻版1990:2331)

1875(米)

  • 中国人排斥問題との関連で、売春を目的とした女性の入国を禁止(藤目ゆき『性の歴史学』不二出版2005:70)。

1876(独)

  • 帝国刑法改正により売買春の禁止(180条)する一方、管理売春制度を合法化(361条)。ちなみに管理売春制度は、ハンブルクでは1922年に、その他 では1927年に廃止。(姫岡・川越編[ドイツ近現代ジェンダー史入門]青木書店2009:219)

1876(日本)

  • 内務省、全国的な梅毒検査の制度化を指示(検黴制度)、娼妓には定期的な性器の検査が義務づけられた。一方、警察署の名簿に娼妓として登録されていない娼婦(私娼)の売春は禁止された。1872年の「解放令」を契機とした近代公娼制の成立(久留島典子・長野ひろ子・長志珠絵(編)『歴史を読み替える・ジェンダーから見た日本史』大月書店、2015:178)

1880年代(フィリピン)

  • スペイン統治時代末期、売春婦が大幅に増え、合法化されて免許制が敷かれた。ちなみに、アメリカ統治に移行した後も、駐留米軍にとって買春は必要悪とみなされ、赤灯地区が設定され、性病予防のための売春婦の検診と証明書の発行が行われた。プエルトリコも同様な政策が導入されている(兼子歩「アメリカ売買春史研究の展開ー革新主義期を中心に」『歴史学研究』925号、2014:46-47)。

1882(日本)

  • 刑法の施行(明治13年太政官布告題6条)の解説書『刑法述義』、強姦罪は既に一度でも性交を承諾した者との間では成立しないと規定。つまり、強姦を被害者の身体に対する侵害ではなく、貞操に対する侵害とした( 井上操『刑法[明治13年]述義第三編(上)日本立法資料全集別館128』信山社、復刻版1999:注37)311-312)。

1886(英)

  • イギリス本国での「伝染病法」廃止にともなう公娼制度の廃止。
  • しかし、南アと同様、植民地シンガポールや香港では維持された(藤目ゆき『性の歴史学』不二出版1997:55)。
  • その後、植民地での売春の管理は、20世紀に入るこりまでに、無料の性病検査・治療体制の提供と売春で利益をあげる第三者の処罰、売春の強制の禁止を建前とするものに取って代わられる(永原陽子「「慰安婦」の比較史にむけて」歴史学研究会・日本史研究会(編)『「慰安婦」問題を/から考える―軍事性暴力と日常世界』岩波書店、2014:69)。
  • ちなみに1930年までにアメリカ、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、ニュージーランド、カナダなどで廃止。日本、オーストラリア、イタリア、スペインなどは存続。(吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』岩波ブックレット2010:45-6)

1900(日本)

  • 明治政府、全国統一的な「娼妓取締規則」を制定。18歳未満の娼妓を禁止し、自由廃業の権利を認めたが、自由意志による稼業との建前で黙認し、認可された貸座敷内での営業を認めた(若尾典子「人身売買-性奴隷制度を考える」服藤早苗・三成美保(編著)『権力と身体』ジェンダー史叢書1、明石書店2011:239頁;小野武雄『吉原と島原』講談社学芸文庫 2002:26;小野沢あかね「芸妓・娼妓・酌婦から見た戦時体制ー日本人「慰安婦」問題とは何か」歴史学研究会・日本史研究会(編)『「慰安婦」問題を/から考える―軍事性暴力と日常世界』岩波書店、2014:93-94)。

1902(米植民地フィリピン)

  • キリスト教婦人矯風会のマーガレット・エリスによるマニラ管理売春批判を受け、米国政府は性病検査を廃止し、健全な娯楽施設の建設を打ち出したが、軍による売春の管理は実質的に継続( 藤目ゆき『性の歴史学』不二出版1997:56,76)。

1904(国際)

  • 「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際協定」(日暮美奈子「帝政ドイツと国際的婦女売買撲滅運動ー西部国境を越える女性の移動から考える」『歴史学研究』925号、2014:24)

1907(日本)

