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軍事性暴力小史(富永智津子)

 軍事性暴力小史

2014.03.21 富永智津子

BC21世紀頃(メソポタミア)

  • ウル第三王朝の2つの行政文書は、捕虜となった197人の女性と子どもが神殿に奉納され、さまざまな労働に従事させられていたことを示している。また、織物労働者や妾として王家で養われた場合もあった(ゲルダ・ラーナー『男性支配の起源と歴史』三一書房1996:110~111)

BC8~9頃(古代ギリシア)

  • ホメロスの叙事詩『イリアス』に描かれる戦時下(トロイア戦争)の女性たち。この叙事詩の第一歌は、囚われてギリシア軍の総帥アガメムノンの妾となった祭司の娘クリュセイスをめぐる駆け引きから始まる。娘の返還を要求する祭司に対しアガメムノン曰く「・・・娘を返すつもりはない。故郷を遠くアルゴスなるわが屋敷で機を織り、わしの夜伽をつとめながら老いを迎えるまではな。・・・」(ホメロス『イリアス』(上)松平千秋訳、岩波文庫、1992:12)。捕虜となった女性は当然のこととして征服者の戦利品とされ、兵士に分配された。一方、男性の捕虜は殺されることが多かった(ゲルダ・ラーナー『男性支配の起源と歴史』三一書房1996:112)。

5世紀(ローマ)

  • アウグスティヌスの記述には、当時、「蛮族」(西ゴート)との戦争に巻き込まれた女性たちへの性暴力が散見される。そうした性暴力に対し、アウグスティヌスは「神に身を捧げた処女たちが捕虜のあいだにこうむった恥辱は、意志の同意がないかぎり精神の特性を汚したであろうか」と問い、議論を展開している(アウグスティヌス『神の国』(一)服部英次郎訳 岩波文庫 1982、第一巻第16章)。ここでアウグスティヌスが議論しているのは、戦争で捕虜となった女性に加えられた恥辱は、「避ける事ができないものであるかぎり、それをこうむるものの罪責ではない」ということである。【富永コメント】こうした考え方は、アウグスティヌスが影響を受けたギリシア哲学の霊肉二元論を源流としている。第18章「精神が同意なしに、自由のきかぬ身体にうける他人の暴力と情欲について」、第19章「その身に加えられた恥辱のゆえに自害したルクレティアについて」も参照のこと。(ここでは岩波文庫版を参照したが、訳としては教文館版『アウグスティヌス著作集』11[神の国](1)の方が読みやすい)

1097~(十字軍)

  • 第一回十字軍による性暴力の横行。例えば「二カエアでの攻撃が両軍ともに一区切りつくと、この都市の譲渡に関してさまざまな話し合いがなされたが、大勢のキリスト教徒が返還された。解放された人の中にトリールの聖マリア修道院のさる修道女がおり、他の人びとと一緒にキリスト教徒軍の手のもとに戻ってきた。彼女は、自分は捕らえられ、ピエールの殲滅した軍勢から連れ去られた、そして手荒な扱いを受け、あるトルコ人とその他の者どもとほとんど絶え間なく汚らわしい交わりをさせられた、と苦々しく語った。」という記録が残っている(エリザベス・ハラム『十字軍大全』川成洋・大田直也・大田美智子訳、東洋書林、2006:103)。【富永コメント】十字軍に多くの女性が従軍していたことは、1097年のノルマンディー公らの船団の一艘が沈没、その船には400人ほどの男女が乗船していたとの記録や、同年のドリュラエイムの戦いにおいて「わが軍の女性たちがわれらをずいぶん助けてくれた、というのは防衛している兵士たちに呑水を運んでくれ、敵を防いでいる彼らに気を配ってくれたからである」との記録によっても確認できる(エリザベス・ハラム、前掲書:100,114)。しかし、その中に「娼婦」が含まれていたかどうかは必ずしも資料的に裏付けられてはいないとする研究者もいる( Tamara L. Tompkins, “Prosecuting Rape as a War Crime: Speaking the Unspeakable,” 70 Notre Dame Law Review 845。他にスーザン・ブラウンミラー『レイプ・踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:29も参照のこと)。 ⇒「十字軍時代の女性たち」

