【独立後の歩み―国別年表】《西アフリカ》

掲載:2016-05-28 執筆:富永智津子

<ブルキナファソ共和国>

  • ブルキナ1960
    ・フランスから「オートヴォルタ共和国」として独立。
  • 1966
    ・非常事態宣言
    ・ゼネスト始まる。ラミザナ大佐、権力掌握。憲法停止、議会解散。ラミザナ、国家元首を代行し、内閣を組織。政党活動を禁止。
  • 1970
    ・国民投票により、新憲法採択。総選挙。
  • 1974
    ・ラミザナ、1970年憲法停止と政治活動の禁止。国家革新政府を組織。
  • 1975
    「再生のための国民運動」(MNR)の創設。
  • 1977
    ・政治活動禁止を解除。新憲法に関する国民投票。
  • 1978
    ・大統領選挙、ラミザナ当選。
  • 1979
    ・教員・学生のストライキ・デモはじまる。
  • 1980
    軍部クーデタ。サイエ・ゼルボ大佐、大統領に就任。
  • 1982
    軍部クーデタ、ジャン・バプティスト・ウェドラオゴ少佐、権力を掌握。
  • 1983
    ・ブレーズ・コンパオレによるクーデタにより、サンカラが大統領に就任。社会主義路線を選択。
  • 1984
    ・国名を「ブルキナファソ共和国」(「清廉潔白な人びと」の意味)に変更。
  • 1985
    ・マリ共和国と交戦。
  • 1987
    ・コンパオレ、クーデタで人民戦線議長に就任。サンカラ暗殺される。
  • 1990
    複数政党制、大統領の直接選挙を柱とする憲法の国民投票。
  • 1992
    ・複数政党制下での総選挙でコンパオレ、大統領に選出される。
  • 2014
    ・コンパオレの長期政権に反発した反政府暴動勃発。軍が収拾に乗り出し、事実上、コンパオレ政権崩壊。
  • 2015
    ・兵士によるクーデタ。国民民主評議会を設置し、夜間外出禁止令を敷く。クーデタ派とそれに反対する政府軍部隊との間で協議が成立し、両派の全面戦闘は回避され、事態は終結した。
歴代大統領・元首

<オートボルタ自治共和国>

1959~1960  モーリス・ヤメオゴ(大統領・ボルタ民主同盟)

<オートボルタ共和国>

1960~1966  モーリス・ヤメオゴ(大統領・ボルタ民主同盟)
1966~1980  サンゴール・ラミザナ(無所属・軍人→大統領・再生国民運動)

1984~ブルキナファソ共和国>

1980~1987  ゼルボ→ウエドラオゴ→サンカラ(軍人)
1987~2014  ブレーズ・コンパオレ(無所属・軍人→国家元首・人民戦線→大統領・民主主義進歩会議)
2014      イザック・ジダ(暫定国家元首・無所属・軍人)
2014~2015  ミシェル・カファンド(暫定大統領・無所属)
2015       ジルベール・ディエンデレ(国民民主評議会議長・無所属・軍人)
2015       ミシェル・カファンド(暫定大統領・無所属)
2015~       ロック・マルク・クリスデャン・カボレ(大統領・進歩のための国民運動)

<ニジェール共和国>

  • 1960ニジェール
    ・フランスから独立。
  • 1962
    ・独立によってマリ、アルジェリア、ニジェールに分割されたトゥアレグ人の抗議、その域内でのウラン鉱 山開発の重要性などの複合的要因から、第一次トゥアレグ抵抗運動勃発~1964)。産出するウランの一部はフランスに輸出され、そこで濃縮されたものが日本に持ち込まれている。
  • 1974
    ・クンチェ中佐によるクーデタ。ハマニ・ディオリ政権崩壊。憲法停止、議会・政党活動も中止される。
  • 1989
    ・国民投票で新憲法承認。形式的には民政移管を達成。
  • 1990
    ・中央政府の資源独占に不満を持つトゥアレグの第二次抵抗運動勃発(~1995)
  • 1996
    ・軍事クーデタで、「救国委員会」樹立。
  • 1999
    ・軍事クーデタ。マイナサラ大統領銃殺される。「国家若い評議会」が実権掌握。
    ・大統領選挙で、マハマドゥ・イスフ当選。
  • 2004
    ・サバクトビバッタの大発生。サヘル旱魃も起こり、食料危機の発生。
  • 2007
    第三次トゥアレグ抵抗運動勃発(~2009)
  • 2009
    ・新憲法採択。
  • 2010
    ・軍事クーデタ。「民主主義復興最高評議会」による銀二政権樹立。憲法の停止と政府の解散、国境閉鎖、夜間外出禁止など。
  • 2011
    ・選挙により、新大統領選出。
  • 2016
    ・東南部の町ボッソウ、ボコ・ハラムの攻撃を受け、10軒の家屋が焼き討ちにあい、6人死亡。ナイジェリアからの避難民も流入。
 歴代大統領・元首