  • 刑法(明治40年4月24日法律第45号)177条により「暴行または脅迫をもって13歳以上の婦女を姦淫したる者は強姦の罪と為し2年以上の有期懲役に処す」と規定。

1907(国際)

  • 「ハーグ陸戦条約」の締結。ハーグ平和会議において採択された13の条約のうち、第四条約「陸戦の法規慣例に関する条約」とその付属文書は「ハーグ陸戦規則」を指す。その第46条は、敵国の領土において軍は「家の名誉および権利、個人の生命、私有財産ならびに宗教の信仰及びその遵行を尊重しなければならない」と規定。「家の名誉」は、名誉を毀損する行為としての強姦の禁止を意味した(日本は1911年に批准)( Kelly Dawn Askin, War Crimes Against Women; Prosecution in International War Crimes Tribunals, Martinus Nijhoff Publications,The Hague,1997:40)。
  • なお、この条約の「文明国の間に存立する慣習、人道の法則及公共良心の要求より生する国際法の原則・・」という文言を援用することで、第二次世界大戦後の「人道に対する罪」概念成立の布石となった(清水正義「”人道に対する罪”の成立」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版、2000:27)。

1908(日本)

  • 日本軍の陸軍刑法(法律第46号)、殺人、略奪、強姦を処罰する規定を制定。略奪したうえに「婦女を強姦したるときは無期または7年以上の懲役に処す」とあり。ただし、強姦のみの場合には一般刑法による強姦罪が適用された(内海愛子「戦時性暴力と東京裁判」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版 2000:61)

 
1910(欧州)

  • 欧州13カ国間で「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際條約」の締結。未成年者の場合と暴力や詐欺による成人女性の売買の問題に矮小化されたため、実質的には「同意」して売春に従事した成人女性の売買を合法化した(小野沢あかね「戦間期日本における公娼制度廃止問題の歴史的特質-地域と国際関係の視点から」歴史学研究会(編)『性と権力関係の歴史』青木書店2004:75頁;藤目ゆき『性の歴史学』不二出版2005:68)。

1910(米)

  • 「マン-エルキンス法」により不道徳な目的による女性の州境を越えた移動の禁止と売買春地区の閉鎖( 藤目ゆき『性の歴史学』不二出版2005:75)。
  • 1910年代、売春施設が集中していた赤灯地区が全米で次々に廃止され、売春施設を中心とした性売買が衰退、かわって、男性客と売春婦を仲介するピンプと呼ばれる男性斡旋者が跋扈し、売春婦への経済的搾取が強化された(兼子歩「アメリカ売買春史研究の展開ー革新主義期を中心に」『歴史学研究』925号、2014:39)。
  • ちなみに、アメリカでは、ヨーロッパ諸国と異なり、売春施設の運営や管理に直接当局が関与する管理売春は存在しなかった(兼子歩「アメリカ売買春史研究の展開ー革新主義期を中心に」『歴史学研究』925号、2014:43)。

1914~(米)

  • 第一次大戦中、米政府「アメリカ・プラン」(米軍の兵営5マイル以内ではどんな女性も逮捕でき、その女性の市民権を停止することができる軍隊保護法:性病から兵士を保護する目的)を推進(藤目ゆき『性の歴史学』不二出版1997:78)。

1919(中国)

  • 五四運動を契機に廃娼運動勃発(斉藤茂『妓女と中国文人』東方書店 2000:72)

1919(国際)

  • 第一次世界大戦戦犯委員会[WWI War Crimes Commission]、32項目の戦争犯罪リストの5~6番目にレイプと強制売春をアップ(Kelly Dawn Askin, War Crimes Against Women; Prosecution in International War Crimes Tribunals, Martinus Nijhoff Publications,The Hague,1997:42)。

1921(国際) 

