「現場の声をつなぐ」(小川幸司)(シンポジウム「歴史教育の明日を探る~『授業・教科書・入試』改革に向けて」2015年8月1日)

掲載:2015.08.12     執筆:小川幸司(長野県長野高等学校)

1 「苦役への道は世界史教師の善意によってしきつめられている」再論

今回のシンポジウムに登壇するメンバーの中で、私が唯一の高校の教員である。第1部において、各論者が提起した問題を、高校教員としてどう受け止めたかということをコメントするとともに、それが第2部とどのようにつながるのかを考えるのが、今日の私の役割である。

「苦役への道は世界史教師の善意によってしきつめられている」という挑発的なタイトルは、2009年の歴史学研究会大会の特設部会「社会科世界史60年」で行った報告につけたものである。今日はその再論から始めたい。その報告で私は、高校世界史が“暗記地獄”とも言うべき「苦役」化していることを強く批判した。60年間の世界史教科書が巻末の索引数をどのくらい増やしたかを数えると、1300から3800に激増していること(その差2500!)、それにともなって東京大学・京都大学をはじめとする大学入試がとても難しくなってきたことを、数値や実例をあげながら明らかにしたつもりである。私の報告は、むしろ大学の先生方から熱い共感を寄せていただいた。高校の先生方からは賛否両論であり、反発する意見も多かった。それは当たり前だと思っている。私は高校の世界史の授業のあり方を根底から批判したわけだから、高校現場で日々奮闘している先生方が反発するのはむしろ自然と言える。ただし私は、進学校で世界史受験指導のカリスマ(?)のように言われていた自分自身も否定したわけであり、その痛みをかみしめながらの発言であることは言うまでもない。そしてこれまでの世界史教育論の積み重ねの中の良質な部分を守ろうとするからこその発言であったことを、改めて強調しておきたい。

さて、「苦役」としての高校世界史を別の角度から分析してみたい。教師の側からそれを見た時に、高校世界史とは「基礎的教養」を教える場であると考えられてきた。世界史教師は、「基礎的教養」を生徒に伝える「知のメッセンジャー」とも言うべき、大切な使命を遂行していると自覚されてきた。「苦役」は、そのような啓蒙的善意が作り出したものである。そこには、世界史の授業で教えることは、「真理」であるという前提がある。しかし世界史の教科書のどの行をとってみても、実はそこには複数の異説が存在するわけであり、授業で教えていることが確実な「真理」であるというのは、共同幻想にすぎない。現に、大学の歴史の授業が「高校では~と教えられてきただろうけど、本当は…なんだ」という語り口で行われることは珍しいことではないはずである。私の学生時代にも、先生方がよくそのようなことを語ったものだった。確かにそのような授業は目が覚めるような知的興奮を覚えたが、大学の授業を受けない大多数の人々の歴史像はどうなるのだということを考えるべきであろう。(この「苦役」をくぐり抜けたものだけが、大学で本当の「真理」を掴むのだと言わんばかりの学問観は、民主主義を否定していると私は考えている。)

授業で教えることは「真理」であるという思い込みは、三つの陥穽をもたらしているのではないだろうか。第一に、教科書に記載されるべき「真理」をめぐって、激しい争奪戦が展開されることになるだろう。それは政治的対立に他ならないのであるが、もっと掘り下げるならば、歴史をめぐって、「すべては変化していく」ことをありのままに見つめるのか、そのようなことを認めずに「変化しないもの」を強調する(実は「変化しないもの」を創作していることになるのだが本人にはその自覚がない)かの知的姿勢の根本的対立があるように思われる。もちろん「変化しないもの」とは、“伝統”であるとか、“~らしくあること”である。