1960~1974  アマニ・ディオリ(大統領・「ニジェール進歩党・アフリカ民主連合」)
1974~1989   クンチェ→アリー・セブ(最高軍事評議会議長・軍政)
1989      アリー・セブ(最高統治評議会議長・軍政)
1989~1993  アリー・セブ(大統領・社会発展国民運動)
1993~1996  マハマヌ・ウスマン(大統領・民主社会会議)
1996       イブライム・バレ・マイナサラ(旧穀委員会委員長・無所属・軍人)
1996~1999  イブライム・バレ・マイナサラ(大統領・独立民主復興国民連合→民主進歩連合)
1999       ダオダ・マラム・ワンケ(国家若い評議会議長・無所属・軍人)
1999~2010  タンジャ・ママドゥ(大統領・社会発展国民運動)
2010~2011   サル・ジボ(民主主義復興最高評議会議長・無所属・軍人)
2011~      マハマドゥ・イスフ(大統領・ニジェール民主社会主義党)

 

<シエラレオネ共和国>        

  • シエラレオネ1930
    ・ダイヤモンド発見。
  • 1958
    ・シアカ・スティーヴンス、アルバート・マルガイとともに「シエラレオネ人民党」(SLPP)を脱退し、「人民国家党」(PNP)を創設。
  • 1960
    ・全政党による統一戦線が結成され、国民連合政権が誕生。マルガイ、首相に就任するとスティーブンスは連合を脱退し、新たに「全人民会議」(APC)を創設。その議長となる。
  • 1961
    ・イギリス連邦の一員として独立。
  • 1967
    ・総選挙で野党の「全人民会議」(APC第一党となり、シアカ・スティーブンスがイギリス総督により首相に指名されるも、これに不満を持ったマルガイ派が軍事クーデタ起こす。ジャクソン・スミス中佐、「国民改革評議会」議長に就任。
  • 1968
    ・APC支持者によるカウンター・クーデタ、ジャクソン・スミス逮捕。スティーブンス、政権に復帰(~1985)。
  • 1970
    ・ダイヤモンド産業国有化。
  • 1971
    ・共和制に移行。スティーブンス、大統領に就任。
  • 1976
    ・総選挙でAPC勝利。スティーブンス、大統領に再選。
  • 1978
    ・APCの一党制による独裁政権に移行。国民投票で、一党制への賛成票多数。
    ・経済の低迷。
    ・独裁政権の腐敗。貧困の拡大。
  • 1985
    ・大統領選挙。ジョセフ・サイドゥ・モモ将軍、大統領に就任。
  • 1987
    ・モモに対するスティーブンス派のクーデタ計画失敗。
  • 1990
    複数政党制の導入。
  • 1991
    ・隣国リベリアのテーラー率いる「リベリア国民愛国戦線」(NPFL)の支援を受け、アハメド・サンコー率いる「統一革命戦線」(RUF)が武装蜂起、内戦勃発
  • 1992
    ・下級将校らによるクーデタ。その後、政権安定せず。
  • 1998
    ・カバー大統領福建・組閣。
  • 2002・RUFの武装解除と和平の成立により内戦終結
  • 2007・大統領選挙でアーネスト・コロマ、新大統領に就任。
歴代大統領・元首

1968~1971   シアカ・スティーブンス(共和国元首)
1971        クリストファー・オコロ・コール(大統領・無所属)
1971~1985   シアカ・スティーブンス(大統領・全人民会議)
1985~1992   ジョセフ・モモ(大統領・全人民会議・軍人)
1992        カヌ→ストラッサー(国家臨時国防会議議長・無所属・軍人)
1992~1996   ストラッサー→ジュリアス・ビオ(国家最高行議会議長・無所属・軍人)
1996~1997   アフマド・テジャン・カバー(大統領・シエラレオネ人民党)
1997~1998   コロマ少佐(軍事革命評議会議長・無所属・軍人)
1998~2007   アフマド・テジャン・カバー(大統領・シエラレオネ人民党)
2007~      アーネスト・コロマ(大統領・全人民会議)

<ナイジェリア連邦共和国>

 ナイジェリア      

1960
・イギリスの信託統治領西カメルーンの北部を編入して、連邦制国家としてイギリスから独立。
1961
・南カメルーン帰属について国民投票.
1963
・イギリス女王を元首とする英連邦国家から離脱し、大統領制に移行。

 