  • 国際連盟加盟国23カ国間で「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」の締結、日本も1925年に批准。しかし、植民地への適用を留保。イギリスも同様の留保を付けた国のひとつ(小野沢あかね「戦間期日本における公娼精度廃止問題の歴史的特質-地域と国際関係の視点から」歴史学研究会(編)『性と権力関係の歴史』176頁)。
  • 以後、フランス領インドシナと香港、タイ以外のインドネシア、フィリピン、シンガポールなどの売春宿の禁止が相次ぐが、それは表向きであって、シンガポールなどでは事実上の存続、ないし再立法化が行われている(吉見義明・林博史編著『共同研究日本軍慰安婦』大月書店1995:108~114頁;永原陽子「「慰安婦」の比較史にむけて」歴史学研究会・日本史研究会(編)『「慰安婦」問題を/から考える―軍事性暴力と日常世界』岩波書店、2014:69-70)。

1928(国際)

  • 国際紛争を解決する手段として、締約国相互の戦争放棄をうたった不戦条約(パリ条約、ブリアン・ケロッグ条約とも)の成立。米・英・独・仏・伊・日など15カ国が調印。その後ソ連など63カ国が署名(峯陽一・畑中幸子編著『憎悪から和解へ―地域紛争を考える』京都大学学術出版会2000:161)。この条約に多くの国が参加したのは何らの義務も制約もなかったからだが、ブリアンの裏切りにもかかわらず、ケロッグが必死になってこの条約をまとめた背後に、女性たちの平和運動があったことは間違いない(西川純子氏による情報)

1929~30(日本・植民地)

  • この時期の売春施設「貸座敷」指定地数は「内地」541、朝鮮25、台湾11、「貸座敷」営業者数は、「内地」1万1154、朝鮮510、台湾124、娼妓数は「内地」5万56人、朝鮮2997人、台湾1128人だった(久留島典子・長野ひろ子・長志珠絵(編)『歴史を読み替える・ジェンダーから見た日本史』大月書店、2015:178)

1933(国際)

  • 国際連盟「成年婦女子の売買の禁止に関する国際条約」の採択

1934(ボツワナ)

  • 英領ベチュアナランド保護領において、植民地当局がアフリカ人向け法廷を設置するさいに、人類学者によって1920年代~30年代に採集された「記録」をもとに編集された『ツワナの法・慣習ハンドブック』によれば、殺人やその他の人間に対する暴力や財産の侵害と並び「レイプ」(「ペテレロ」)が違法行為として挙げられている。
  • それによれば、女性に対する性行為の暴力的強制は「昔は死刑であったが、今日ではある集団では牛数頭の✕と思いムチ打ちの刑、未遂の場合にも重罪とみなされ相応の罰にあたり」、女性はできるだけ早く親戚や友人に訴えることが義務であるとされていた(永原陽子「ジェンダーとセクシュアリティーレイプの政治学:報告2」日本アフリカ学会編『アフリカ研究』No.72、2008年3月号:85)。

1941(ドイツ)

  • 「改正刑法」、「民族共同体防衛あるいは正義の贖いが要求される場合」風俗犯にも最高刑として死刑を導入し、軍の成員にも適用しうるとしたが、実際には軽微の懲役扱いにされるか、ほとんど問題にされなかった(芝健介「戦時性暴力とニュルンベルク国際軍事裁判」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版 2000:41)
  • 「バルバロッサ作戦(ナチ・ドイツの対ソ作戦コード名)地域における軍法会議実施及びドイツ軍部隊への特別措置に関する指令」により、ソ連住民に対するドイツ軍兵士の犯罪行為は、軍紀の維持ないし部隊の保安が問題にならない限り、追求されないことになった(芝健介「戦時性暴力とニュルンベルク国際 軍事裁判」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版 2000:41~42)

1941(日本)

  • 治安維持のため「戦時犯罪処罰ノ特例ニ関スル法律」を制定し、性犯罪の厳罰化を図る( 牧野雅子「戦時体制下における性の管理-出征兵士の妻の姦通取締りをめぐって」京都大学グローバルCOE『帝国日本の戦時性暴力』2013:.6)。

1942(日本)

  • 日本軍、陸軍刑法を改正し、「戦地又は帝国軍の占領地に於いて婦女を強姦したる者は無期又は一年以上の懲役に処す」の条文が付加され、しかも非親告罪に変えられた。しかし、改正後も強姦で処罰されたものは極めて少ない((内海愛子「戦時性暴力と東京裁判」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版 2000:63;アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編集発行『ある日、日本軍がやってきた―中国・洗浄での強かんと慰安所』2008:21)