 

1453(トルコ)

  • オスマン軍はコンスタンティノープルに入城後「尼僧院を立ち入り検査、尼僧たち全員を船に連れて行った。尼僧たちはトルコ人に辱められ、名誉を踏みにじられた。その後、彼女たちは奴隷として競りにかけられ、トルコに連れて行かれた。乙女たちもすべて同じように凌辱され、競りにかけられたが、中には井戸に身を投げて溺死する方を選んだ娘たちもいた。」(エリザベス・ハラム『十字軍大全』川成洋・大田直也・大田美智子訳、東洋書林、2006:532)。

1527(ヴァティカン)

  • プロテスタントによるヴァティカン攻略時の略奪と強姦(若桑みどり『戦争とジェンダー』大月書店2005:175)。

1540(北米)

  • バスケス・デ・コロナド率いるスペイン人の集団、金鉱を求めてメキシコから北上、プエブロ地区に入るも金鉱が見つからず、退却時に略奪・強姦・殺戮の限りを尽くす(デュボイス、エレン・キャロル他『女性の目からみたアメリカ史』石田紀子他訳、明石書店2009:55)。

1567(フランス:宗教戦争)

  • カトリック教徒のフランス人男性によるユグノー女性への性暴力。この年、プロヴァンス近郊で起きた兵士によるレイプ事件を、カトリック司祭が日記に克明に記した史料が残っている (Tamara L. Tompkins, “Prosecuting Rape as a War Crime: Speaking the Unspeakable,” 70 Notre Dame Law Review 845;スーザン・ブラウンミラー『レイプ・踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:36)。

1746(イングランド・スコットランド紛争)

  • ジョージ王の軍隊、スコットランドの叛乱鎮圧後、スコットランド女性をレイプ(Tamara L. Tompkins, “Prosecuting Rape as a War Crime: Speaking the Unspeakable,” 70 Notre Dame Law Review 845;スーザン・ブラウンミラー『レイプ・踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:38-41)。

1775~83(アメリカ独立戦争)

  • 独立戦争中「強姦の報告は稀であった」との記述あり(デュボイス、エレン・キャロル他『女性の目からみたアメリカ史』石田紀子他訳、明石書店 2009:139)。【富永コメント】その背景には、ジョージ・ワシントン将軍による女性の軍隊随伴者に対する厳しい統制(1780統制令)があったと思われる(同上135)。ちなみに、ワシントンの書簡 (1780.7.22) に、独立戦争中、第7ペンシルヴェニア連隊のトーマス・ブラウンなる兵士がレイプを犯した罪で死刑判決を受けたとの記述がある(Tamara L. Tompkins, “Prosecuting Rape as a War Crime: Speaking the Unspeakable,” 70 Notre Dame Law Review 845:スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』勁草書房2000:30)

1898~90 (中国:義和団事件)  

  • 義和団事件鎮圧に際しての独露英仏米伊豪連合軍による何千人もの中国人女性へのレイプ事件。新聞記者George Lynchをして「西欧文明が単なる野蛮の上塗りであることを示すような事態が起こっている」と言わしめた(Patricai Ebrey, Anne Walhall, James Palais, East Asia: A Cultural, Social and Political History, Cenage Learning 2009:301)。【富永コメント】ここには、「日本兵は西欧の連合軍兵士による3日間の略奪、レイプ、虐殺を驚いて眺めていた」との記述もあるが、詳細には触れていない。

1904~07(ドイツ領西南アフリカ

  • ヘレロ・ナマ蜂起鎮圧後の捕虜収容所におけるドイツ兵による性暴力(Wolfram Hartmann, “Urges in the colony, Men and women in colonial Windhoek, 1890-1905”、Journal of Namibia Studies, 1,2007:40)。