  • 1966
    クーデタによりイロンシ政権成立。
    ・連邦制を廃止し、統一国家形成。
    クーデタ、イロシン暗殺によりゴウォン政権成立。連邦制の復活。4地域制を廃止し、12州制を導入。以後、軍の政治的発言権増大。
  • 1967・東部州、州制の導入に反発、ビアフラとして分離を宣言。ビアフラ軍、中西部州に侵入。(ビアフラ内戦)→1970:ビアフラ軍降伏により内戦終結。
  • 1973
    ・新通貨ナイラを導入。
  • 1975
    クーデタ、ムルタラ・ラマット・ムハンマド政権成立。
  • 1976
    ・ムハンマッド大統領暗殺。
  • 1977
    ・オバサンジョ政権成立。
  • 1978
    ・憲法施行、政党活動禁止を解除。
  • 1979
    ・総選挙実施、民政復帰。シャガリ大統領のもとで第二共和政発足。
  • 1980
    ・カノ市内でイスラム教徒間の衝突で死者数千人。
  • 1983
    ・大統領選挙の結果に不満をもったブハリ将軍らのクーデタにより、軍政にもどる。
    Buch Emechetaアフリカと西欧社会との出会いを哲学的に描いたRape of Shaviを発表(→世界女性史年表)
  • 1985
    ・ババンギダ将軍によるクーデタと全権掌握。その後もクーデタ未遂が相次ぐ。
  • 1993
    ・やり直し選挙の結果、実業家モシュード・アビオラ当選。
    ・サニ・アバチャ将軍、全権を掌握。圧政を敷く。
  • 1998
    ・アバチャ、アビオラ、相次いで死去。
  • 1999
    新憲法制定、民政へ移行。オバサンジョ、大統領に選出される。北部州、中央への反発から州法へのシャリーア法を導入。同時に南部のニジェール・デルタでの石油生産に伴う環境汚染などにより不満を持った住民が急進化し、ニジェール・デルタ解放運動やデルタ人民志願軍などいくつもの反政府組織が武装闘争を行うようになる。
  • 2002
    ・北部のマイドゥグリでイスラム過激派ボコ・ハラム結成→2004:本拠をヨベ州に移す。
  • 2009
    ・警察、イスラム過激派ボコ・ハラム摘発に乗り出す。
    ・ボコ・ハラム
    による自爆テロや爆弾テロが相次ぐ
  • 2013
    ・ジョナサン大統領、ボコ・ハラムに対処するため、ボルノ州、ヨベ州、アカマワ州に非常事態宣言。
    ・ニジェールに4万人近い避難民の流出。
  • 2014
    ・ボルノ州でボコ・ハラム、女子生徒276人を拉致(ナイジェリア生徒拉致事件)。
    →2016年5月17日にはじめて救出された女子学生がブハリ大統領と面会
    ・ボコ・ハラムの襲撃、相次ぐ。
  • 2015
    ・ボコ・ハラム、ボルノ州バガ郊外の多国籍軍基地を奪取し、約2000人の住民を虐殺。
    ・北東部で少女の自爆相次ぐ。
    ・アフリカ連合(AU)、ボコ・ハラムに対抗するため、周辺5か国軍で構成する7500人規模の部隊創設を勧告。
歴代大統領・元首

1963~1966  ベンジャミン・ンマムディ・アジキウェ(大統領・「ナイジェリア・カメルーン国民会議」)
1966~1979  イロシン→ゴウォン→ムハンマド→オバサンジョ(軍事政権)
1979~1983  シェフ・シャガリ(大統領・「ナイジェリア国民党」)
1983~1993  ブハリ→ババンギダ(軍事政権)
1993     アーネスト・ショネカン(暫定元首)
1993~1999  アバチャ→アブバカール(軍事政権)
1999~2007  オルシェグン・オバサンジョ(大統領・「国民民主党」)
2007~2010  ウマル・ヤラドゥア(大統領・「国民民主党」)
2010~2015  グッドラック・ジョナサン(大統領・「国民民主党」)
2015~    ムハンマド・ブハリ(大統領・「進歩変革会議」)

 

 

<マリ共和国>

 まり       

 

 

 

 

  • 1960
    ・マリ連邦、フランスから独立。
    ・セネガル、マリ連邦から離脱し、マリ連邦崩壊。
    ・マリ共和国、独立を宣言。
  • 1962
    ・マリ=フラン発行、フラン圏から離脱。
    ・独立によってマリ、アルジェリア、ニジェールに分割されたトゥアレグ人の抗議、その域内でのウラン鉱山開発の重要性などの複合的要因から、第一次トゥアレグ抵抗運動勃発(~1964)。
  • 1967・マリ=フラン、フラン圏に復帰。
  • 1968
    軍事クーデタにより、ケイタ政権崩壊。ムーサ・トラオレを議長として軍事解放委員会結成、長い軍事独裁体制の時期に入る。
  • 1974
    ・新憲法、国民投票で採択
  • 1979
    ・民主化運動の中、単一政党、「マリ人民民主同盟」(UDPM)、規定発表。
    ・選挙によって大統領が選出されたが、即クーデタがおこり、実権はクーデタ派に移る。
  • 1990
    ・ニジェール北部を中心とした第二次トゥアレグ抵抗運動(~1995)。外交人観光客の襲撃などの武装闘争を展開。
  • 1991
    ・暫定政府の発足。
  • 1992
    ・憲法制定、大統領選挙。軍事政権時代の終焉。
  • 2007
    ・ニジェール、マリ、チャド、モーリタニアで第三次トゥアレグ抵抗運動(~2009)。
  • 2012
    ・2011年のリビア内戦に参加し、軍事力を蓄えた第四次トゥアレグ抵抗運動、北部3州(アザワド)を制圧し、独立を宣言。
    ・国際テロ集団組織アルカーイダ系武装組織「イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ」、トンブクトゥの聖墓などを破壊。
    ・現地住民の難民化。
    ・軍事クーデタ勃発。トゥーレ大統領失脚。
  • 2013
    ・フランスの軍事介入。
    ・フランス大統領オランド、トンブクトゥ訪問・演説。

     歴代大統領

1960~1968  モディボ・ケイタ(大統領・「スーダン連合・アフリカ民主連合」)
1968~1991  ムーサ・トラオレ(軍事政権の長→1979年6月以降大統領・「マリ人民民主同盟」)
1991~1992  アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(人民救済以降委員会委員長・無所属・軍人)
1992~2002  アルファ・ウマル・コナレ(大統領・「マリ民主同盟」)
2002~2012  アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(大統領・無所属)
2012~2012  アマドゥ・サノゴ(民主主義制定のための全国委員会委員長・無所属・軍人)
2012~2013  ディオンクンダ・トラオレ(暫定大統領・「マリ民主同盟」)
2013~     イブラヒブ・ケイタ(大統領・「マリ連合」)