第二に、教えることは「真理」であるという思い込みは、最も考えることが楽しいはずの論争的テーマを忌避する知的態度をうむであろう。教科書会社も教師も論争的テーマを避けているわけである。実は、論争的テーマというのは、真偽が定まらないから論争的なのではない。(世界史教科書の1行1行が、真偽が定まらないことだらけなのである。しかし私たちはそれらを論争的テーマであると自覚していない。)むしろその歴史像が今の私たちに大きな影響を与える切実なものだからこそ、論争的テーマになるのだと言えよう。従って論争的テーマを避けるという姿勢は、自分たちにとって最も切実な歴史学上の課題から目をそらすことにほかならない。18歳選挙権が実現した今、そのような授業のあり方でよいのかと、今一度私たちは反省すべきであろう。

第三に、教えることは「真理」であると思いこむことによって、学びのありようが「素朴な分類学」になってしまっている。「素朴な分類学」というのは、世界の事象にラベルを貼って整理をし、それを覚えればよしとする学びのことである。それは、素朴な実在論にもとづいている。ラベル(名辞)というものは、物自体(事象自体)とは本来異なるものであるという唯名論の世界観に気づいていないわけである。それこそ実は根本的に非歴史学的な発想であると言えよう。そもそも唯名論に立たないと、自分たちがラベルを貼った人間のいとなみが、不変のもの(永続的なもの=非歴史的なもの)になってしまうであろう。冷戦、覇権、民族、国民、伝統…といったものが、ずっと昔から今まで、そして未来にも続くように思ってしまうのではないだろうか。冷戦であろうが、覇権であろうが、歴史の諸時期において、その内実は様々なヴァリエーションがあったはずである。それを度外視して一つのラベルで分類する思考は、硬直した思考、敵=味方峻別思考、自己批判の欠落…などをうむであろう。現代の日本社会に流れつつある思考パターンこそ、そのようなものなのではあるまいか。私は、戦後世界史(および日本史)教育の欠陥が、こんにちの日本社会の反知性主義をうみだしたのではないかと考えている。

このような悪循環から抜け出すには、まずは一人一人の教師の授業改革が待ったなしに問われている。同時に教師の創意工夫が自由に繰り広げられるような“制度上の空間づくり”が不可欠であろう。時に悪の権化のような言われ方をする学習指導要領のほうが、膨大な暗記主義に陥らないような歴史教育を提唱してきたのだということも、周知のことである。しかし学習指導要領は、現場の授業スタイルを根本的に変革することができなかった。学習指導要領のとおりに授業をしたからといって、受験に勝ち抜く生徒を育てることにストレートにつながらないからである。だからこそ、世界史教育を改革するためには、「授業・教科書・入試」の三位一体的改革をするしかない。

本日の第一部の三成報告・久保報告・桃木報告は、三位一体的改革のそれぞれの局面を論じたものであり、私にとって大いに勉強になった。三成報告は、歴史教育におけるジェンダー視点の不在が、不平等を「運命」であるかのように人々に思わせる弊害をもたらすのだと厳しく批判し、フランス革命が近代的ジェンダー秩序の起点の一つになったことを明らかにした。これこそ、事実の選択、事実間の解釈、歴史的意義の考察という三層認識レベルの歴史学習の実例と言えよう。久保報告は、歴史基礎という新しい科目の設置と、世界史・日本史の刷新を説き、これからの日本の歴史教育の基礎的な考察を展開するものであった。「魅力ある歴史」であるとともに、「市民的教養としての歴史」でなければならないという久保氏の問題意識に私は全面的に賛同したい。桃木報告は、現行のペーパー入試が「砂上の楼閣」にすぎないことを鋭く暴き、中学レベルの用語を使用するだけでも歴史を「考える」「論じる」ことが可能であると説得力をもって論じている。しかもそのために桃木氏が提示している具体的な“問い”のパターンは、今後の議論の出発点になりうるものであろう。目が覚めるような報告であった。

2.私の世界史授業論

では、私自身がどのような世界史の授業を目指しているのかと言うことを述べてみたい。

私は、世界史とは、教科書に描かれているような単一の歴史像を覚えこむことではなく、「ひとりひとりの世界史」を創造する学びだと考えている。世界史とは、一人一人の生徒たちの主体的な他者認識の総体である。