1914~(ドイツ:第一次世界大戦)

  • 第一次大戦勃発直後の3カ月、ドイツ兵によるベルギー人女性とフランス人女性へのレイプ多発(Tamara L. Tompkins, “Prosecuting Rape as a War Crime: Speaking the Unspeakable,” 70 Notre Dame Law Review 845:山本めゆ「父の痕跡―引揚援護事業に刻印された性暴力と混血の忌避」京都大学グローバルCOE『帝国日本の戦時性暴力』2013:29Arnold J.Toynbee, The German Terror in Belgium, Hodder & Stoughton,London, 1917;Arnold J.Toynbee, The German Terror in France, London,1917)。ちなみに、こうした強姦事件は、当時、反ドイツのプロパガンダに大いに利用され、アメリカの参戦への布石となる一方、証拠なしとして、その事実を葬り去ろうとする論者も現れた(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』勁草書房2000:46-52;芝健介「戦時性暴力とニュルンベルク国際軍事裁判」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版 2000:46)。

1920年代(ドイツ:第一次世界大戦後)

  • ライン河左岸を占領した連合軍兵士(モロッコ、チュニジア、アルジェリア、マダガスカル、セネガルなどの植民地兵を含む)によるドイツ人女性への強姦。「黒い恥辱」として愛国キャンペーンに利用された(弓削尚子「ドイツにおける戦争とネイション・「人種」-「黒い恥辱」を起点に考える」加藤千香子・細谷実(編著)『暴力と戦争』ジェンダー史叢書5,明石書店2009:山本めゆ「父の痕跡―引揚援護事業に刻印された性暴力と混血の忌避」京都大学グローバルCOE『帝国日本の戦時性暴力』2013:30)。

1937(日本:日中戦争)

  • 日中戦争初期の日本軍による南京占領時の性暴力。東京裁判の判決文には「占領後1ヶ月間に市内では約2万件の強姦が発生した」とある(スーザン・ブラウンミラー『レイプ・踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:72;笠原十九司『南京難民区の百日―虐殺を見た外国人』岩波書店1995:2-3)。ちなみに日本政府は戦争における強姦がハーグ平和会議(1907)で規定された非道な犯罪であることを念頭におき、全力をあげて隠蔽工作に奔走したことが、戦後の裁判に証拠として採用されている(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』勁草書房2000:73)。

1938~(ドイツ:水晶の夜)

  • 「水晶の夜」に始まる各地ゲットーでのユダヤ人女性への性暴力(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:55~)。

1940年代(ポルトガル領モザンビーク)

  • 植民地行政官や民間会社のエージェントによる綿花栽培に関連するアフリカ人女性労働者への性暴力(船田クラーセンさやか『モザンビーク解放闘争史―「統一」と「分裂」の起源を求めて』お茶の水書房2007:134,195)。

1941(ドイツ/ソ連)

  • ドイツ軍がソ連に侵攻したこの年に、ドイツ軍によって引き起こされた強かん事件に関する詳細な証拠(ソ連側証拠物件51号。ソ連外相モロトフが1942年に各連合国政府あての中間報告としてまとめたことから通称[モロトフ覚書」と呼ばれている)が残っている。のちにニュルンベルク裁判の証拠として採用された(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:63-65;若桑みどり『戦争とジェンダー』大月書店2005:178;レギーナ・ミュールホイザー『戦場の性ー独ソ戦下のドイツ兵と女性たち』姫岡とし子監訳、岩波書店、2015:50頁)
  • この年の8月25日、26日、9月1日に行われたドイツ軍による作戦でセデューヴァをはじめ4つの地域の「処刑者」数は、2名の共産主義者以外はユダヤ人男性3162名、女性・子ども6397名。女性は処刑前に強かんされたり乳房を切断された者も多い(芝健介「戦時性暴力とニュルンベルク国際軍事裁判」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版 2000:42)

1944(フランス)