 

<セネガル>

セネガル

         

 

 

 

 

  • 1960
    ・マリ連邦として、フランスから独立。
    ・マリ連邦を離脱。サンゴール、セネガル共和国大統領に選出される。
  • 1963
    ・新憲法、国民投票により採択。
  • 1966
    ・野党の「アフリカ再編党」(PRA)、与党の「セネガル進歩同盟」(UPS)と合体。
  • 1977
    ・憲法改正、3政党を承認。
  • 1980
    ・サンゴール大統領辞任。
  • 1981
    ・複数政党制を採択。
  • 1982
    ・ガンビアとセネガンビア国家連合を発足(1989解消)。
    ・カザマンス紛争(~2004)
  • 1989
    ・モーリタニアとの間で紛争。原因はモーリタニア側の牛がセネガル側の農民の畑を荒らしたこと。ダカールではモーリタニア人に対する、モーリタニアではセネガル人に対しる虐殺が行われた。その要因の一つは、モーリタニアのモール人が黒人を奴隷として売買した事実に根差している(~1991)。(小川 1998:83-87;盛 2012:40)
  • 2001
    ・国民投票で新憲法採択、女性の土地所有権を認める
    マーム・マジョル・ボイ、セネガル初の女性首相に就任(→世界女性史年表)。
  • 2004
    ・死刑制度廃止。
    ・サバクトビバッタの大量発生
  • 2012
    ・マッキー・サル、大統領に当選。

 歴代大統領

1960~1980  レオポール・セダール・サンゴール(セネガル進歩党→セネガル社会党)
1981~2000  アブドゥ・ディウフ(セネガル社会党)
2000~2012  アブドゥライ・ワッド(セネガル民主党)
2012~      マッキー・サル(共和国同盟)

 

<リベリア共和国>

リベリア

       

 

 

 

 

  • 1847
    ・リベリア、アメリカ合衆国憲法を基本にして憲法を制定し独立を宣言。初代大統領、ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ。アメリコ・ライベリアン(解放奴隷の子孫)の支配確立。
  • 1854
    ・メリーランド・アフリカ植民地がメリーランド共和国として独立宣言。
  • 1857
    ・メリーランド・アフリカ共和国をリバリア共和国に併合。
  • 1870
    ・エドワード・J・ロイ、大統領に就任→1871年:暗殺。
  • 1910
    ・アメリカのメソジスト教会の宣教師ウィリアム・ワド・ハリス牧師、「預言者」を自称して教会運動を起し、コートジボワールにまで活動を広げる。
  • 1915
    ・アメリコ・ライベリアンが支配する政府に対し、先住民のクル人とグレボ人、反乱を起こす。
  • 1922
    ・ファイアストーン社(アメリカのタイヤメーカー)、ゴムのプランテーションを開始。
  • 1926
    ・政府、ファイアストーン社とゴム農園用地の99年間の貸与契約を結び、代替に財政援助を受ける。1931・ゴム農園の労働者の環境が奴隷状態と変わらないと、国際連盟告発。
  • 1971
    ウィリアム・R・トルバート、大統領に就任。
  • 1973
    ・ トバ・ナー・ティポテ、反政府勢力「MOJA」を結成。
  • 1980
    ・先住民族クラン人出身のサミュエル・ドウ曹長によるクーデタ。トルバート大統領暗殺。アメリコ・ライベリアンの支配終焉。
  • 1985
    ・先住民族ギオ人のトーマス・クィウォンパ、ドウ政権に反発、シエラレオネからリベリアに侵入し、クーデタを試みるも失敗、処刑される。ドウはクラン人中心の国軍を派遣し、反乱民族を攻撃、600人から1500人を虐殺。
  • 1986
    ・ドウ政権下でリベリア第2共和制が発足し、ドウが第21代大統領に就任。
  • 1989
    チャールズ・テーラー率いる反政府組織「リベリア国民愛国戦線」(NPFL)が蜂起、第一次内戦勃発
  • 1991
    ・ドウ大統領、捉えられ処刑され、政権崩壊。エーモス・ソーヤー、暫定政権樹立。NPFL、これを認めず戦闘激化。NPFL、隣国シエラレオネ政府のリベリア内戦への派兵に抗議してシエラレオネに侵攻。
  • 1995
    ・和平協定の調印。
  • 1996
    ・停戦の発効。内戦により15万人以上死亡、30万人以上が国外難民となる。
    ルース・ペリー、暫定政権下で文民代表としてアフリカ初の国家元首となる(→世界女性史年表)。
  • 2003
    ・セクー・コネ率いる「リベリア民主若い連合」(LURD)とトーマス・ニメリー率いる「リベリア民主運動」(MODEL)が蜂起し、首都へ侵攻(第二次内戦)。
    ・ガーナのアクラで和平会議。テーラー大統領、ナイジェリアに亡命。
    ・米軍を含む平和維持軍の上陸。
  • 2005
    ・第一回大統領選挙。エレン・ジョンソン・サーリーフ、選挙で当選したアフリカ初の女性大統領となる。現在2期目の第50代大統領。(→世界女性史年表)

 