「ひとりひとりの世界史」は、まず空間的な四領域構造をもつ。自分の歴史、自分を取り巻く地域の歴史(それは固定的なものではなく可変的な、思考の機会に応じてさまざまに措定されるものである)、日本列島の歴史、世界の歴史という同心円状の領域のなかで、思考が展開されるわけである。大事なことは、「自分」がわかって「世界」がわかるというように、中心から外延への順序が認識の段階を意味するわけではないという点である。「世界の歴史」が見えてきて、それについて考えている「自分」を自覚することによって、はじめて「自分」が再認識されるということがある。四領域を私たちは自在に往還しながら、総体的な他者認識・自己認識としての世界史像を形成していくのである。

小川図そのような世界史は、認識レベルについて見るならば、三層構造から成り立っている。第一層として、歴史的事実をいかに選択するかという「事実選択」の認識レベルがある。歴史というものは、無限の事実のなかからいかに対象とする事実を選ぶかが問題になる。第二層として、事実の連関をいかに解釈するかという「歴史解釈」の認識レベルがある。複数の解釈のなかで、私たちは最も蓋然性の高い解釈をとるわけである。この第一層と第二層を明確にするだけでも、書かれたことを「真理」であると無批判に思い込む現行の世界史教育が共同幻想だと、高校生にもわかるであろう。そして第三層として、この歴史を学んだことが、自分にとってどのような意味があるのかを考える認識レベルがある。私はこれを「歴史批評」と呼び、世界史教育の大事ないとなみであると位置づけてきた。拙著『世界史との対話』全3巻は、その「歴史批評」にいざなう講義録である。

このように認識レベルの三層構造に自覚的になるからこそ、第一層における事実立脚性、第二層・第三層における論理整合性において、私たちにとって、世界史をめぐる他者との対話が可能になる。つまり事実立脚性と論理整合性において、私たちは自分の思考を反証可能性という形で他者に開くわけなのだ。私のこの点についての議論は、遅塚忠躬『史学概論』(東京大学出版会、2010年)を参考にしていることを付言しておきたい。

以上をふまえて、世界史の授業とは、「知の伝達」から「無限に連鎖する“問い”を教師と生徒がともに考える」場に転換すべきであると私は考える。どのような事実を選択すればよいのか、そこからどのような解釈が立ち上がってくるのか、その歴史像から私たちはどのような意義をくみとるべきか…しかもそれらを地域において考え、日本列島において考え、世界において考えるというように、世界史の授業は尽きることのない“問い”の連続になるはずだ。次から次へと“問い”が生まれ、つねに授業は未完成に終わる。授業は未完成に終わってよく、その余韻を楽しむようでありたい。

実は、ジェンダーに係る歴史事象こそ、現状の世界史教育では論争的テーマとして「最も忌避される」ものであるが、実は世界史教育にとって「最も可能性をもつ」ものであると、私は考えている。そもそもジェンダーという視座そのものが、男らしさ・女らしさを普遍的なものとする思考停止状態にメスを入れるものであり、「すべては変化していく」という唯名論的思考に立つものである。そしてジェンダーに関わる事象は、空間的四領域構造の中で歴史批評が様々に展開できるし、認識レベルの三層構造の中で歴史像をつくりあげる可能性に満ちている。日本列島のジェンダーであろうが、世界のジェンダーであろうが、それらを比較したくなるだろうし、なぜそう言えるのかの論拠を考究したくなるだろう。なぜならば、ジェンダーに係る歴史事象は、自分にとって切実な「いのち」に関する“問い”につながっていくからだ。

先ほど私は、授業がのびのびと変化できるよう、教科書と入試とともに三位一体的に変わるべきであると述べた。授業が“問い”を連続させるように、教科書や入試も多様な“問い”と“問い方”をもつべきなのだ。これまでの世界史教育は、「(  )の中に入る語句は何か」とか、「~を説明しなさい」とだけ問うていればよかった。でもそれらは、短答式であろうが論述式であろうが、結局は暗記した知識を答えさせるだけだった。しかし歴史学にはもっと多様な“問い”があるわけであり、そうした“問い”ができる教師に私たちが自分を広げていかねばならない。さらに言えばそうした“問い”に生徒が応答したときのために、私たちは“多面的な評価法”をもつべきであろう。政治的立場で有利不利がうまれないように、つまり生徒の歴史認識全体を問うのではなく、あくまで“問い”の論理上の思考についてのみ客観的な評価がなされるようなスキルを私たちがもたなければならない。もつだけでなく、習熟しなければならない。