  • ニュルンベルグ裁判の記録に、ドイツ占領下のフランスのべクール郡サン・ドナ村の女性54人に対するドイツ軍部隊による強かん事件、同じくナチス親衛隊の命令下でのモンゴル人部隊によるプレスレでの強かん事件あり(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:65-66)

1944(フィリピン:第二次世界大戦)

  • マパニケ村での日本兵による戦時性暴力事件。山下奉文大将率いる第14軍第2洗車師団による虐殺作戦の命令書が防衛庁戦史資料室で確認され、その際にレイプされた女性の50年後の証言が「マパニケの女性たち」に収録、2000年の「女性国際戦犯法廷」の証拠となる。山下大将はマニラで処刑(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編集出版『フィリピン・立ち上がるロラたち―日本軍に踏みにじられた島々からー』2011:22)。【富永コメント】なお、大戦中の性暴力・慰安所についてはさまざまな証言の他、東京裁判で採用された証拠あり(吉見義明監修/内海愛子/宇田川幸大/高橋茂人/土野瑞穂編『東京裁判-性暴力関係資料』現代資料出版2011参照)。『朝日新聞』2013年11月28日のインドネシアの元慰安婦証言記事も参照のこと。

1945~1954(フランス)  

 ・ドイツ軍に協力した人びとへの「粛清裁判」の時期。各地で略式処刑がはじまり、女性もリンチにあった。そこには男尊女卑の差別意識が見
え隠れしていた。
娼婦やドイツ兵と交際した女性、対独協力に走った女性は丸刈りにされたり、裸にして引き回されたりした。軍法会議の
後処刑された女性もいた。その後設置 された特別裁判所で は、1952年までに12万4千件の事件を審理し、対独協力者を中心に6763名に
死刑が宣告され、そのうち実際には767名が処刑された (渡辺和行「フランスの戦犯裁判―第一次大戦と”人道に対する罪”」内海愛子・高
橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版,2000:183)。

1945(日本)

  • 「旧日本軍の従軍慰安婦問題で、太平洋戦争中にインドネシアのバリ島に海軍兵曹長として駐屯していた男性が、1962年の法務省の調査に『終戦後(慰安所を戦争犯罪の対象に問われないよう)軍から資金をもらい、住民の懐柔工作をした』と供述していたことが分かった。元兵曹長は『(慰安婦として)現地人など約70人を連れてきた』『他にも約200人を部隊の命で連れ込んだ』などと連行の実態も説明していた。関東学院大の林博史教授(日本近現代史)の研究室が国立公文書館(東京)保管の資料で見つけた。林教授は『河野洋平官房長官談話が認めた軍の関与を裏付けるもので重要だ』と評価している。法務省の担当者は男性の供述について『既に公文書館に資料を移管していて確認できず、責任を持って答えられない』と回答した。  法務省の資料によると、元兵曹長は47年8月、オランダ軍がBC級戦犯を裁いたインドネシア・バタビア(現在のジャカルタ)の軍法会議で、住民への暴行などに問われ、懲役12年(求刑懲役15年)の判決を受けた。 元兵曹長は62年8月の調査に『(発覚を)一番恐れたのは慰安所事件だった』と告白した。強制売春は戦犯行為に問われる。元兵曹長は『軍需部などに強硬談判して約70万円をもらい、各村長を通じて住民の懐柔工作に使った』と述べ、組織的な隠蔽(いんぺい)を示唆した。『これが完全に功を奏したとみえ(慰安婦関連では)1件も訴えが出なかった』と話した。」(『静岡新聞』2014年3月23日朝刊 共同通信配信記事)

1944~45(連合軍:第二次世界大戦)