歴代大統領・元首

1848~1856   ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ(大統領・無所属)
1856~1864   スティーブン・アレン・ベンソン(大統領・無所属)
1864~1868   ダニエル・パシーア・ワーナー(大統領・リベリア共和党)
1868~1870   ジェームズ・スプリッグズ・ペイン(大統領・リベリア共和党)
1870~1871   エドワード・ジェームズ・ロイ(大統領・ホイッグ党)
1871~1872   ジェームズ・スキーヴリング・スミス(大統領・ホイッグ党)
1872~1876   ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ(大統領・リベリア共和党)
1876~1878   ジェームズ・スプリッグズ・ペイン(大統領・リベリア共和党)
1878~1883   アンソニー・W・ガーディナー(大統領・ホイッグ党)
1883~1884   アルフレッド・F・ラッセル(大統領・ホイッグ党)
1884~1892   ヒラリー・R・W・ジョンソン(大統領・ホイッグ党)
1892~1896   ジョセフ・ジェームズ・チーズマン(大統領・ホイッグ党)
1896~1900   ウィリアム・D・コールマン(大統領・ホイッグ党)
1900~1904   ギャレットソン・W・ギブソン(大統領・ホイッグ党)
1904~1912   アーサー・バークレー(大統領・ホイッグ党)
1912~1920   ダニエル・E・ハワード(大統領・ホイッグ党)
1920~1930   チャールズ・D・B・キング(大統領・ホイッグ党)
1930~1944   エドウィン・バークレー(大統領・ホイッグ党)
1944~1971   ウィリアム・タブマン(大統領・ホイッグ党)
1971~1980   ウィリアム・R・トルバート(大統領・ホイッグ党)
1980~1990   サミュエル・ドウ(1984年7月まで人民救済評議会議長→大統領・「リベリア国民民主党」)
1990~1994   エーモス・ソーヤー(挙国一致暫定政権大統領・「リベリア人民党」)
1994~1995   デヴィッド・ポーマポー(国家評議会議長・無所属)
1995~1996   ウィルトン・G・S・サンカウロ(国家評議会議長・無所属)
1996~1997   ルース・ペリー(暫定国家元首・無所属)(→世界女性史年表)
1997~2003   チャールズ・テーラー(大統領・国民愛国党)
2003       モーゼス・ブラ(大統領・国民愛国党)
2003~2006   ジュデ・ブライアント(国家暫定政権議長・「リベリア行動党」)
2006~      エレン・ジョンソン・サーリーフ(大統領・統一党)(→世界女性史年表)

 

<ギニア共和国>

ギニア

 

 

 

 

         

  • 1958
    ・ギニア、フランスからの独立を宣言。セク・トゥーレ、共和国大統領に就任。フランス、経済援助を停止、公共施設などを破壊するなどの国家テロを行ったため、社会主義政策に舵を切る。
  • 1961
    ・セク・トゥーレ、大統領に選出される。
  • 1965
    ・10月の政権奪取謀議に関与したとしてフランスと断交(~1975)。
  • 1967
    ・コナクリ大司教ら、牧師のアフリカ人化に反対
    ・牧師73名、尼僧55名を国外追放。
  • 1970
    ・ポルトガルのギニア亡命者、コナクリ奪取計画、92名死刑
    ・約100名の西ドイツ人を追放。西ドイツ大使に召還命令。
  • 1971
    ・セネガルと断交
    ・西ドイツと断交
  • 1984
    ・セク・トゥーレ死去にともない、無血クーデタでランサナ・コンテ大佐、政権掌握。自由主義路線へ舵を切る。
  • 2007
    ・政治腐敗や財政悪化に抗議したゼネスト。暴動発生。治安の悪化。大統領、国家非常事態宣言、戒厳令を敷くも一か月後の解除。
  • 2008
    ・コンテ大統領死去。
    ・カマラ大尉のクーデタにより、軍部、コナクリを制圧。カマラ、暫定大統領に就任。
  • 2009
    ・暗殺未遂事件に巻き込まれカマラ重傷を負う。
  • 2010
    ・大統領選挙の決選投票で、アルファ・コンデ、大統領に就任。
歴代大統領・元首

<ギニア共和国>

1958~1979    セク・トゥーレ(大統領・ギニア民主党)

<ギニア人民革命共和国>

1979~1984    セク・トゥーレ(大統領・ギニア民主党)

<ギニア共和国>

1984        ルイス・ランサナ・ベアボギ(暫定大統領・ギニア民主党)
1984~2008    ランサナ・コンテ(大統領・統一進歩党)
2008        アブバカル・ソンバレ(統一進歩党)
2008~2009    ムサ・ダディス・カマラ(大統領・無所属・軍人)
2009~2010    セクバ・コナテ(暫定大統領・無所属・軍人)
2010~       アルファ・コンデ(大統領・ギニア人民連合)

 

<ギニアビサウ共和国>

ギニアビサウ

 

 

 

 

 

                 