三成報告の内容にからめて多様な“問い”のありかたを考えてみよう。たとえば、教科書に史料「フランス人権宣言」だけでなく、オランプ・ド・グージュの「女性の人権宣言」も掲載されるとする(→【史料・解説】「女権宣言」と「人権宣言」の比較(三成))。その二つの史料を読む込むことで、次のような問いが可能になるだろう。「二つの史料に関わる説明として誤っている文を以下の①~④から一つ選びなさい」と問うならば、史料読解のレベルでのみ、記号短答式の問いを構成できる。あるいは、「二つの史料の内容をふまえて、教科書の□で囲んだ部分をあなたが書き直しなさい」と問うならば、今日の三成報告が示した教科書書き換え例を生徒自らの考察によって進めさせる授業が可能になるだろう。

こうした“問い”の質は、授業でどのような史料をとりあげるかに大きく左右されると言えよう。それゆえ教科書についても授業についても入試についても、歴史の授業はもっと多くの史料が提示されなければならないであろう。私は、その場合に、制度のありよう等についての“マクロな問い”を可能にする史料と、と人間の「いのち」の声を聞いての“ミクロな問い”を可能にする史料の双方がとりあげられることが大切であると考えている。第2部でとりあげられる「慰安婦」の歴史を例にあげるならば、“ミクロな問い”とは、長報告に登場する史料「野戦酒保規程改正に関する件(1937年9月)」を読み込みながら、「なぜ軍隊が性を管理するのだろうか」、「性の管理において、20世紀前半の日本と諸外国には特徴の違いがあるのだろうか」といったテーマを考えていくことであろう。

これに対して、“ミクロな問い”とは、証言のような一人一人の人生に関わる史料とか、ある具体的な人間を描く文学作品のような史料をもとにする。たとえば、歴史学研究会・日本史研究会編『「慰安婦」問題を/から考える』(岩波書店、2014年)の中で、小野沢あかね氏が、慰安婦として生きた時代を「よかった」と回想している女性たちを何人か紹介している。「氏の論文に紹介される慶子さん(仮名)や山内馨子さんが、なぜ慰安婦時代を、あの頃が『よかった』と回想しているのか、彼女たちの証言全体を読みながらその理由を考察しよう」と問うのが、“ミクロな問い”の一例である。彼女たちが言うところの「よかった」というつぶやきは、証言全体を読み進めていくと、若いうちから前借金制度のもとで身売りされて辛酸をなめつづけ、戦後も世の中から蔑まれ続けた彼女たちの幸少ない人生において、戦争時代が“相対的に”自分を肯定できるように思われたという意味での「よかった」であることが浮かび上がってくる。しかし、現代日本社会では、「よかった」という言葉だけが切り取られて、慰安婦を必要悪であったと見なす言説に利用されがちである。世の中がまさに唯名論的であるからこそ、「よかった」という言葉の奥にある「いのち」の意味を考えていかねばならない。“マクロな問い”がつねに唯名論の“言葉遊び”(より正確に言えば“言葉の独善的な使用”)に陥りがちになるからこそ、“ミクロな問い”で、名辞のレッテル貼りからこぼれ落ちる「いのち」の質を見つめていかねばならないように思われる。“ミクロな問い”によって、私たちは歴史の論理構築にたえざる反省をしていくことになるわけである。