1945(国連)

  • 「国際軍事裁判所憲章」(ニュルンベルク裁判憲章)、通例の戦争犯罪の他に侵略戦争の共同謀議罪、平和に対する罪の他、「人道に対する罪」を始めて定式化(清水正義「”人道に対する罪”の成立」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版、2000:32;藤田久一『戦争犯罪とは何か』岩波書店1995:110)。

1946(仏)

  • 「マルト・リシャール法」(Loe Marthe-Richard)により、管理買春所の禁止((永原陽子「「慰安婦」の比較史にむけて」歴史学研究会・日本史研究会(編)『「慰安婦」問題を/から考える―軍事性暴力と日常世界』岩波書店、2014:74)。

1946(日本)

  • 1月、GHQの指令により公娼制の廃止。その後、旧公娼地域を中心として「赤線」と呼ばれる売春街が形成され、「パンパン」と呼ばれる街娼が激増(藤目ゆき『性の歴史学』不二出版2005:327)。

1947(日本)

  • 女性に売春させることを禁じた昭和22年勅令第9号公布(久留島典子・長野ひろ子・長志珠絵編『歴史を読み替えるージェンダーから見た日本史』大月書店、2015:240)。

1947(南朝鮮)

  • 南朝鮮過渡政府法律第7号「公娼制度廃止令」により、1916年に導入された日本による公娼制度廃止される。売春行為も禁止(川村湊『妓生ーもの言う花の文化誌』作品社、2001:222)。

1948(国連)

  • 国連総会において、56全加盟国全会一致で「ジェノサイド条約」を採択。大量殺害を犯罪とする「国際人道法」の概念を確立。日本は未批准。1951年発効(永原陽子『植民地責任論』青木書店2009,13)。
  • 国連総会において「世界人権宣言」採択(井上・江原編『女性のデータブック』第4版:264)

1949 (国連)

  • ジュネーヴ諸条約(全権外港会議で作成・協定された4つの条約の総称。今日の戦時国際法の基幹)。そのひとつである「ジュネーヴ第4条約」第27条に「女子は、その名誉に対する侵害、強かん、強制売いんその他のあらゆる種類のわいせつ行為から特別に保護しなければならない」などの規定。しかし、全体として保護対象の98%が男性であり、内戦時の文民への性暴力の加害者への処罰は規定されていない(三成他著『ジェンダー法学入門』法律文化社2011:32~3)。
  • ちなみに、これに匹敵する慣習法的戦争法「ビリ・マ・ゲイド」(殺してはいけない者の掟)がソマリア北部の氏族の間で保持されている。その中には、女性・子ども・老人・賓客・傷病者・宗教的指導者・共同体の指導者・和平の使節・捕虜が含まれる(高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』本の雑誌社 2013:120)

1949(国連)

  • 国際連合「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」の採択、1951年に発効。

1950(国連)

  • 国連国際法委員会において「平和に対する罪」「戦争犯罪」「人道に対する罪」が「ニュルンベルク諸原則」として国際法上の犯罪として確認される(清  水正義「”人道に対する罪”の成立」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版、2000:33~34)。

1950(欧州)

  • 「ヨーロッパ人権条約」。発効は1953年。

1956(日本)

  • 「売春防止法」の制定。翌年から施行。刑事処分については1958年4月から適用。これにより「赤線」消滅。以後「トルコ風呂」「ソープランド」として存続(藤目ゆき『性の歴史学』不二出版2005:417)。

1958(中国)

  • 中華人民共和国成立後、廃娼運動の徹底化(斉藤茂『妓女と中国文人』東方書店 2000:72)

1959(欧州)

  • 欧州評議会により「欧州人権裁判所」の設置(1998年より常設組織となる)

1961(韓国)

  • 法律第771号として「りん落行為防止法」による積極的な売春行為の禁止(川村湊『妓生ーもの言う花の文化誌』作品社、2001:223)