  • 1963
    「ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党」(PAIGC)、ポルトガル軍事基地を襲撃、独立戦争勃発。PAIGCはソ連、キューバ、ギニアの支援、ポルトガルはアメリカ合衆国の支援を受けた植民地戦争。
  • 1973
    アミルカル・カブラル、コナクリでポルトガル秘密警察により暗殺される。弟のルイス・カブラルが指揮をとり、「ギニアビサウ国」のポルトガルからの独立を宣言
    ・国連、ギニアビサウの独立承認。
  • 1977
    ・国名を「ギニアビサウ共和国」に変更。
  • 1980
    ・ジョアン・ヴィエイラのクーデタによりルイス・カブラル大統領失脚。
  • 1984
    ・憲法改正。親米路線に転換するも政情不安定でクーデタ頻発。
  • 1991
    ・複数政党制に移行。
  • 1994
    ・大統領選挙。ヴィエイラ、民主的選挙によって選ばれた初の大統領。
  • 1998
    クーデタ事件後、大統領派と反大統領派との間で「ギニアビサウ内戦」勃発。
  • 1999
    ・反政府軍によるヴィエイラ政権退陣。ヴィエイラ、ポルトガルに亡命。その後も政治的混乱続く。
  • 2005
    ・亡命していたヴィエイラ、大統領選に勝利。その後も混乱続く。
  • 2009
    ・ヴィエイラ大統領の暗殺。
  • 2012
    クーデタ勃発。
  • 2014
    ・ジョゼ・マリオ・ヴァス、大統領に就任。
歴代大統領・元首

<ギニアビサウ国>

1973~1977   ルイス・カブラル(国家評議会議長・PAIGC)

<ギニアビサウ共和国>

1977~1980    ルイス・カブラル(国家評議会議長・PAIGC)
1980~1984      ジョアン・ヴィエイラ(革命評議会議長・PAIGC)
1984           カルメン・ペレイラ(国民議会議長・PAIGC)
1984~1999      ジョアン・ヴィエイラ(国家評議会議長・1984年以降大統領・PAIGC)
1999         アンスマネ・マネ(暫定軍事評議会指揮官・無所属・軍人)
1999~2000     マラム・バカイ・サニャ(大統領代理・PAIGC)
2000~2003     クンバ・ヤラ(大統領・社会革命党)
2003          ヴェリッシモ・コレイア・セアブラ(無所属・軍人)
2003~2005     エンリケ・ロサ(暫定大統領・無所属)
2005~2009     ジョアン・ヴィエイラ(大統領・無所属)
2009          ライムンド・ペレイラ(大統領代行・PAIGC)
2009~2012     マラム・バカイ・サニャ(大統領・PAIGC)
2012          ライムンド・ペレイラ(大統領・任期中に死亡・PAIGC)
2012          ママドゥ・トゥーレ・クルマ(軍司令部長官・無所属・軍政)
2012~2014     マヌエル・セリフォ・ナマジョ(暫定大統領・無所属)
2014~          ジョゼ・マリオ・ヴァス(大統領・PAIGC)

 

<カーボベルデ共和国>

カーボヴェルデ

 

 

 

 

        

  • 1975
    ・ポルトガルから独立
  • 1980
    ・死刑・無期拘禁を廃止
    ・新憲法制定
  • 1981
    「ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党」(PAIGC)、「カーボベルデ独立アフリカ党」(PAICV)に改組し、一党制を樹立。
  • 1990
    ・一党制の廃止。
  • 1991
    ・複数政党制下での総選挙。
  • 1992
    ・憲法制定。議会制度の発足。
歴代大統領

1975~1991  アリスティデス・ペレイラ(「ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党」→「カーボベルデ独立アフリカ党」)
1991~2001  アントニオ・マスカレニャス・モンテイロ(民主運動)
2001~2011  ペドロ・ピレス(カーボベルデ独立アフリカ党)
2011~     ジョルジェ・カルロス・フォンセカ(民主運動)

 

<ガンビア共和国>

ガンビア

 

 

       

 

 

      

  • 1965
    ・イギリスから独立
  • 1970
    ・共和国に移行。
  • 1981
    ・ジャワラ大統領不在中にクーデタ、セネガルに出兵を要請して鎮圧。
    ・セネガルと国家連合(「セネガンビア国家連合」)
  • 1989
    ・セネガルとの関係悪化により国家連合解消。
  • 1994
    ・無血クーデタにより、ジャワラ大統領、セネガルに亡命。軍政が敷かれる。
  • 1995
    ・クーデタ未遂事件。
  • 1996
    ・改正憲法の国民投票
  • 1997
    ・民政移管
  • 2006
    ・クーデタ未遂事件
  • 2014
    ・クーデタ未遂事件
歴代大統領

1970~1981  ダウダ・ジャワラ(大統領・人民進歩党)
1981      クコイ・サニャン(国家革命評議会議長・無所属)
1981~1994  ダウダ・ジャワラ(国家革命評議会議長・人民進歩党)
1994~     ヤヒヤ・ジャメ(軍事暫定統治評議会議長・無所属・軍人→1996年~大統領・「愛国再建同盟」)

 

  

<コートジボワール共和国>

コートジボワール

 

 

 

 

 

      