だからこそ、“ミクロな問い”を不断に“マクロな問い”に結び付けていく知的営為が必要になってくる。たとえば、第2部の小浜報告に登場する史料「被害者証言・万愛花さん(中国)、黄阿桃さん(台湾)」を読み、これと一時ベストセラーになった小林よしのり氏の漫画『戦争論』の一部を読み比べながら、「小林よしのり氏の慰安婦に関する歴史認識について、あなたはどう考えるか」とか、「万さん、黄さんに対する償いは、どのようになされるべきだと考えるか(又は償いが必要ないとすればその理由を述べなさい)」といった問いを重ねるのが、“ミクロな問い”を“マクロな問い”につなげていくことだと言えるだろう。

なお付言すれば、このような“ミクロな問い”を考える上で、ジェンダー史研究の成果とも言うべき、三成美保・姫岡とし子・小浜正子編『ジェンダーから見た世界史』(大月書店、2014年)は、史料の宝庫である。たとえば三成氏が書いている「魔女狩り」のページでは、マリア・ホル裁判という個別の「いのち」の軌跡がとりあげられる(→【史料】マリア・ホル裁判(1593-94年ドイツ))。マリア・ホルは62回の拷問に耐え抜き、金貨200枚の支払いをすることでようやく仮釈放された。マリア・ホルが乗り越えた苦しみの具体的な凄まじさを見ることによって、私たちは女性に対する蔑みの質や近世のセクシュアリティの管理という時代状況が初めて見えてくるのではなかろうか。

3.「アメリカ独立革命の意義」を考える授業

では、最後に「無限に連鎖する“問い”」の一例として私の授業実践を報告したい。

アメリカ独立革命(→10-2.アメリカ独立革命とジェンダー)の「意義」について考える授業で、私はジェファソンの著作を授業の中で読むことにしている。よくあるパターンの授業であれば、アメリカ独立革命で実現した「基本的人権の保障」からは黒人奴隷や先住民インディアン、そして女性が除外されていたことが指摘されてまとめられるのであろう。しかし「知識の伝達」ではなくて、「“問い”を連鎖させる」ことで授業を進めると、こうなる。

ワシントンは、自らが軍人であった経験から民主主義と軍隊の存立が両立できないと考え、新生アメリカ合衆国を軽武装国家とした。このことについて、「アメリカ合衆国が軽武装国家として出発したのはなぜだろうか」と問うてみる。さらには「なぜ軍隊が否定されたのに、市民軍が存続したのだろうか」という次の問いをしてみる。そこからインディアン討伐のために市民軍が存続したことが浮かび上がってくる。「平等」をうたったアメリカ独立革命が「平等」を信じなかったという事実が、軍隊の存続にあらわれていると言えよう。独立革命の基本的人権の限界について、ただの知識でなく、軍事国家の展開という合衆国の特徴と結びつけながら考えてみるわけである。

次に私は、プリントにしておいた、ジェファソンの『ヴァジニア覚え書』の一部を読み合せながら、「ジェファソンの黒人に対するまなざしを、1行で表現するとしたら、どうなるだろうか」と問う。

