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【現代アフリカ史8】「セックスワーク」(売春)という職業の登場

【現代アフリカ史8】「セックスワーク」(売春)という職業の登場

掲載:2015.09.24 執筆:富永智津子

1932年、東アフリカのエリート男性H.M.T.カヤンバは次のようなメモを残している(Kayamba,1932)。

「かつてのアフリカ人の生活は消え去ろうとしている。一夫多妻も次第に少なくなっている。相互扶助やもてなしといった行いもなくなろうとしている。長老の経済力も衰え、それにともない権威も低下している。若者は、年寄の日々は過ぎ去ったと言う。もっとも大きな変化は結婚である。結婚はもはや持続するものではなく、幸せ度も低下した。その結果、離婚率は100%に近づいている。不倫や情交も増えている。新しい文明化の波は、果てしない物的欲望を掻き立てるばかりで、妻は働かなくなり、教育の導入によって子供が両親の手伝いをする時間は減っている。夫は妻を満足させることができず、未婚や離婚女性が急増している。しかし、彼女たちが親族から自立して生きていくことはできない。本来農耕民である彼女たちには職業の選択肢はない。容易に非道徳的な生活に陥る。女性の教育の推進、なかんずく職業教育が差し迫った課題である。アフリカの土着宗教は、アフリカ人の道徳基準でもあった。その宗教が次第にイスラームやキリスト教にとって代わられようとしている。しかし、とって代わられる前に土着の信仰が失われる状況は避けねばならない。信仰なき状態は、魂のない身体のようなものである。」

植民地下で展開したこうした状況に対するカヤンバの危惧は、アフリカのいたるところで現実のものとなった。そのひとつが、行き場のない「未婚や離婚女性」である。その彼女たちが選択した移住先が、植民地下で出現した「新しい都市」だった。女性たちは、そこで職場を見つけたり、さまざまなインフォーマルな商売に参入したりして生き延びる手立てを講じたが、そうした中で最も手っ取り早かったのが「売春」という全く新しい「職業」であった。一方、植民地当局は、さまざまな手段で、こうした女性に対処した。南ローデシア(現在のジンバブウェ)のようにキリスト教道徳に反する行為をしかねない単身の女性たちの都市への移住を制限する法令を出してこれに対抗した事例もあれば、アフリカ人居住区を都市の周辺に設置して、目的のない女性たちが都市に入ることを防止しようとした南アのような事例もある。しかし、単身の出稼ぎ男性であふれる都市における単身女性の存在は、植民地当局にとっても「必要悪」であった。そこで、植民地当局はいかなる政策を打ち出したか。ここでは、ルイス・ホワイトの歴史研究によるケニアのナイロビの事例を紹介しよう(White,1990a,1990b)。

1938年のナイロビ在住のアフリカ人の性別推計統計によると、フォーマル部門の出稼ぎ労働者は女性237人に対して男性は25,886人、夫と同居する女性が3,356人、インフォーマル部門の出稼ぎ労働者は女性4,407人に対して男性は6,114人となっている。インフォーマル部門の女性は、多くが単身出稼ぎ男性相手の密造酒製造販売か売春婦だった。売春婦は3つのタイプに分類される。ストリート売春を意味するワテンベジ、自宅の戸口で客を待つワジワジ、家事サービスや宿の提供も行うマラヤである。前2者が、母村に仕送りをするタイプなのに対し、マラヤは故郷を捨ててナイロビに出てきた自立度の高いタイプである。とりわけ、単身の出稼ぎ労働者の身辺の世話までしてくれるマラヤの存在は、植民地当局にとっても便利だった。白人の役人たちが密かに利用していたことも、聞き取りから明らかになっている。マラヤがナイロビに定着できた所以である。

ナイロビの売春の特徴は、いわゆる男性の「ヒモ」がいなかったことである。そのため、収入はすべて自分の懐に入る。その結果、仕送りをしないマラヤには、結構な蓄えが手元に残った。マラヤたちは、それを不動産に投資し、互助組織を作って警察の手入れへの自衛手段を講じた。そうした不動産を「女性婚」によってもうけた子供に相続させるマラヤもいた。こうして、1940年には、マラヤたちが住むナイロビのパンガニとプムワニという2つの地区の不動産(家屋)は、それぞれ40%近くがマラヤ所有となっていたという。

植民地下の都市は、厳しい労働環境や家父長的な慣習からの逃避場所を農村女性に提供したが、生きていくための手段はインフォーマル部門に限定されていた。それでも農村部にはない自立のチャンスと自由があった。少なくともマラヤたちは男性に従属せずに生きていくことができた。しかし、植民地国家という男性原理に貫かれたもうひとつの家父長社会の裂け目に出現した売春は、ヨーロッパ人やインド人やアフリカ人の男性によるセクシュアリティの搾取に他ならなかったことも確かである。しかも、キリスト教的ジェンダー秩序の支配する植民地都市の中では、もっともさげすまれる居場所しか与えられなかった。こうして、「良い女性」と「悪い女性」の二元化が進み、アフリカ人もこの価値観を共有してゆくことになる。

 

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