  • 第二次世界大戦末期のノルマンディー上陸作戦後、ドイツ兵と性的関係をもったフランス人女性約2万人への頭髪を剃るなどの粛清あり(アンソニー・ビーヴァー『ノルマンディー上陸作戦1944』下、平賀秀明訳、白水社2011:443;アンソニー・ビーヴァー/アーテミス・クーパー『パリ解放1944~49』北代美和子訳、白水社2012:108~09)。同時期、シュトゥットガルト市のドイツ人警察署長カール・ウェーバーがフランス軍のモロッコ人兵士らによる1098件のレイプ事件を報告している(スーザン・ブラウンミラー『レイプ―踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:93)。

1945(朝鮮半島・満州・北支:第二次世界大戦)

  • 日本人女性引き揚げ者への朝鮮人、ソ連人、中国人、アメリカ人、台湾人、フィリピン人によるレイプ事件多発。ソ連兵による強かんを恐れ23人が集団自決した「敦化事件」(「日満パルプ事件」)もそのひとつ。1947年の閉所までの二日市保養所(福岡)における被害者の中絶件数は4500件(猪俣祐介「『満州移民』女性に対する戦時性暴力―単身女性団員の強姦体験の語りから」京都大学グローバルCOE 『帝国日本の戦時性暴力』2013:19~22;山本ゆめ「父の痕跡―引揚援護事業に刻印された性暴力と混血の忌避」京都大学グローバルCOE『帝国日本の戦時性暴力』2013:36)。

1945(ドイツ:第二次世界大戦末期)

  • 1945年、赤軍兵士のベルリンへの進攻途上での強かん件数は190万。4~6月のベルリン攻略の際のドイツ人女性と東部領からの避難民女性への強かん件数は11万、そのうち10%が死に至らしめられ、20%が妊娠し、うち10%が出産( 芝健介「戦時性暴力とニュルンベルク国際軍事裁判」『戦犯裁判と性暴力:日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷の記録1』緑風出版2000:43;ヘルケ・ザンダー/バーバラ・ヨール(編)『1945年:ベルリン解放の真実―戦争・強姦・子ども』寺島あき子・伊藤明子訳、現代書館1996:66~95、124~5)。
  • 「1945年4月24日から5月8日まで、軍人とともにベルリン在住の少年や年配の男性が、赤軍と激しい市街戦を繰り広げた。そのさなか、慎重に見積もっても11万人あまりの女性がレイプされた。なかには50万人が犠牲になったと考える研究者もいる。」(レギーナ・ミュールホイザー著 姫岡とし子監訳『戦場の性ー独ソ戦下のドイツ兵と女性たち』岩波書店、2015年:xi)

1945(日本:米占領下)

  • 日本進駐直後、神奈川県下で米兵による29件の強かん被害の届け出あり。全国では3500人の強かん被害。その結果として、日本政府、米兵向け慰安所「特殊慰安施設協会」(RAA)を開設(1946年閉鎖)(藤目ゆき『性の歴史学』不二出版1997:326)。

1945~(沖縄)

  • 米兵による強かん事件多発(1955:嘉手納幼女強かん殺人事件、1995:沖縄米兵少女暴行事件など)

1947(印パ分離独立)

  • 分離独立前後の数カ月間に1200万人が東西の印パ国境を移動、その結果、少なくとも100万人前後の死者、および西部の国境地帯だけで7万5千人のムスリムとヒンドゥー両女性への性暴力・誘拐・妊娠、そしてコミュニティと信仰を守るための女性の自殺や「殉教」という名の家長による妻や娘の「名誉」殺人(とりわけシク教徒やヒンドゥーが拉致されてイスラームに改宗させられることを避けるため)が確認されている。なお、インドとパキスタン両政府による被拉致女性の救出作戦により、9年間で合計約3万人の女性が連れ戻されたが、そのうち2万2千人はインドで救出されたムスリム女性であり、8千人がパキスタンからのヒンドゥーとシク教徒の女性だった。妊娠した女性にインド政府が非合法だった中絶を認めたことも証言から明らかになっている(ウルワシー・ブターリア『沈黙の向こう側―インド・パキスタン分離独立と引き裂かれた人々の声』藤岡恵美子訳、明石書店 2002:18,191,299)

