【特論5】Ⅰ―⑰ 思春期のアフリカ人少女の扱いに関する昔と今 by G.M.Culwick(1939)

G.M.Culwick, “New ways for old in the Treatment of adolescent African Girls,” Africa, Vol 12, No.4(1939)

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バントゥー系部族の地域分布(ドイツWikipedia)

 思春期に達した少女を隔離する習慣は、バントゥー系の諸部族の間では珍しいことではない。その期間は初潮が終わるまでの数日から数か月、あるいは数年に及ぶこともある。初潮時の隔離は、社会的な接触を避けることに目的があるが、その際、少女の安全と多産、共同体一般の安寧のための儀礼が執り行われ、さらに個人的なふるまいに関する知識が少女に伝達される。長期の隔離は、少女の安全祈願に加えて、結婚のとり決めが完結し、婚資の大部分が支払われるまで続く。ここでは、この長期の隔離について述べる。

 われわれ自身の社会的・宗教的バックグラウンドからすると、このような長期の隔離は、一義的には少女が性的な経験をしない状態で夫に引き渡されることを目的としていると考えるのが自然である。しかし、アフリカ人の場合、それが本来の目的であるかどうかは疑わしい。クリーグ夫人は、南アフリカ北部のバントゥー人について次のように記している。 

 「彼らはセックスと罪をほぼ同義に捉えるキリスト教徒の考えを共有していはいない。彼らにとって、セックスはごく自然で悪いことではない。さらに、セックスは民族の永続のための重要な行為であり、人類の豊穣性、ひいては社会の安寧・福祉と密接に関係しており、多くの儀礼の中心部分を構成している。」 

 バントゥー系の諸部族にとって、ある種のセックス行為は初潮前の大方の子供たちが経験していることであり、初潮を迎える数年も前に完全な性交を経験することは社会的に受け入れられた慣行であった。しかし、その同じバントゥー諸部族の中に、娘が初潮を迎えると厳格に隔離する部族がある。

 それゆえ、この慣行は、少女の処女性を守ることをうたってはいるが、実際には処女性とは関係なく、結婚前の妊娠への恐れにそのルーツがあると言ってよい。最近、バントゥー社会では、結婚前の出産に対する態度が急変したといわれているが、実は、結婚前の出産はかつても認められてはいなかった。たしかに、今も昔も、思春期の少女が性交の未経験者であることは期待されていないし、性的欲求は初潮までにすっかり芽生えてしまっていると誰もが思っている。初潮前の性交による妊娠の危険はない。したがって、妊娠の可能性が現実問題となる初潮後、少女の位置づけは大きく変わるのである。たとえ慣習的に、若い娘は結婚するまで処女であるべきだとされていても、処女性は簡単に失われる。そこで、初潮後に、そのような事態が起こる危険を避けることが重要案件として浮上するのである。少女の性的な成熟は、厳格な隔離を必要とする。制度の大方が目的を果たせないように、たとえこの制度も目的を成就することに失敗するとしても、こうした制度が必要だと信じている部族がいるのだ。

 未婚の母親から生まれた子供が次第に受け入れられるようになるにつれ、隔離期間を短縮し、実際に結婚する前に普通の生活に戻す傾向が出てきている。しかし、伝統は根強く、状況が変化したのちでも、以前の制度を維持しようとする傾向がどの社会にもあり、長期にわたる隔離を、性道徳の緩和と同時並行的にまだ続けている部族もある。宗教的制裁やそのほかの制裁を強化することによって、われわれの性道徳をそっくりそのまま、バントゥー社会に導入すべきかどうかについては温度差がある。一方、異教徒の社会でさえ、隔離の慣習は、外部の経済的社会的影響がきわめて大きく、それが部族の慣習を崩壊させているところでは、意味をなくしているとの共通の認識がある。例えば、東アフリカの部族の慣習を調査した研究者によれば、少女の大部分は、隔離が終わる前に妊娠しているという。それゆえ、この慣習は、保守主義者によって強制され、多産やある種の安全性を祈願する宗教的儀礼に縛られた、内実のない形式だけのものとなっている。