  • 1960
    ・フランスから独立。憲法採択。
    「コートジボワール民主党」(PDCI)のウフェ・ボアニ、大統領に選出。一党制を採択。
  • 1964
    民法を一元化し、家族法と相続法に関わる慣習法を廃止(一夫多妻制も廃止)
  • 1960~80年代
    ・年平均8%の経済成長、「イボワールの奇跡」と称された。
  • 1969
    ・ソ連と断交。
  • 1990
    ・複数政党制下の大統領選で、ウフェ・ボアニ7選。
  • 1993
    ・ウフェ・ボアニ死去
  • 1999
    ・ロベール・ゲイ元参謀長らのクーデタ、「国家国民救済委員会」を設置。
    ・大統領選挙の混乱で、ゲイ逃亡。ローラン・バボ、大統領に就任。
  • 2003
    ・バボ大統領に不満を持つ軍人らによる反乱軍「コートジボワール愛国運動」(MPCI)の蜂起。首謀者とみられたゲイ死亡。フランス、国軍を派遣(コートジボワール内戦)。その間に「コートジボワール新勢力」(FN)が台頭。
  • 2004
    ・パリでの和平会議で「停戦」成立。FN、北部を占領。政府軍の攻撃とフランス軍への誤爆。フランス軍、報復としてアビジャン空港などを爆撃。その反動で各地のフランス関連施設が掠奪・暴行・殺人の被害にあう。
  • 2005
    ・挙国一致内閣の編成。
  • 2006
    ・内戦終結後の和平プロセスの停滞。
  • 2010
    ・大統領選挙。結果をめぐっての混乱の中、バグボ(Bhagbo)が大統領就任宣誓式を行う。対抗馬のワタラも就任式を行う(二重政府状態)
  • 2011
    ・ワタラの攻勢により、バボ失脚が決定。ワタラ大統領に決定。
  • 2016
    ・3月、アビジャンの東に位置する観光地グラン・バッサムにおいて、ホテルおよび隣接する海岸が武装集団に襲撃され、少なくとも16人死亡。イスラーム過激派組織「イスラム・マグレブ諸国のアルカーイダ」(AQIM)、犯行声明を出す。
歴代大統領

1960~1993   フェリックス・ウフェ=ボワニ(8~11月の暫定大統領を経て大統領に就任。7期にわたり大統領)
1993~1999   コナン・ベディエ(1993~1995暫定大統領→以後、大統領)
1999~2000   ロベール・ゲイ(1999~2000国家国民救済委員会議長→以後大統領への就任を発表)
2000~2010   ローラン・バグボ(201012月~2011年4月までアラサン・ワタラとの二人大統領)
2010~       アラサン・ワタラ(大統領、2011年4月、バボの身柄拘束により二重政権状態解消)

 

<ベナン共和国>

ベナン

 

 

 

 

 

 

  • 1958
    ・ダオメー自治共和国(~1960)          
  • 1960
    ダオメー共和国、フランスから独立。
  • 1963
    ・ソグロ大佐のクーデタ、マガ大統領を解任、議会を解散、憲法停止。
  • 1964
    ・第二共和国憲法、国民投票で承認。
  • 1965
    ・ソグロ将軍のクーデタ。コングク暫定大統領就任。
    ・ソグロ、政権奪取し軍政確立。
  • 1968
    ・新憲法、国民投票により承認。
    ・大統領選挙、74%が棄権。
    ・軍部、ザンスを大統領に任命。
  • 1969
    ・クアンデテ参謀長によるクーデタ。
    ・暫定憲法採択
  • 1970
    ・マガ、政権担当
  • 1972
    ・反マガのクーデタ失敗
    ・ケレク少佐によるクーデタ。革命軍事評議会発足
  • 1974
    ・ケレク元首、マルクス=レーニン主義国家を宣言。
  • 1975
    ・「ベナン人民革命党」(PRPB)結成。国名をベナン人民共和国に変更。
  • 1977
    ・人民民主主義革命達成の「基本法」を制定。
  • 1980
    ケレク大佐、初代大統領に就任。
  • 1985
    ・ダオメー王国時代の首都アボメイの歴代12人の王たちが築いた王宮群、ユネスコの世界遺産に登録。奴隷貿易の拠点だった。
  • 1990
    ・社会主義政策の放棄。複数政党制、三権分立、大統領制を骨子とする新憲法制定。国名を「ベナン共和国」に変更。

歴代大統領・元首

<ダオメー自治共和国>

1958~1960    ルネ・ティラン(高等弁務官)

<ダオメー共和国>

1960~1963     ユベール・マガ(国家元首→大統領)
1963~1964     ユベール・マガ→スル・ミガン・アビティ→アホマデグベ→ソグロ(臨時政府代表)
1964~1965     スル・ミガン・アビティ(大統領)
1965          アビティ→コングク(暫定大統領)
1965~1967     クリストファ・ソグロ(大統領)
1967          ハシェム(革命委員会議長)
1967          クアンデテ(国家元首)
1967~1968     アレイ(国家元首)
1968~1969     エミール・デルリン・ザンスー(大統領)
1969          クワンデテ(陸軍幕僚長)
1969~1970     ドソウザ(最高軍事評議会議長)
1970~1972     ユベール・マガ→アピティ→アホマデグベ(最高協議会議長)
1972~1975     マチュー・ケレク(大統領)

<ベナン人民共和国>

1975~1980     マチュー・ケレク(大統領)
1980~1990     マチュー・ケレク(革命軍事政府議長兼国家元首→大統領兼軍部代表)

<ベナン共和国>

1990~1991    マチュー・ケレク(初代大統領)
1991~1996    ニセフォール・ソグロ(第2代大統領)
1996~2006    マチュー・ケレク(第3代大統領)
2006~1016    ヤイ・ボニ(第4代大統領)
2016~       パロリス・タロン(第5代大統領)

 

<ガーナ共和国>

ガーナ

 

 

 

 

            

