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【特集8】新性道徳論争ー一夫一婦制か、性の自由か(中国女性の100年④)

Ⅵ:新性道徳論争―一夫一婦制か、性の自由か

掲載:2016-09-25 出典:『中国女性の100年』第3章(転載許可済み)

[1]「新性道徳とはなにか」(章錫琛(しょうしゃくしん)、1925年1月)

性道徳は、社会と個人の実を絶対的な基準とすべきである。消極的な側面からいえば、およそ社会及び個人に害のないことは、べつに不道徳とはいえない。これはたいへんはっきりしている。我々がこれからのちの新しい性道徳を打ち立てるには、このことを基礎としなければならない。従来の性道徳の考え方で、最もおかしな点は、性行為が結婚という形式を踏んだ男女二人の間でのみ為されるものと規定していることである。彼らは結婚という形式を、まるで一切の不道徳を道徳に変えることができる。無上の神通力をもったもののようにみなしている。すでに青年となり、責任能力を備えた男女が、双方の合意により結ばれる。これは、どのような面からみても、社会と個人に有害であろうはずがない。しかるに、一般社会は常にこれを不道徳とみなしてきた。新しい性道徳では、男女間の性的行為は、その結果が社会に害を及ぼさないかぎり、個人的関係と考えられるだけであり、決してこれを不道徳と言いたてることはできない。社会は、男女間の関係について、子どもを出産するときに関与する必要があるのみで、その他はみな自由に任せるべきである。

(「新性道徳是什麼」『婦女雑誌』第11巻第1号)

[2]「一夫多妻の新しい後ろ盾」([陳]百年、1925年3月14日)

思いもかけないことに、新女性の指導役を自任する『婦女雑誌』の「新性道徳特集号」のなかに、一夫多妻生活をおくっている人の口実になり、一夫多妻の新たなる後ろ盾にもなるような議論が含まれていた。周建人は「性道徳の科学的基準」という文で、さまざまな性道徳の観念に言及しているが、その最後の一段において、「同時に二人以上と恋愛してもかまわないとする見解は、本人が自分の意思でそのようにし、他人を損ねてさえいなければ、絶対に道徳問題は生じない(女性が多数と恋愛する場合も同じである)とするものである」と述べている。ここで周先生は、現在の中国社会にそのような見解があることに言及しているだけで、必ずしも自分の主張ではないかのようである。ところが章錫琛は「新性道徳とはなにか」のなかで、「甚だしくは、もし配偶者双方の許可のもとで、一種の一夫二妻あるいは二夫一妻的な性質をおびた不貞操な形式があったとしても、それが社会及び他の個人に害を及ぼさないかぎり、不道徳とはみなせない」とはっきり述べている。このように言うのであれば、章氏は一夫多妻の生活について、提唱はしないまでも許されうる行為とみなし、排斥するもののうちには入れていないことになる。

(「一夫多妻的新護符」『現代評論』第1巻第14期)

解説

「民主」と「科学」をスローガンに、人間の意識変革によって救国をはかろうとした新文化運動の中で、知識人たちは旧来のものに代わる新たな家族制度、およびその根本である新たな男女関係を模索していた。こうした思潮のなか、1918年5月、周作人(魯迅の弟)が与謝野晶子の「貞操は道徳以上に尊貴である」を「貞操論」と題して翻訳。この紹介を契機として、貞操論争(表1)が展開された。主要な論点は、「貞操論」紹介の前年、段祺瑞(だんきずい)内閣によって公布された「修正褒揚(ほうよう)条例」への批判をとおして、儒教的な男女のあり方を攻撃、男女平等の性道徳の必要性を説くことにあった。この「修正褒揚条例」は、道徳的に優れた者に対し大総統が表彰することを規定したもので、女性の場合、その優れた点は「節烈貞操」に求められていた。「節婦」とは30歳以前に寡婦となり50歳まで再婚しなかった者、「烈婦」とは暴行にあった際、抵抗して死亡するか自殺した者、および夫の死に殉じた者のことをいう。論者たちは、男性の性的自由を認める一方で女性にのみ制限を加える二重道徳を批判し、男女平等の性道徳の必要性を説き、自由恋愛にもとづいた厳格な一夫一婦制を主張した。貞操論争をとおして、恋愛をおこなう主体、性行為をおこなう主体としての男性と女性、両者の関係に光が当てられた点は注目される。

男女平等の性道徳をさらにつきつめ、男女間の性や愛の問題を積極的に論じたのが、貞操論争から7年後に展開された新性道徳論争である。この論争は、1925年1月、『婦女雑誌』の主婦であった章錫琛によって「新性道徳特集号」(第11巻第1号)が組まれたことに端を発する。この特集号のなかで新たな性道徳を提唱した章錫琛、周建人(魯迅の末弟)に批判が集まり、特に北京大学教授であった陳大斉(署名は陳百年)と章、周の間で論争がおこなわれた(表2)。

『婦女雑誌』上で章、周の両者は、①性関係において男女は平等である、②性的関係自体は私的なものであるが、生殖は公的なものである、③自分と他人を害さない恋愛、性関係は不道徳ではない、という三点を新性道徳として主張した。陣大斉が一夫多妻を擁護するものであると批判したのは、この三点目に対してであった。彼は、複数を対象とする恋愛に反対し、一夫多妻は性欲のおもむくままに行動した結果だとして、性欲の節制を説き、厳格な一夫一婦制の小家族が最も理想的であると主張した。これに対し、章と周の両者が反論し、「性の解放・性の自由」と「従欲・放縦」との違いや、「恋愛・嫉妬心・専有独占欲」を焦点として、論争が展開された。彼ら三者の議論からは、五・四期新文化運動のキーワードの一つである「自由恋愛」が、当時の知識人にどのようにとらえられていたのかという問題の一端が見出せる。

新性道徳論争に対する知識界全体の反応は、さほど大きなものではなかった。しかし新性道徳の提唱を機に章錫琛、周建人とも『婦女雑誌』の編集を辞し、論争は三度誌面を変えておこなわれた。これは、個人の性的自由・自立を重視して社会的道徳規範の緩和を説く章・周の主張が、当時の中国社会、知識界になじまぬものであったためと推察される。また、貞操論争と新性道徳論争にみられるように、公開で「性」や「性欲」の問題が論じられたことは、一方では当時の中国知識界の開放性を感じさせるが、他方では、性行為や男女関係が、将来の「国民」「民族」を生産する手段とみなされ、ナショナルな志向に組み込まれていく過程でもあったといえよう。(訳・解説 福士由紀)

参考文献

彭小妍「五四的「新性道徳」-女子情欲論述与建構民族国家」『近代中国婦女史研究』第三期、1995年8月

西槇偉「1920年代中国における恋愛観の変容と日本―『婦女雑誌』を中心に」『比較文学研究』第64号、1993年

白水紀子『婦人雑誌』における新性道徳論―エレン・ケイを中心に」『横浜国立大学人文紀要第二類』第42号、1995年

福士由紀「五四新文化運動期における性道徳―性病をめぐる言説を手がかりに」アジア民衆史研究会『東アジアの近代移行と民衆』第六集、2000年

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