【史料プリント】ジェファソン『ヴァジニア覚え書』

ただ疑いなくいえるのは、この土地に奴隷制度が存在しているという事実が、われわれヴァジニア人の生活様式に不幸な影響を及ぼしているということである。主人と奴隷との交わりは、もっとも荒々しい感情を絶えずやりとりすることにつきる。すなわち主人の側にはもっとも苛酷な形の専制が、奴隷の側には屈辱的な服従があるだけなのである。われわれの子供たちはこれをみて、そのまねをすることを習い覚える。なぜならば、人間は模倣の動物だからである。(……)親が奴隷に対して荒れ狂うと、子供はそれを眺めて怒りの表情にかぶれ、奴隷の子供たちに対して同じような態度をとり、人間のもつもっともいまわしい感情の赴くままに任せてしまうのである。こうして子供は、いわば暴虐のなかで育まれ、教育され、毎日それを訓練されているのであるから、当然いやらしい特徴を身につけないわけにはいかないのである。
*   *   *
白人が抱いている根強い偏見。黒人にとっては忘れることができない、今までに受けた虐待。新しい怒りの挑発。自然が作りあげた眼にみえる差異。そしてその他にも多くの情況がわれわれを二つの部分にわけ、社会秩序の紊乱をうみだし、それは多分どちらかの人種が絶滅するまで終ることなく続くであろう。(……)黒人の表情を支配しているあの永遠の単調さ、あらゆる感情を覆いかくしているあの黒い不動のヴェールよりも、白人のように赤と白がみごとに混りあい、皮膚の色にさす紅潮の程度によってあらゆる感情が表現される方が、より一層好ましくはないだろうか。さらに加えて、流れるような髪の毛や、より優美な身体の均整。また、オランウータンが自分自身の種族のメスよりも黒人の女性の方を好むのとまったく同様に黒人が白人をより好むことからわかるとおり、黒人自身も白人の方が美しいと判断していること。われわれが、馬や犬その他の家畜をふやすときに、より美しいものをと心がけることは大切なことであると考えられている。それならば、なぜ人間の場合に、そうであってはいけないのだろうか。皮膚の色、身体つき、頭髪など以外にも、人種の相違を物語る肉体的な特徴はある。
〔ジェファソン、中屋健一訳『ヴァジニア覚え書』(岩波文庫、1972年)〕

話し合いをスムーズに進行させるためには、次のグループ・ディスカッション用紙を使うとよい。4~6人のグループを編成して、話し合いをさせながら用紙に記入させていくわけだ。まずは「個人の意見」を書いて発表させ、次に「班のベストアンサー」を班代表に発表させ、それらを私が批評することになる。こうすることによって全員が議論に加わり、クラス全体の考察に発展することになる。

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班のベストアンサーは、一斉に黒板に書かせ、比較しながら私がまとめの講義をすることが多い。たとえば最初の質問「ジェファソンの黒人に対するまなざしを、1行で表現するとしたら、どうなるだろうか」に対し、私自身の用意した答えは、「私はいい人になりたいからあなたを奴隷解放してあげるけど、お互いのために私から見えない遠くへ行ってね」というものだ。これは史料を自分の言葉でかみくだいて要約する考察なのだが、世界史で学んだことを日常の感覚にひきつけて理解しようとしているわけである。これは世界史の思考が唯名論の言葉遊びに陥らぬよう、自分たちの実感とともに歴史を見つめるために必要な作業であると私は考えている。ジェファソンのような、黒人奴隷は解放すべきだが、白人との共存は不可能なのだから別の土地に“移送”すべきだという考え方は、黒人解放論者たちの中に広くもたれていた。『アンクル・トムの小屋』のストウ夫人も同じである。南北戦争の結果、黒人の基本的人権が憲法修正第13・14・15条によって実現した後も、連邦最高裁は1896年に黒人は白人から分離したとしても平等である(「分離しても平等」)という判決を出した。「差別はいけない」という建前ではなく、なぜ“分離したい”という欲望が繰り返しアメリカ社会を支配するのかを、自分の生活感覚の中で想像するような授業を、私は作りたい。

次に、私は「ジェファソンのスキャンダル」についてとりあげる。現代アメリカ社会には、ジェファソンの子孫であると称する黒人たちがいる。その真偽がたえず問題になっていたわけだが、1998年11月5日発行の『ネイチャー』誌が、DNA鑑定の結果、第一子トムについては証明できないが、末っ子エストンについては実子であることが証明できると発表した。このことを紹介しながら、「あの白人と黒人は別世界で暮らしたほうがよいと主張したジェファソンの子孫に“黒人”がいるのはなぜだろうか」と問うてみる。ディスカッション用紙を使い、グループで予想をたててみると、多くは「黒人奴隷の女性を性的に暴行した」という答えになる。そこで、黒人奴隷サリーとジェファソンの関係について説明する。