1950年代(英:ケニア植民地)

  • 独立運動に伴う戦闘(「マウマウ戦争」)で多数のケニア人女性に対する白人やケニア人(ロイヤリスト)によるレイプ多発( 津田みわ「復権と「補償金ビジネス」のはざまで」永原陽子編『「植民地責任」論』青木書店2009;ワンブイ・オティエノ『マウマウの娘』富永智津子訳、未來社2007)。

1962~96(グアテマラ内戦)

  • 内戦にともなうさまざまな人権侵害。とりわけ家族を殺害された上に性暴力を受けた女性多数(歴史的記憶の回復プロジェクト編『グアテマラー真実と和解を求めて』岩波書店2000; 筆者によるグテマラ人の性暴力被害者ヨランダ・アギラル・ウリサルさんからの聞き取り:「国際女性戦犯法廷」2000での証言-NHK特集番組)。

1965~75(米・韓国:ヴェトナム戦争)

  • 米兵及び韓国軍兵士やビジネスマンによるヴェトナム女性への強かんと買春の横行による多数の混血児の誕生。ちなみに、1965~73年の米軍兵士によるレイプとその関連犯罪に関する米陸軍軍法会議の統計によれば、86件中50件が有罪となった。ちなみに、強かん禁止令が厳格に守られていたヴェトコンによるレイプ事件はきわめて少なかったことが知られている(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:117-128)

1970~80年代(ラテンアメリカ)  

 ・アルゼンチン、ウルグアイ、エルサルバドル、グアテマラ、ペルー、ニカラグア、チリ、ボリビア、ホンジュラス、パラグアイでの軍人や警官による人権 侵害
多発(大串和雄「ラテンアメリカ―人権侵害と加害責任」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版,2000)

1971(バングラデッシュ:パキスタンからの分離独立戦争)

  • パキスタンからの分離独立戦争時におけるパキスタン兵士によるベンガル女性へのレイプ。被害者は20万人以上。2万5千人以上が妊娠。その後、中絶・自殺・村八分に苦しんだ女性多し(スーザン・ブラウンミラー『レイプ-踏みにじられた意志』幾島幸子訳、勁草書房2000:100~110)。

1975~2002 (東チモール:インドネシア占領下) 

  • インドネシア占領下の東チモール、政府軍によるレイプ事件多発(URL:『戦争と女性への暴力』国際会議実行委員会編「『戦争と女性への暴力』国際会議資料集1997」:古沢希代子/ジーン・イングリス「東チモールに自由を!全国協議会1996年7月23日:国連非植民地下特別委員会での陳述」;アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編集出版『東ティモール:戦争を生き抜いた女たち―日本軍とインドネシア支配の下で』2007)。

1975~79(カンボジア)

  • クメール・ルージュ政権下での性暴力(URL: GBV under the Khmer Rouge, Information Platform, Rape during the Khmer Rouge)。

1982~2012(ソマリア内戦)

  • 氏族間の権力闘争に端を発した内戦は、2012年に正式政府が樹立されるまで断続的に続き、その間、報復としての性暴力が多発(December Green, Gender Violence in Africa:African Women’s Responses,Mcmillan 1999:91)。内戦を逃れた難民のキャンプ(ケニアやチャド)での性暴力も多発(UN News Service, Somalia,16 August 13)。

1983~2009(スリランカ内戦) 

  • スリランカ内戦にともなう政府軍によるタミル人女性への性暴力事件(Human Rights Watch, Sri Lankan forces raping Tamil Detainees, 26 Aug 2013)

1987~2005(ウガンダ内戦)

  • 内戦に伴う反政府軍(LRA)による誘拐・殺戮・レイプの横行。反乱軍の慰安婦にされた少女兵も多い。チャイナ・ケイテッツィは、デンマークに亡命後、その経験を出版、現在、少年兵や少女兵の撲滅のために国際的に活動している(China Keitetsi, Child Soldier:Fighting for my life, South Africa, 2005)。