1964(フランス

  • フランス議会、「人道に対する罪はその性質上時効にかからない」という一条からなる法律を可決(渡辺和行「フランスの戦犯裁判ー第二次大戦と”人道に対する罪”」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版、2000:187)

1966(国連)

1968(国連)

  • 第23回国連総会、「戦争犯罪及び人道に反する罪に対する時効不適用に関する条約」(Convention on the Non-Applicability of Statutory Limitations to War Crimes and Crimes Against Humanity)を採択。58カ国が同意。日本は棄権。ドイツ、フランス、ポーランド等は国内法でも規定。(藤田久一『戦争犯罪とは何か』岩波書店、1995:138)

1972(沖縄)

  • 売春防止法の適用(WAM『軍隊は女性を守らない―沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力』アクティヴ・ミュージアム・女たちの戦争と平和資料館 2012:46)

1973(国連)

  • 「アパルトヘイト犯罪の抑圧及び処罰に関する国際条約(アパルトヘイト条約)」の採択(峯陽一・畑中幸子編著『憎悪から和解へ―地域紛争を考える』京都大学学術出版会2000:162)。

1976(国連)

  • 国際人権B規約第1選択議定書締約国による「自由権規約人権委員会」の設置

1977(国際)

  • 国際人道法外交会議、「非国際的武力紛争の犠牲者の保護に関し、1949年8月12日のジュネーヴ諸条約に追加される議定書(第二追加議定書)を採択(峯陽一・畑中幸子編著『憎悪から和解へ―地域紛争を考える』京都大学学術出版会2000:160)。

1978(米州)

  • 米州人権条約締約国による「米州人権裁判所」の設置

1979(国連)

1992(国連)

  • 女性差別撤廃委員会、女性に対する暴力が女性差別であることを明確に位置づけた「一般勧告19」を採択(URL:伊藤和子「女性差別撤廃条約30年の発展と日本のジェンダー平等の課題」:18)。

1993(国連)  

  • 国連総会で、「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」採択(井上・江原編『女性のデータブック』第4版:272)
  • 国連安保理決議827、旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷をハーグに設置することを決定し、「国際裁判法」(Statute of the International Tribunal)を採択、歴史上はじめてレイプを独立した訴因として認め、「人道に対する犯罪」として第5条に盛り込む(川口博「旧ユーゴスラヴィア紛争―女性への暴力と国際刑事法廷」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版、2000:224;Tamara L. Tompkins, “Prosecuting Rape as a War Crime: Speaking the Unspeakable,” 70 Notre Dame Law Review 845

1994(国際)

  • 国際法律家委員会(ICJ)、「慰安婦」被害者に個人請求権ありと結論づける(小野沢あかね「芸妓・娼妓・酌婦から見た戦時体制―日本人「慰安婦」問題とは何か」歴史学研究会・日本史研究会(編)『「慰安婦」問題を/から考える―戦時性暴力と日常世界』岩波書店、2014:90)
1994年(国連)
  • 旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所の設置。

1995(北京世界女性会議)

  • 北京行動綱領」の採択。女性への暴力に関するもっとも包括的な規定(「歴史を読み替える」ホームページ)

1996(国連)

1997(国連)
  • ルワンダ国際刑事裁判所の設置。

1998(国連)

  • 国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会で採択されたゲイ・J・マクドゥーガル戦時・性奴隷特別報告」、「慰安婦」を性奴隷制、慰安所を「レイプセンター」と位置づけ、責任者の処罰を要求(国連マクドゥーガル報告『戦時性暴力をどう裁くか』VAW-NET JAPAN編訳、凱風社 2000)

1998(国連)

  • 「国際刑事裁判所に関するローマ規定」の採択。強姦や性奴隷などの性暴力などが「人道に対する罪」として明記される。2002年に実効力を持つ。日本は2007年に105カ国目の締約国となる(米、ロシア、中国、イスラエル、インド、スーダン、ジンバブウェ、非加盟)(三成ほか『ジェンダー法学入門』法律文化社2011:32)。

1999(スウェーデン)

  • 性的サービスに従事する人々の保護を目的とし、セックスを売ることではなく買うことを禁じた「セックスショップ法」、すなわち「買春禁止法」がスウェーデン議会を通過。