サリージェファソンは、黒人奴隷のサリー・ヘミングズ(右図)をパリに同行させ、裁縫・美容の技術を学ばせ、フランス語も学ばせ、パリにふさわしい衣装を買い与えたと言われている。パリでサリーは、ジェファソンの子どもを産む。合衆国に戻ってからも、二人のあいだには、密かに6人の子どもが生まれた(異説あり)と言われている。サリーが生んだ第1子は、トマスと名付けられたが、ジェファソンと顔がそっくりなことで地域の話題になり、やがて政敵からも格好のスキャンダルとして利用された。子どもたちの幾人かはジェファソンの生前に、そしてサリーと残りの子どもたちは、1826年のジェファソンの死後、解放されて“自由人”になった。サリーが、ジェファソンの死後の解放となったのは、解放したら一緒に住めなくなってしまう南部の社会のしくみのためであったと思われる。つまり、生徒は「性的に暴行した」と予想したわけだが、ジェファソンとサリーとの間には継続的な何らかの心の通い合いがあったことが否定できない。

そのうえで、さらに次のように生徒に問いかけることができよう。「言葉の上では黒人を差別していたジェファソンが、現実には黒人女性を慈しんだのは、なぜだろうか」という問いかけである。するとサリーには白人の血がまじっており、現代に伝わる肖像画を見ても、アングロサクソン系の顔立ちに近い顔立ちをもっていた女性であったことがわかる。さらにはジェファソンの亡き妻マーサとサリーは異母姉妹の関係であり、ジェファソンがサリーの顔立ちに亡き妻の面影をみていた可能性もあることを紹介する。そのうえで、「なぜジェファソンは彼女を慈しんだのだろうか」「二人の愛は本当に対等なものだったのか」といった、検証不可能であるが想像してみることは無意味ではない。なぜなら歴史的人物の解釈について、可能性の幅のようなものを確かめることになるからである。

すると、“問い”の中から新たな知の地平が見てくるであろう。ジェファソンとサリーのあいだに生まれた子どもたちはみな「黒人」に分類された。それは、オバマ大統領が「黒人」とされていることにもつながってくるであろう。アメリカ合衆国には「血の一滴」の考え方があり、一滴でも黒人の血がまじっていれば、「黒人」に分類されるのだということを生徒に教える。サリーもまた白人と黒人との間に生まれながら「黒人」とされた人であり、そのような事例はひじょうに数多いであろうということが生徒にもわかってくる。これこそ、唯名論的な現実の典型例であり、「人種」というものが自然科学的な分類を装いながら、いかに人為的なものであるかがわかってくるのである。世界史の教科書で、人種・語族・民族を並べて解説しながら、「人種は生物学的な分類である」などと記述されていることが、いかにデタラメな説明であるかに気づかせて、私は授業をしめくくっている。
「無限に連鎖する“問い”」は、次々と新しい知の地平を生徒にもたらす。そのような授業を私は組み立てていきたい。ジェンダーに係る歴史事象は、そのような“問い”の宝庫であろう。

《付記》
本稿は、2015年8月1日に日本学術会議講堂で行われたシンポジウム「歴史教育の明日を探る~『授業・教科書・入試』改革に向けて」(主催:日本学術会議史学委員会歴史とジェンダーに関する分科会)の中で私が報告したコメントを文章化したものである。ただし「3 『アメリカ独立革命』の意義を考える授業」については、レジュメには盛り込んだものの、当日は時間の関係で省略した。今回の文章化にあたり、話したかったことを加筆して収録した次第である。

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【参考文献】

小川幸司『世界史との対話』全3巻(地歴社、2012年)(→【紹介(自著)】小川幸司『世界史との対話~70時間の歴史批評』全3巻、2011-2012年)
三成美保・姫岡とし子・小浜正子編『ジェンダーから見た世界史』(大月書店、2014年)(→【紹介(自著)】『歴史を読み替えるージェンダーから見た世界史』2014年5月(はしがき紹介)
歴史学研究会・日本史研究会編『「慰安婦」問題を/から考える』(岩波書店、2014年)(→【書籍紹介】『「慰安婦」問題を/から考える――軍事性暴力と日常世界』2014年12月
鳥越泰彦『新しい世界史教育へ』(飯田共同印刷、2015年)〔自費出版:ご希望の方は小川までどうぞ〕