1989~2003(リベリア内戦)

  • 内戦にともない、性暴力事件多発(URL: PubMed: US National Library of Medicine, Violence against women during the Liberian civil conflict, 1998 Feb 25)。国連、レイプされた女性は4万人以上と推定。

1991~2002(シエラレオネ内戦)

  • 女性への性暴力多発。国連、レイプされた女性は6万人以上と推定。

1991~95(旧ユーゴスラヴィア紛争)

日本を含むメディアでは、主にセルビア勢力の「民族浄化」の手段としての性暴力が強調されるきらいがあるが、紛争の当事者となったクロアチア、ムス  リムなどの各民族勢力が多かれ少なかれ同じような性暴力をはたらいた。男性も性暴力の被害にあっている。被害の全容は明らかになっていないが、クロ  アチア、セルビア、ボスニアなどの女性NGOの推計によれば、全ユーゴスラヴィアでの強かん被害は2万件(川口博「旧ユーゴスラヴィア紛争―女性への  暴力と国際刑事法廷」内海愛子・高橋哲哉責任編集『戦犯裁判と性暴力』緑風出版、2000:218~219)。

  • ジェノサイドの手段としてのセルビア人民兵によるムスリム女性への集団レイプ。国連の調査によれば、被害件数は1万3千~5万 (Kelly Dawn Askin, War Crimes Against Women; Prosecution in International War Crimes Tribunals, 1997:261-297).

1994(ルワンダ)

  • 国連、ジェノサイド勃発後の3カ月間にレイプされた女性数は10万~25万人と推定。

1994~96;1999~2009(チェチェン)

  • 二度にわたるロシアからの独立闘争中の女性への性暴力(『アムネスティ・レポート世界の人権2005』社団法人アムネスティ・インターナショナル日本 2005:228)

1996~2005(ブルンジ)

  • 内戦にともなう強かん、略奪、殺害の横行(『アムネスティ・レポート世界の人権2005』社団法人アムネスティ・インターナショナル日本 2005:90-91)

1998~2000(エチオピアーエリトリア戦争)

  • 2000年の和平協定により設置されたエリトリアとエチオピアの合同委員会、戦争中の破壊、強姦、誘拐、殺害、虐待、追放、市民権や財産の剥奪などについて、国際人権法、人道違反の責任は両国にあるとの判断を下した(『アムネスティ・レポート 世界の人権2005』社団法人アムネスティ・インターナショナル日本 2005:54)

1998~2003(ソロモン諸島)

  • 聞き取り調査によれば内戦にともなう強かん被害者55人のうち、19人が警察や武装勢力によって強かんされたと訴えた(『アムネスティ・レポート世界の人権2005』社団法人アムネスティ・インターナショナル日本 2005:20)

1998~2013(コンゴ民主共和国内戦)

  • 断続的に続いた内戦で性暴力多発。被害女性は20万人以上との国連の推計があるが、実数は不明。 【付記:2014年10月21日、コンゴ民主共和国で性的暴力の被害者救済に取り組むデニス・ムクウェゲ医師に、「サハロフ賞」(by欧州議会)】

1998~(コソボ紛争)

  • 1999年3月から6月にかけて、強かんなどの暴力から逃れようとして約85万人のアルバニア人がコソボから難民として脱出、その多くが女性や子どもだった(アムネスティ・インターナショナル編『傷ついた身体、砕かれた心』戒能民江監訳2001:

1999(国際:ボスニア)

  • 民間軍事会社(DynCorp)に雇われた米女性警官、紛争後のボスニアにおける国連ボスニア・ヘルツゴヴィナ・ミッションの兵士や民間軍事会社男性社員による強制買売春の実態を告発。被害者はトラフィッキング=人身売買によって拉致された東欧の女性たち( “British Firm accused in UN ’sex scandal’- International police in Bosnia face prostitution claims,” The Gurdian, The Observer 29 July 2001)。ちなみに、この告発事件は「トゥルース:闇の告発」(米/加:原題Whistlebrower)として映画化されている。

