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(補論)植民地アフリカの社会変動―キリスト教宣教団による一夫一婦制の導入(富永智津子)

補論:植民地アフリカの社会変動―キリスト教宣教団による一夫一婦制の導入

掲載 2018-06-16 執筆 富永智津子

★キリスト教宣教団とアフリカ 

奴隷貿易の禁止という人道的な目的からアフリカ社会に介入し、19世紀末の植民地化と植民地統治の「協力者」となったキリスト教宣教団は、キリスト教的道徳律を導入し、アフリカ社会のジェンダー秩序の変革に着手した。そのひとつが、婚姻制度の変革だった。

アフリカの婚姻制度

アフリカの婚姻制度は民族集団ごとに特色があり多様であると同時に、ひとつの民族集団が複数の婚姻制度をもつこともまれではない。共通しているのは、ほぼすべての民族集団が一夫多妻制をとってきたことである。しかも妻の数は、夫の経済力さえ許せば無制限に増やすことができた。その他、寡婦を亡夫の親族の男性に身請けさせる「レヴィレート」という慣行や、未婚のままで死亡した息子に妻をとらせる「亡霊婚」、さらには女性が男性のジェンダーに移行して妻をめとる「女性婚」などが知られている。こうした婚姻制度を「不道徳」であると断罪したキリスト教宣教師団が国家と一体となって取り組んだのが、一夫一婦制の奨励である。その際、キリスト教宣教団が導入した近代的学校教育は、アフリカ人に西欧的価値観を植えつけ、一夫一婦制を実施させるための手段のひとつとなった。

一夫一婦制への取り組みの事例 

1940年代のイギリス統治下のシエラレオネ保護領に関する次のような調査報告が残っている(Little,1948)。

「学校教育を受けていた少女は約2千人。保護領の3分の2の学校は、都市部に開設されたミッション経営の学校である。ほとんどの少女は初等教育レヴェルで教育を終える。専門職としては看護婦と教師への道が開かれていたが、資格を取れる人数はごくわずかだった。問題は、ひとたび都市の西欧化された文化と近代教育を受けた少女には、きわめて厳しい現実が待っていたことである。それは、少女たちがそれまでの生活様式への劣等感を植えつけられたこと、かといって新しい生活様式を手に入れることはできない、それを実現するための結婚相手も容易にみつからない、いたとしても彼らは近代的な洋服や靴を欲しがらずに良く働いて小銭をかせいでくれる無教育の少女で一夫多妻に反対しない少女を妻にしたがる、といった現実だった。当時は教育を受けた階層の男性は一夫多妻を実践しており、たとえば、62人の教育を受けた男性のうち、38人が一夫多妻婚をしていたのである。この状況に追い討ちをかけたのが、結婚に関わる慣行の混乱である。たとえば、教育を受けた女性がキリスト教会での結婚(「教会婚」)ではなく慣習婚(夫方から妻方に牛や貨幣などの財貨―「婚資」―を支払うことによって成立)によって結婚した場合、夫が死亡すると、夫の親族に身請けされる(「レヴィレート」)。一方、教会婚をして婚資がやり取りされない場合、アフリカの慣習からすれば、結婚は「合法」とはみなされず、夫の家族に扶養してもらえる権利を失う。教育を受け、新しい価値観を身に着けた女性にとっては、どちらを選択しても、立場は苦しい。たとえ、給与生活者の妻となって都市部に住むとしても、新しい環境に順応するための社会的訓練を欠いているため、夫婦間の諍いが絶えない。伝統社会におけるジェンダー関係が、近代的外観の表面下でくすぶっていた結果である。とはいえ、こうした過渡期を経て、アフリカのどの都市でも、女性の社会的地位は確実に変化し始めており、キリスト教宣教団や植民地政府が導入した近代教育が、家父長的な拡大家族への女性の依存度を減らし、女性が自立への道を歩みだすことによって、ジェンダー関係にも多様な変化がもたらされる時代は近づいているといえるだろう。」

アフリカの婚姻制度の現状 

多くのアフリカ諸国は法律によって多様な婚姻制度を認めている。一夫多妻制もそのひとつである。イスラム教徒を多く抱えている地域やイスラムを国教とする国家が存在在することも、アフリカ固有の一夫多妻制の存続を許容する要因となっている。コートジボワールでは独立後、法律によって一夫一婦制を導入したが、その成果は未知数である。しかし、変化は、教育の普及や女性の自立によってレヴィレートや一夫多妻を避けようとする女性が増加していることも確かである。しかし、こうした動向を快く思わない男性も多く、婚姻制度をめぐる問題は、ジェンダー間の力関係を占う最前線にあると言えよう。

シエラレオネ略年表>

15世紀    ポルトガル人航海士の上陸

1787年    イギリスで奴隷貿易廃止促進協会が設立され、解放奴隷の入植始まる

1792年    首都フリータウンの建設

1807年    イギリスで奴隷貿易禁止法成立。以後、多くの解放奴隷が流入

1808年    イギリスによる植民地化

1924年    憲法制定

1931年    ダイヤモンド鉱の発見

1961年    独立

参考文献

Little, K.L.,1948 “The Changing Position of Women in the Sierra Leone Protectorate,” Africa, vol.18, no.1.

世界史Ⅱ

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