【科学史】隠されてきた黒人女性の活躍

掲載:2018-07-09 執筆:小川眞里子

文庫版(出版)ハーパーコリンズ・ ジャパン (2017/8/17)

性と人種の二重の差別を受けてきたアフリカ系アメリカ人女性の活躍は、概ね公民権運動以降と考えられるが、それ以前に活躍した黒人女性も少数ながら存在する。彼女たちは「隠された名士(Hidden Figures)」である。『アメリカ伝記辞典』の黒人女性医師クランプラーの項目執筆者は、彼女の生涯の大半は未だ隠されたままだと言う。2017年に公開された映画Hidden Figures(邦訳『ドリーム』)は、NASAにおける黒人女性の知られざる活躍を描き出して人々を驚かせた。歴史の表舞台から隠されてきた彼女たちの活躍を追ってみる。

◆大学入学から卒業 

アメリカでは南北戦争以前に約250の組織で大学レベルの教育が提供されていたが、黒人女性に門戸を開いた大学は7校程度であった。オーバリン大学は、その時期に黒人女性卒業生を輩出した唯一の教育機関であった。学歴という点で先駆けとなったのはルーシー・スタントン(1831-1910)で、彼女は1850年に黒人女性としてL.D. (Literary Degree)*の必要単位を満たし卒業した。彼女のL.D.取得の12年後となる1862年にオーバリン大学でアメリカ最初の黒人女性学士が誕生した。メアリー・パターソン(1843-1924)である。

アメリカで黒人女性が学士を取得するのは、白人男性の200年後、黒人男性の40年後、そして白人女性のおよそ20年後のことであった。白人女性3人がオーバリン大学から学士号を取得したのは1841年のことであった。南北戦争の終わりから第1次世界大戦にかけては、黒人女性がかなり積極的に大学教育を受けた時代であった。黒人女性学士の分布図参照。西海岸には黒人女性学士は誕生していないが、東海岸には相当数の黒人女性学士が誕生。1900年までに252名の黒人女性の学士取得者。同時期までの黒人男性は2272名である。

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ルーシー・スタントン https://en.wikipedia.org/wiki/Lucy_Stanton_(abolitionist)

◆博士号の取得から研究者へ

ジョンソン(参考文献)の計算によれば、1933年までに黒人男性75人、黒人女性10人がPh.D.を取得している。アメリカ最初の黒人女性博士は、1921年に3人誕生している。エヴァ・ダイクス(1893-1986)ジョージアナ・シンプソン(1866-1944) サディ・アレクザンダー(1898-1989)である。それぞれ、言語学(英語)、言語学(ゲルマン語)、経済学の博士。初期の博士号取得者の中でも群を抜く優秀さを発揮したのはアンナ・クーパー(1858-1964)である。奴隷の娘に生まれ、1884年にオーバリン大学で学士、1887年には名誉修士号を授与された。教育と著述で活躍しつつ、1925年にソルボンヌ大学でPh.D.を取得し、4人目のアフリカ系アメリカ人女性博士となった。黒人同胞の権利拡大に捧げた一生であった。

◆医師として活躍する黒人女性

レベッカ・クランプラー(1831-1895)は、1860年ニューイングランド女医学校に黒人女性として初めて入学を果たした。その時点でアメリカには54543人の医者が活躍していて、そのうち約300人は女性医師であった。しかし、黒人女性医師は皆無であった。黒人女性医師の第2号は、レベッカ・コール(1846-1922)で、クランプラーの3年後の1867年にペンシルヴァニア女医学校を卒業し医学士の学位を受けた。

◆化学者として活躍する女性

ジョセフィーヌ・イエーツ(1852-1912)1877年に高校を卒業生総代で終え、わずか2年で師範学校を卒業し1880年にミズリー州リンカーン専門学校(後に大学)の化学の正教授。20世紀初期には有色女性全米女性会議の会長(1901-1905)にもなった。ビービー・リンク(1872-19??)は1903年に西テネシー大学でPh.C.取得。新設の医学校で薬物学の教授。アリス・ボール(1892-1916)はワシントン州立大学で化学専攻。1914年に薬化学の学士。ハワイ大学で修士取得後そこで黒人初の女性専任教員として奉職。メアリー・ヒル(1907-1969)はヴァージニア州立大学で1929年に化学でB.A.を取得。化学分野のアメリカ黒人女性最初のPh.D.取得者は、1947年にコロンビア大学から授与されたマリー・ダーリ(1921-2003)。

◆黒人女性パイロット第1号 

ベッツィー・コールマン(1892-1926)はアメリカで道が閉ざされていた飛行科学をドイツで学び、国際パイロット免許取得。アメリカで飛行学校開設をめざすが、飛行機事故で没。

◆最初の黒人女性生理学博士

ジュウェル・コブ(1924- )はウッズホールの海洋生物学実験所で1950年に細胞生物学でPh.D.を取得し、世界的な生理学者となった。エレノア・フランクリン(1929-  )は1957年にウィスコンシン大学で医療生理学Ph.D.取得。1970年にハワード大学医学部長、晩年同評議会委員。

◆数学博士号取得者と天才的数学者

マジョリー・ブラウン(1914-1979)とエヴリン・グランヴィル(1924- )の二人は1948年に数学でPh.D.を取得した最初の黒人女性。キャサリン・ジョンソン(1918-  ) は天才的数学的能力の持ち主。1937年に数学とフランス語でB.A.取得。1937-1953年の間は数学教師として奉職し1953年にNACAを経て、1958年NASAでロケット打ち上げの理論的基礎に貢献。

◆理系も含め女性の本格的活躍は1972年の雇用均等法と教育修正法以降となる。

*L.D.は外国語と高等数学の履修がなく、B.A.とは区別されていた。

参考文献 C. Johnson, The Negro College Graduate (Univ. of North Carolina Press, 1938); S. Y. Evans, Black Women in the Ivory Tower, 1850-1954 (Univ. Press of Florida, 2007) 40頁掲載のMap 1.; J. E. Brown, African American Women Chemists (Oxford Univ. Press, 2012)