1999(国連)

2000(国連)

  • 国連、「人身取引禁止議定書」を採択。2003年発効(日本は未批准)( 羽場久美子「世界史の「周辺」におけるジェンダー―「トラフィッキング(人身売買)」と従軍慰安婦非難決議」長野ひろ子・姫岡とし子(編著)『歴史教育とジェンダー―教科書からサブカルチャーまで』青弓社2011:187)。

2000(国連)

  • 国連安全保障理事会、「紛争中および紛争後の女性と少女の権利保護」を目的とした決議1325を採択。[国連安全保障理事会では、2000年にはじめて紛争の女性に対する影響について決議を採択。この決議1325号「女性・平和・安全保障」は、平和・安全保障政策の意思決定レベルや平和構築の現場に女性の参加を促す画期的なもの。
  • 以後、性暴力防止のために、2008年(決議1820)、2009年(決議1888)、2009年(決議1889)、2010年(決議1960)、2013年(決議2106)、2013年(決議2122)が次々に採択されている。

2001(国連)

  • 国連人権委員会におけるクマラスワミ特別報告「女性に対する暴力-武力紛争時において国家が犯した、あるいは(および)黙認した女性に対する暴力(1997~2000)」

2001(国連)

  • 国連主催「人種主義・人種差別、排外主義、および関連する不寛容に反対する世界会議」宣言(南アフリカ・ダーバン)、「人道に対する罪」にも言及

2002(国連)

  • 性暴力のすべてを人道上の犯罪と認定した国際刑事裁判所規定(ローマ規定:1998年に採択)の発効:2003年にハーグに裁判所開設

2002(国連)

  • 国連関係機関常設委員会「人道的危機における性的搾取及び虐待からの保護に関する特別委員会」の設置。

2002(アフガニスタン)

  • 女性の人権を守るため「アフガニスタン独立人権委員会」の設立。

2003(国連)

  • 国連人権委員会「女性に対する暴力、その原因と結果に関する特別報告者」ラディカ・クマラスワミによる最終報告書(ラディカ・クマラスワミ『女性に対する暴力をめぐる10年』VAW-NET JAPAN翻訳チーム訳、明石書店 2003)

2004~(アフリカ)

  • アフリカ連合(AU)による「アフリカ人権裁判所」の設置

2004 (スリランカ)

  • この年の11月20日より「強姦、殺人、麻薬取引に関して死刑を適用」(『アムネスティ・レポート世界の人権2005』社団法人アムネスティ・インターナショナル日本 2005:18)

2006(国連)

  • 国連総会、「強制失踪防止条約」を採択。2010年発効。

2007(国連)

  • 13の関連部局を統合し、UN Action Against Sexual Violence in Conflictを設置。

2007(EU)

  • 欧州議会、「慰安婦(IANFU)(アジアにおける第二次世界大戦の戦前・戦中の性奴隷)のための正義に関する欧州議会決議」の可決(羽場久美子「世界史の「周辺」におけるジェンダー―「トラフィッキング(人身売買)」と従軍慰安婦非難決議」長野ひろ子・姫岡とし子(編著)『歴史教育とジェンダー―教科書からサブカルチャーまで』青弓社2011:188)。

2007(スペイン)

  • 「内戦および独裁期に迫害ないし暴力を被った者の益となるよう諸権利を認知・拡張し、措置を定める法」の制定(飯島みどり「フランコと再び向き合うスペイン社会―『歴史的記憶の法』をめぐって」『戦争責任研究』59号、2008)。

2009(ノルウェー、アイスランド)

  • スウェーデンの「買春禁止法」にならい、同様な禁止法を導入。

2013(国際)

  • ロック・アーン(英)で行われたG8サミット、「紛争下の性的暴力防止に関する宣言」を採択(外務省ウェブサイト「外交政策」2013年4月11日)。

2014(カナダ)

  • 「買春禁止法」を採択。

2015(北アイルランド)

  • 「買春禁止法」を採択。

2016(フランス)

  • 国民議会(下院)、「買春禁止法」を可決。

年表

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