1999(韓国)

  • 韓国とベトナム間の公正旅行と公正貿易を推進する企業「アマプ」の本部長であり、「韓国―ベトナム平和財団」の理事ク・スジョン氏(50)、ベトナム留学中だった1999年に韓国軍によるベトナム戦民間人虐殺および性暴力事件を時事週刊誌「ハンギョレ21」を通じて韓国に最初に知らせる。その後、2016年7月、虚偽事実適示による名誉棄損事件で告訴される。(「ハンギョレ新聞」2016年10月30日)

2002~2003(中央アフリカ共和国)

  • 政府転覆に至った武力衝突の中で、数百人の女性が組織的強姦の被害者となった。加害者は主としてコンゴ民主共和国から参加した武装政治集団の戦闘員(『アムネスティ・レポート 世界の人権2005』社団法人アムネスティ・インターナショナル日本 2005:84)

2002~2005(コートジボワール)

  • 断続的に続いた内戦におけるさまざまな人権侵害(『アムネスティ・レポート世界の人権2005』社団法人アムネスティ・インターナショナル日本 2005:61)

2003~2013(スーダン:ダルフール紛争)

  • 武装勢力、民兵による戦術としての女性への性暴力多発 (ハリマ・バシール/ダミアン・ルイス著『悲しみのダルフール:大量虐殺の惨禍を生き延びた女性医師の記録』PHP研究所2010;URL:Amnesty International;Sudan, Darfur, Rape as a weapon of War, Sexual Violence and its Consequences, July 2004)

2003~(イラク戦争)

  • 「米英主導の侵攻以来、イラクやアフガニスタンに覇権された米女性兵士延べ28万人の3割以上が、上官から性的な暴行を受けていたことがわかり、米国内で「見えない戦争」として問題視されている」と『毎日新聞』が報道(2013年3月19日)。

2003(イラク戦争)

  • イラク戦争中、アブグレイブ刑務所における米兵によるイラク人男女への性暴力。その後、7人の軍人が米軍法会議で有罪となる(Wikipedia「アブグレイブ刑務所における捕虜虐待」)。

2006~2012(スリランカ内戦)

  • スリランカ軍によるタミル人捕虜に対する性暴力。75件の医学的証拠あり(URL:BBC 2013.2.16:Human Rights Watch)。

2009(ギニア)

  • クーデタで登場した政権に抗議して5万人の女性がデモ。軍の兵士によるレイプ、虐殺、略奪の横行。「女性の居場所は家庭」という男性による警告(URL:Kylie Alexandra, War, Society, and Sexual ViolenceA Feminist Analysis of the Origin and Prevention of War Rape, HOHONU Vol.8,2010:19)。

2011~(シリア内戦)

  • レイプが戦争の武器として使用され、難民化の主要な理由となっているとの国際救援委員会の報告(URL: International Rescue Committee)。

2013.3(中央アフリカ)

  • 反政府勢力が首都を制圧、無法状態に陥り、イスラム教徒とキリスト教徒の間で殺害・略奪・性的暴行が横行(『朝日新聞』2014年4月6日朝刊6面)

2013~(南スーダン)

  • 12月15日、前副大統領が主導したとされるクーデター未遂事件をきっかけに、民族間の争いが激化、各地で武力衝突が続く。混乱の中、略奪や女性への暴行、民族同士の処刑も横行(『朝日新聞』2014年1月24日朝刊; “Conflict Related Sexual Violence,” in : Conflict in South Sudan: A Human Rights Report by United Nations Mission in the Republic of South Sudan=UNMISS,pp.49~50)

2015~(シリア・イラク)

・ 2014年6月のイスラム国(IS)の台頭後、異教徒(ヤジディ教徒など)の女性への性暴力が国連やさまざまな国際人権団体によって報告
  されている。統計的資料や詳細は未だ明らかになっていないが、ISによる性暴力は、日常化していると思われる。

 

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