 農村部の昔ながらの共同体に対しては、現在進行している変化が影響を与えていないことは明らかである。・・・・

 また、法令によってその慣習を禁止するといった直接的介入も、それだけでは十分ではない。もし法令などによって禁止した場合、性的に目覚め、道徳教育を受けていない多くの少女が社会に取り残される。共同体の進歩と統合に欠かせない社会道徳を教え込む新しい制度が、古い制度に置き換えられねばならない。古い制度は、そのやり方や慣行にどんな短所があろうと、性的欲求の抑制のしかたや従順さや忍耐や謙遜さを教えることを目的としている。それが、当該社会からの視点である。それに代わるものは、そうした古い制度の上に、人生や社会的義務に関するより深い知識を伝達する方向で構築されねばならない。この教育課程は、小さいときに始まる性的な行為を考えると、思春期になってから始めるというのでは遅い。強制的な隔離制度にかわり、自己抑制の仕方を教え込むとしたら、思春期よりずっと前に始めねばならない。このように、思春期における隔離の慣習を変えるためには、思春期の少女自身に対してのみならず、それより年下の少女に対する計画的な教育プログラムが必要である。

 タンガニーカ領のザラモは部族というより、小さな集団の寄り集まりであるが、彼らはこの慣習をまだしっかりと維持している。ダルエスサラームに近接し、新しい経済的社会的影響も受けており、この慣習が時代にそぐわないという考えにも接しているはずのこのザラモなのだが、少女たちは今なお暗い小屋に何か月も何年も隔離され続けている。しかし、アフリカ人の共同体が、過ぎ去った過去の制度に固執しているのは、珍しいことではない。彼らは、変化の波をせき止め、崇敬する先祖の神秘的な栄光ある平穏な日々を復元する神秘的な力をもっているという信念があるからである。大きな変化によって意味を失った未開社会の遺物であるこの慣習は、精神的・身体的健康へのダメージという外国の観察者に衝撃を与えるような性質を保持している。このように、かつて、ある種の社会的目的を達成するための未開で粗野な方法だったものが、まぎれもない社会悪となっている。現在の状況の下で、いかにして権威への服従や忍耐やそのほかの徳性を教え込むかが、議論されねばならない。

 ザラモが居住しているマネロマンゴにあるベルリン・ルテラン・ミッションは、最近、古いシステムから、より高い倫理水準や文化に親和的なシステムを発展させる試みを行ってきた。それは、二か月間の隔離後に入学する思春期の少女のための寄宿制の学校で、結婚するまでそこで過ごすシステムである。新しい目的のために異教徒の祝祭を適用するという初期の教会のやり方にならって、ミッションが許容できる古い儀礼が新しいシステムに統合されてきた。そうすれば、新しいシステムは古いシステムからの進化を可能にしつつ、過去からは完全に断絶することはない。同様な学校が同じミッションが拠点としているキサラウェでも、すでに第1次大戦前に存在していたが、現在は閉鎖されている。現在の試みについては、A.von Waldowシスターが記録している。彼女が開設した寄宿舎は、数年間の準備期間ののち1932年に3人の少女の受け入れから出発し、1938年には117人を受け入れている。

 思春期のアフリカ人少女の治療

 シスターは、隔離の習慣によって引き起こされる少女への被害について、次のように記録している。 

 「4年の間、私は隔離された40人のイスラーム教徒の少女をまじかに見てきた。そのうちの5人は精神的不調をきたした。この5人のうち3人は気が狂い、祝福されることなく外に出された。一方、他の2人は精神的失調が軽減したが、鬱的状態が残った。6人が外に出されてまもなく死亡した。暗い部屋に長期間閉じ込められていることは、精神的にも身体的にも若い女性に打撃を与える。身体的不調は隔離後1年以降に現れる。発作を起こしたり、病気になったりすることもしばしばある。その場合には呪術師(witch doctor)に委ねられる。隔離が終わると働くことができない廃人のような扱いを受け、外の世界に慣れるように庭に座らされる。精神的なダメージは身体的な倦怠感や精神的な危機的状況として現れる。何年もの間、若者特有の衝動や喜びが抑えられてきたため、その反動がくる。少女は正常な判断力をただちには取り戻せない。大きな声で話すことも許されていなかったため、声を出すのも自由ではない。通常、しばらくは大声を出し続ける。最初は自分の感情をコントロールできない。・・・極め付けは、小屋に隔離されている間にひどい経験をし、隔離から解放された時に、多くの少女が妊娠しているという事である。その時に祝福のドラムは打ち鳴らされない。最悪なのは、中絶であり、これがザラモの幼児死亡率を引き上げている。こうした慣行は少女自身のみならず、共同体全体にもダメージをもたらしている。」(原注:ドイツ語からの翻訳) 

 彼女はさらに、こうした慣行は宗教的儀礼と密接に関わっているので、衛生面や教育面からのアプローチだけでは効果はないとする。 

 「イエス・キリストを信仰しているザラモは、自分たちのタブーを破ったり、小屋での隔離期間を短縮したりする勇気をもっていた。しかし、そうではない人々に対しては、何かポジティヴな仕掛けが必要だった。少女たちは早くに結婚する。婚約しない少女は自分で結婚相手を見つけるために町に出てうろつく。以上のことから次の二つの課題が見えてくる。