  • 1957
    ・ゴールド・コースト、隣の英領トーゴランドと合わせてイギリスから独立。サハラ以南アフリカ初の独立国ガーナ誕生。
    ・「統一党」の結成
    ・憲法公布
  • 1960
    ・共和国憲法発布。ンクルマ、初代大統領に就任。
    Efua SutherlandGhana Drama Studioを通して、女性や子供たちの教育に取り組む(→世界女性史年表)
  • 1965
    Ama Ata Aidoo、ジェンダー・経済・人種・奴隷貿易・植民地主義に起因する貧困をテーマに作家活動を開始(→世界女性史年表)。
  • 1966
    ・ンクルマの中国訪問中にクーデタ国民解放評議会が全権を掌握。
  • 1969
    ・政治活動解禁
    ・総選挙。ブシアの「進歩党」の圧勝、民生に復帰。ブシア、首相に就任。
    ・憲法公布
  • 1970
    ・エドワード・アクフォ=アド、第2代大統領に就任。
  • 1972
    ・ブシアのイギリス訪問中にアチャンポンによるクーデタ国民救済委員会が組織され、政党活動は停止され、議会は解散。その後、アチャンポン、最高軍事評議会議長に就任。
    ・ンクルマ、ルーマニアのブカレストの病院で死去。
  • 1976
    ・アチェンポン、民政移行を表明。
  • 1978
    ・F.W.K.アクフォによるクーデタ。アチャンポン失脚。フレッド・アクフォ、最高軍事評議会議長に就任。
  • 1979
    憲法公布
    ・政党活動禁止を解除
    ・ジェリー・ローリングスによるクーデタ軍事革命評議会の設置。
    ・アチャンポンら処刑
    ・総選挙、「人民国家党」(PNP)勝利し、ヒラ・リマン、第3代大統領に就任。
  • 1981
    ・ローリングスによるクーデタ、暫定国家防衛評議会を設置し、構造調整を受け入れる。
  • 1992
    ・憲法公布(一党制の禁止・政治活動の自由・三権分立・慣習法はガーナの特別な共同体に適用・基本的人権と自由の保証・公務員採用に際してのジェンダーバランスへの配慮・・・・)。
  • 1993
    ・ローリングス、複数政党制下の選挙で大統領に選出され、民政に移行。

歴代大統領・元首

1960~1966  クワメ・ンクルマ(会議人民党・初代大統領・クーデタで失脚)
1966~1969  ジョセフ・アンクラ(無所属・軍政・国家解放評議会議長)
1969~1970  アクワシ・アフリファ(無所属・軍政・国家解放評議会議長→大統領委員会委員長)
1970     ニイ・アマア・オレンヌ(無所属・大統領代行)
1970~1972  エドワード・アクフォ=アド(無所属・第2代大統領・クーデタで失脚)
1972~1978  イグナティウス・アチャンポン(無所属・軍政・国家救済評議会議長→最高軍事評議会議長)
1978~1979  フレッド・アクフォ(無所属・軍政・最高軍事評議会議長)
1979     ジェリー・ローリングス(無所属・軍政・軍事革命評議会議長)
1979~1981  ヒラ・リマン(人民国家党・第3代大統領・クーデタで失脚)
1981~2001  ジェリー・ローリングス(無所属・軍政→国民民主会議・1993~第4代大統領)
2001~2009  ジョン・クフォー(新愛国党・第5代大統領)
2009~2012  ジョン・アッタ・ミルズ(国民民主会議・第6代大統領)
2012~    ジョン・ドラマニ・マハマ(国民民主会議・第7代大統領)

 

<トーゴ共和国>

トーゴ

 

 

 

 

 

 

           

  • 1960
    ・フランスから独立
  • 1963
    ・クーデタ。オリンピオ初代大統領の死体、ロメのアメリカ大使館近くで発見。
    ・新憲法制定。
    ・亡命中だったニコラ・グルニツキー政権発足。
  • 1967
    ・エヤデマ、無血クーデタにより全権を掌握。憲法停止・全政党を禁止。
  • 1969
    「トーゴ人民連合」(RPT)を唯一の政党として結成。
  • 1979
    ・新憲法案採択。
    ・民政移管にともなう大統領選挙でエヤデマ当選。
  • 1991
    ・大統領派と反大統領派の対立抗争で、国民統一暫定政府発足。
  • 1993
    ・複数政党制下での初めての大統領選挙で、エヤデマ当選。
  • 2002
    ・エヤデマ、憲法の三選禁止条項を撤廃し、独裁体制を復活。
  • 2005
    ・エヤデマ、病気治療のためフランスに向かう途中、心臓発作で死亡(在職期間、アフリカ最長の38年間)。

歴代大統領

1960~1963  シュルバヌス・オリンピオ(大統領・トーゴ統一委員会)
1963       エマヌエル・ボジョレー(反乱委員会議長・反乱委員会議長・軍人)
1963~1967  ニコラ・グルニツキー(大統領・トーゴ進歩党)
1967       クレベール・ダジョ(国民和解委員会委員長・軍人)
1967~2005  ニャシンベ・エヤデマ(大統領・軍人→トーゴ人民連合)
2005       ボンフォー・アッバス(トーゴ人民連合)
2005~      フォール・ニャシンベ・エヤデマ(エヤデマの息子・トーゴ人民連合)

 

【参考文献】

小川了  1998  『可能性としての国家誌―現代アフリカ国家の人と宗教』世界思想社

森恵子  2012  『セネガル・漁民レブーの宗教民族誌―スーフィー教団ライエンの千年王国運動』明石書店