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【12-1】①アフリカの植民地化(教科書書き換え)

【12-1】①アフリカの植民地化(教科書書き換え)

2015.03.05更新 2015.03.03掲載 執筆:富永智津子

山川『詳説世界史B』「アフリカの植民地化」、東京書籍『世界史B』「ヨーロッパとアフリカ」等に相当。『最新世界史図説タペストリー』「アフリカの分割」をも参照。

アフリカの植民地化 (富永試案)ー設問付き

19世紀末、ヨーロッパ列強はアフリカ大陸の分割に乗り出した。その先兵となったのは探検家(スタンリー)や奴隷貿易禁止という人道的な目的を携えて大陸に向かった宣教師(リヴィングストン)たちである。その頃、アフリカの人々は、大小の民族集団に分かれ、農業は女性が、牧畜は男性が主として担い、地域間の交易も活発に行っていた。そのアフリカの商品市場価値や一次産品(鉱物資源や農作物)の将来性は未知であったが、最後に残された未分割の大陸の領有権をめぐって列強間に対立がおこり、それを調整するためにアメリカを含む列強14か国がベルリンで会議を開いた(ベルリン=コンゴ会議)。会議で決められたのは、先に占領し、実効ある形で支配権を確立した国に領有権を与えるという分割の原則である(現在も領土の所有権に関する唯一の国際条約の規定)。その原則に従い、列強はアフリカ人の首長との条約を一方的にとりつけ、地図上に国境線を引いて領土を分けあった。

こうした暴挙に対し、アフリカ人は各地で地域の自立や固有の文化を守ろうとして抵抗した。その中には、29年にわたって抵抗したソマリア人や15年ものゲリラ戦を繰り広げた西アフリカの首長(サモリ・トゥーレ)もいた。しかし抵抗運動は軍事力に勝る列強によってことごとく弾圧され、イタリアの侵入軍を破ったエチオピア(1896年、アドワの戦い)とアメリカ植民協会によって1847年に独立を与えられたリベリアを除き、大陸は、20世紀の転換期をはさみ、くまなく植民地化された(地図参照→*【地図】アフリカの植民地化)。

 植民地化はアフリカ人社会を大きく変化させた。列強は、まず、鉱山開発(金・銅・ダイヤモンド・ウランなど)に着手するとともに、鉄道を建設し、その沿線に特定の熱帯産品(落花生、ココア、コーヒー、サイザル麻など)の大規模農場を造成、労働力として近隣のアフリカ人を徴用した。徴用の手段として使われたのが、人頭税や小屋税の課税である。税金を支払うために故郷を離れ鉱山や大規模農場に出稼ぎに出ざるをえなかったのは男性である。残された女性は、重労働を強いられ、子育ての責任も負わされることになった。

 一方、植民地下で導入された西欧的な学校教育制度は、キリスト教の普及とあいまって、それまでのアフリカの文化や慣習や宗教への偏見を、世界の人々のみならず、アフリカの人びとへも植えつけた。初期の抵抗運動が、共同体を基盤として、呪術や宗教などをよりどころとして展開されたのに対し、1930年代から徐々に芽生え始めた民族意識や植民地からの解放運動は、植民地化がもたらした近代的な政治戦略によってより広い地域を舞台として繰り広げられた。運動の担い手の多くは、海外への留学を許された男性だった(→*【アフリカ史】植民地化に対するアジア・アフリカの抵抗運動(富永智津子))。

奪われた自治を取り戻す過程で、アフリカ人は植民地化がもたらした「主権」や「解放」や「自由」という近代的価値観を学んだが、一方、アフリカ文化の喪失や植えつけられた植民地的経済構造は、その後のアフリカの自立への大きな障害となった。

考えてみよう!

【参考】

  • 『歴史を読み替えるージェンダーから見た世界史』(大月書店、2014年)の記事から
    • 「3-1 (概説③)古代文明とジェンダー(富永)」
    • 「6-10 東西交流ネットワークの形成(桃木・桜井・富永)」
    • 「12-1 (概説⑫)アジア・アフリカの社会運動と女性の地位(小浜)」
    • 「12-6 植民地化に対するアフリカの抵抗運動(富永)」
    • 「14-6 アフリカの独立とジェンダー(富永)」
    • 「15-7 アフリカの平和構築に活躍する女性(富永)」
  • 教科書書き換えのポイントについてはこちら→*【教科書2ー1】教科書書き換え(案)①「アフリカの植民地化」(富永智津子)
  • アフリカ史についてはこちら→*【特集9】アフリカの歴史と社会
  • 富永智津子についてはこちら→*富永智津子

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