  1. 可能な限り伝統的な慣行を残しながら 慣習のなかで害の在るものを排除すること。
  2. 伝統的な教育システムから始めること。それはもう少し改善されたシステムとして保持されるのが望ましい。両親の権威を拒否しやすい思春期に、少女が両親以外の教師を受け入れているという事実に心理学的に理解すべきポイントがある。こうした慣行を主導しているのは長老格の女性たちである。さらに、少女はクングイと呼ばれる母親以外の女性の保護者と一緒に暮らし、さらなる指導を受ける。この伝統的なシステムの上に、思春期の少女が暮らす場所が実現した。」 

 仕事はふたつの部分に分かれている。ひとつはケアと小屋に隔離された少女の教育である。その小屋には、許可があれば訪問することができるし、その目的のために門戸を開いている非キリスト教徒のための家もある。ふたつ目は寄宿舎で、両親は、小屋での隔離後2か月してから娘を送りこむよう説得される。それは、2~3か月後に指導のためにクングイの家に送り込まれる伝統的な方法をモデルとしている。von Waldowシスターは、2か月間の小屋での教育について次のように記している。 

 「自己規制と従順さを厳しく教えられるが、一年間の隔離がもたらす害は避けられるし、人びとの感情も和らげることができる。この期間に少女は、ただ怠惰に時を過ごすのではなく、台所仕事や茣蓙つくりを学ぶ。宣教師や年配の女性たちは、読み書きできる少女には読書も取り入れ、この時期を生産的に過ごせるようにする。」 

 隔離が終了した時の祝祭は、伝統的な儀礼と同じように行われる―衣服、外に出る方法、贈り物、歌、軽いタイプのビール・・・。少女は結婚まで寄宿学校で過ごす。結婚式も伝統的な祝宴を修正した形式で行われ、部族の慣習にのっとった婚資のやり取りで承認される。シスターは次のように記している。 

 「小屋の中にいる少女と学校にいる健康的で幸せそうな少女との間の差より大きな差を想像することはできない・・・。今、キリスト教徒の少女はすべて学校にきているし、非キリスト教徒の少女も8人が入学している。今年(1935年)、ダルエスサラームやそのほかの場所からもザラモの少女がやっていている。」 

 少女の教育歴はきわめて多様である。学校に何年も定期的に通っていた少女もいれば、学校教育を全く受けていない少女もいた。 

 「しかし、完全に知恵おくれの少女を除き、ごく初歩的な読み書きだけが可能な少女でさえ、一般教育科目、特に健康に関する科目(mothercraftなど・・)でスタンダードⅥとⅦに到達するのは可能である。というのは、妻と母親としてもっとも必要な教育に最大の重点がおかれているからである。」 

 彼女たちは結婚後も、女性たちが運営するさまざまなクラスに出席することによってこうした学科を学び続けることができる。

 セックスに関する指導は、自身がキサラウェの初期の学校で学んだことのある地元の既婚女性が行うが、残念ながらわたし自身、この女性と直接話をしたことがないので、指導の内容についての情報は持ち合わせていない。

 少女たちは、将来を見据えて、できるだけ地元のやり方に沿って、調理、農業、養鶏、裁縫、茣蓙つくりなどの実用的な仕事を学ぶ。彼女たちの日常生活は家族と貴重な伝統―例えば、歴史、ゲーム、なぞなぞ、格言―を基盤として営まれている。その場所には幸福感あふれる雰囲気があり、自由の制限はそれを壊すことはない。女性の親族は恒常的に学校を訪問し、少女たちも、必ず学校に戻ることを約束するなら、親族に伴われて家に帰ることも認められている。何の訓練も受けずにやってくる少女もいるが、学校は、実際には幼い少女や少年が共に学ぶ一般的な教育システムの一部となっており、少女はそれから、寄宿舎と連携して営まれている学校に入る。その学校はザラモの言うところのスタンダードⅢとⅣに相当する。この時期に少女たちは初潮を迎え、2か月間の小屋での隔離の期間を過ごすと、今度は寄宿舎に入るのである。すべては次世代に大きな影響を与える良き妻、良き母を育てることを目的としている。

 宣教所は、彼女たちは処女のまま夫に嫁ぐと宣言しているが、それが真実かどうかはともかく、暗闇から解放されて嫁ぐ少女よりはるかに心理的にも身体的にも健全かつ次世代に引き継ぐべき貢献をする資格も備えた状態で結婚できることは疑いない。                                                                                                                       (富永智津子訳)